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「真実」は観察によるものか、創造されるものか。

 世界が本当に「事実」として存在しているのだとする。そして、事実はそれだけでは意味を持たず、観察されることによって意味を持つのだとしたら、「観察し、意味を与える」行為は私の思考そのものであると言えるのではないだろうか。

 その場合、「真実」とは発見されるものではなく、私の思考そのものなのではないだろうか。




 意味のあるものを「真実」と呼ぶのであれば、事実に意味を与えて真実を創造するのは、主観的な観察者である私たちであると言える。そもそも、世界に「意味」を見出しているのは私たち人間ぐらいのもののように見える、他の生き物は「意味」を見出さずとも生きていけているようなので。人間は、考えることができるがゆえに、「意味」を持たない「事実」だけを見ているのは辛すぎるから、感情の置き場所がなくなってしまうから、世界に意味を求める。それ故に、「真実」は生まれたのだ。そしてその「真実」故に私たちは強くなることもできる、例えば他人の幸せを自分の幸せよりも優先することができるように。

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