表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/23

「私」は死によって完全に消失するのだろうか。

死後、意識も無意識も消えた時に、「私」は完全に消失するのだろうか。それとも、何らかの形で「続いている」のだろうか。




 完全に消えると思う。意識も無意識も消失し、何をも感じられなくなり考えることもなくなったのならそれは存在していないから。

 自己は死とともに消失する。それは、私が感じていることすべて、即ち「私の世界」そのものが消失することを意味する。そうなれば痕跡が実際に残ろうと残るまいと、その世界は消滅しているのだからどちらでも可真名わないというか、存在しないから無意味な議論になる。しかし、いくら自分の意志自体が唯一存在し得るものとして確かなものだとて、所謂「現実的」な視点を持ってみれば、世界そのものは私の意志とは別というか、私の意志そのものを包含して存在しており、私の肉体も他者という存在も実際にあると考えるのが「妥当だろう」と思う。だから、感覚的には、「私の世界」がそれぞれ生き物の数だけあり、まるでオリンピックのロゴのようにそれぞれの「私の世界」が重なり合っていると考えるのがしっくりくるだろうと思う。だから、私が死んだら「私の世界」は閉じて消失するが、他の人の「その人の主観的な世界」が存在するから、私の痕跡や記憶はその人の世界の中に残る。そうやって伝統や文化は繋がってきたのだろうと思う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ