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私たちが世界に意味を見い出すのは進化か、本能か。

 私たちが本当に、世界に何の意味もないことに耐えられないから、世界に意味を付与して生きていると仮定する。では、この「意味を求める」衝動は、進化の過程で我々が獲得したものなのか、それとも意味を付与することで「私」という自己を保存するための構造的な本能なのか。

 そしてこの過程にもとづくならば、「私」が世界を解釈するたびに、世界は新たな存在として構築され直していることになりはしないだろうか。




 私たちが本当は「進化により意味を求める」のか「自己保存のための構造的な本能で意味を求める」のか、そのどちらなのかは「事実」を色眼鏡なしに観察することができない以上、私たちに知りえることはできない。だが、どちらの側面も持ち合わせているのではないかと思う。私たち人間は、意味や目的を見出すことで、時に自分に不利益となるような選択を可能としてきた。例えば、妻子を養うために、自分の食べる分以上に狩りに赴く夫など。そうやって人間は進化してきたという面は、実際あるのだろうと思う。

 そして私たちが「意味」を見出すことで自分を保存しようとする、ということについてだが、これも私たちが概念を用いることと関係してくると思う。私たちは「言葉」で世界をラベリングすることで世界を事象の集まりから、分類し整理し、因果を持ち予測できる存在として扱いやすくしてきた。それは「私」というひどく曖昧で頼りない、唯一存在を確定させることのできる者に対しても同じで、私たちには形のない「私」たち自身を自分で知り、扱い、理解することを、言葉で意味をつけることで形を見出し扱ってきた。概念理解と同じ手順である。言葉でラベリングすることで、ひどく頼りなく曖昧で、それでいて強い存在感を持つ「私」という自我を自分で管理できるようになったのだ。

 だから、私たちが世界を解釈するたびに、世界は一新されるし、それはスマホのアップデートのように、どんどんと塗り重ねられていくものだろう。

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