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私の死後の、私にとっての他者。
他者が、私の世界に主観的に構築された存在としてしか、「私」には知覚できないとする。この場合、私が死んだ後にも他者は存在しているというのならば、彼らは本当に「私の他者」なのだろうか。
私が死んで終わる「世界」は私の主観的な世界にすぎない。映画の撮影において、私という1カメが壊れても、2カメは役者を写し続けるだろう。それと同じである。私には1カメからしか世界を見ることができないから、カメラの向こうの世界が本当にあるかも分からないし、他の見え方もできない、カメラが壊れたら何も見えなくなる。けれど、2カメはまだ世界を映すことができて、それは2カメにとっての「主観的な世界」であるから、私の死後の世界にいる他者たちは事実として私の見ていた他者であるが、それぞれの主観的な観察によれば、「私の他者」ということはできない。




