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「私」の意識は存在すると言えるのか。

 物質的にものとして存在する石や木、私の身体のようなものだけが、存在しているのだろうか。それとも、意識の中に表れる感情や経験としての在り方もまた、存在していると呼べるのだろうか?



 疑いえないものはまず、存在していると言える。これはデカルトのコギト・エルゴ・スムで分かる通り、自分の意識。しかし、その意識の中に存在しているものは、私たちが普段あると思っているものは、物質的、客観的に存在しているのかどうかは誰にも分からない。しかし、確かに意識の中には「存在している」ということができる。また、経験としての在り方もこれと同様で、私の中にあり意識的にも無意識的にも認知されているものであれば、存在と呼ぶことができるだろう。つまり、なにものかによって認識されているものは「意識の中に存在している」という意味で、須く存在していると言えるだろう。

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