共通の感覚は、何によって生じるのか。
「価値が共通認識のひとつ」であるのならば、例えば人々が「美しい」と感じる時、その共通感覚はどこから来るのだろうか。人間という生き物の性質としてそう感じるのか、あるいは意識が根底で他者とつながっているのか、はたまた。
美しい、と感じるのはそれが美しいとい人がいて、それを妥当で納得できるものとして受け入れてきたからだ。例えば、透明な石ころを拾った人が、自分はそれを初めて見た、他にないくらい透明で珍しい、と思い、「これは珍しくて価値のあるものだ」と言ったとする。それを聞いたもう一人の人が、「確かに、自分もそういった石は見たことがない。透明なのもとてもきれいで価値があるものだと思う。」と思ったら、それは「美しさ」と「価値」の共通認識の完成である。こういったことがそこかしこで起こって、だからこそ普遍的な日常に価値を見出す人もいれば輝かしい活躍に価値を見出す人がいるように、どちらも正しいが異なるといった状況が生まれるのだろうと思う。そういった伝言ゲームのようなものがどんどん伝わっていって、また私たちは教育を受ける中で「美しい」とされるものがどんなものであるかも学ぶから、その経験則に無意識的に当てはめているというのも、かなりあると思う。




