「私」は死によって完全に消失するのだろうか。
死後、意識も無意識も消えた時に、「私」は完全に消失するのだろうか。それとも、何らかの形で「続いている」のだろうか。
完全に消えると思う。意識も無意識も消失し、何をも感じられなくなり考えることもなくなったのならそれは存在していないから。
自己は死とともに消失する。それは、私が感じていることすべて、即ち「私の世界」そのものが消失することを意味する。そうなれば痕跡が実際に残ろうと残るまいと、その世界は消滅しているのだからどちらでも可真名わないというか、存在しないから無意味な議論になる。しかし、いくら自分の意志自体が唯一存在し得るものとして確かなものだとて、所謂「現実的」な視点を持ってみれば、世界そのものは私の意志とは別というか、私の意志そのものを包含して存在しており、私の肉体も他者という存在も実際にあると考えるのが「妥当だろう」と思う。だから、感覚的には、「私の世界」がそれぞれ生き物の数だけあり、まるでオリンピックのロゴのようにそれぞれの「私の世界」が重なり合っていると考えるのがしっくりくるだろうと思う。だから、私が死んだら「私の世界」は閉じて消失するが、他の人の「その人の主観的な世界」が存在するから、私の痕跡や記憶はその人の世界の中に残る。そうやって伝統や文化は繋がってきたのだろうと思う。




