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「他者」の存在を信じること。

 私は、「世界」の存在を信じ、「他者」の存在も信じている。しかしこの「信じる」という行為は、直感的な信仰であるのだろうか? はたまた、「私」の思考による「他者像」を作り上げる、構築なのだろうか?





 信仰でも構築でもなく、その両方によって、他者の存在は信じられている。世界に意味がないなんて、私の見ている夢だなんて、そんなものは虚しすぎて生きている意味など見出せなくなってしまう。他者に誠実に向き合う、他者を尊重する、には他者の存在をある程度信じていなければそこまで心を傾けることができないだろう。

 故に、私たちは他者を含む世界が本当に存在している方が生きやすいし、そういった生き方をしていれば、世界が本当に存在していた場合に何の損失もないのだ。これが信仰としての「信じる」という行為である。同時に、他者の存在を前提として世界を捉え見つめ続けることが、構築する上での「信じる」という行為だと思う。

 そして、私たちが見ている他者像は、主観的にはあくまでスクリーンに映った映像か、あるいはそれですらなく私の頭の中に翻る夢の欠片のようなただの幻想なのかもしれない。しかし、「私」という自我であり思考である意識の中に、「他者」という何かが存在することは確かである。それが夢であれ現実の観察であれ、「他者」が私の中に存在していることには変わりがない。そういう意味で、事実としてどうであれ、「他者」という名の何かの存在は、疑う余地のないものであるのだ。

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