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佐藤美奈の場合【3】

 美奈はSpringの動画を再生しながら、カップ麺にお湯を入れていた。今日は休みだから、段ボールの中にたくさん残っているこれらを消費しようと思って。

 お湯が沸くのを待つ間、いつものようにSNSを眺める。すると、投稿文の一つに目が止まった。


【Spring解散撤回のデジタル署名を集めています】


 大好きな修斗くんのためにできること。美奈は最近ずっと、そればかりを考えていた。

 敵がSpringの所属事務所だということは分かっても、SNSで本人達の意思ではなく事務所に解散させられたのだと真実を拡散すること以外には、どう戦えばいいのか分からなかった。でも。


 署名が集まれば、Springの解散は撤回されるの?


 美奈の中に、希望の光が見えた気がした。

 まずは自分のフォロワーにその投稿文を拡散し、【共感!】ボタンを押す。

 投稿文に載せられていたリンクのページに飛ぶと、署名に必要な情報は氏名とメールアドレスだけだった。

 こんなに簡単なことでいいなら、いくらだってやってあげられる。

 美奈は素早くそのページに情報を入力し、送信ボタンを押した。


 ページを戻してスマホをスクロールしていくと、署名を行ったと宣言するアカウントの数は次々に増えていき、美奈がカップ麺をすすっている間にも更に増えている様子だった。


 この調子なら、すぐでも修斗くんを救えるかもしれない。Springの解散を阻止して、Winterに奪われた仕事も取り返せるかもしれない。


 美奈はカップ麺を食べ終わると、【私もデジタル署名に参加しました!】と入力して、投稿ボタンを押す。すぐにたくさんの【共感!】ボタンの通知が飛んできて、思わず微笑んだ。

 やっぱりみんな、気持ちは一緒だ。


 あれ?


 その時、唐突に美奈のスマホが、固まった。そして気が付く。スマホの充電がすっかりなくなっていることに。何かメールを受信したらしく、それを機に充電が尽きたらしい。


 そういえば今日、ずっとSNS見てて充電してなかったかも。


 美奈がスマホを充電器に繋ぐと、スマホの再起動が可能になるよりも前に洗濯機が鳴った。仕方ない、干さないと。

 仕方なく立ち上がり、洗濯機の方へと歩いていく。

 洗濯物を干しながら、美奈は鼻歌を歌っていた。デジタル署名が集まれば、今まで通りのSpringが戻ってくるかもしれない。また事務所の邪魔が入るかもしれないけど。

 でもきっと、大丈夫だ。あれだけの数のファンの声があれば、事務所だって流石に無視はできない。

 美奈の気持ちはほんの少しだけ、明るくなった気がした。



 ファンによる署名活動が始まってから、数日が経過した。


 美奈は、職場を出て帰路に着く。今日も疲れたなと思いながら、電車の中でスマホを起動させた。


【藤奏多、退所のお知らせ】


 届いていたSpringのファンクラブメールを開くと、そんな文字が並んでいた。どうやらメンバーの一人である藤奏多は、退所してバンドを始めるらしい。


 え、なんで?


 開設されたらしい藤奏多のSNSのページに飛ぶと、そこには以前から準備されていたらしきアーティスト写真とミュージックビデオが公開されていた。

 美奈の知っている藤奏多とはなんだか様子が違う。ヤンキーのような、Springのイメージとは真逆と言ってもいいような格好の彼を見ていると、なんだかとても嫌な気持ちになった。


 推しじゃないから、いいけど。これ、藤奏多のオタクショックなんじゃない?


 わざわざ検索をかけなくても、自分と相互フォローになっている人たちの投稿文には、ショックが隠しきれない様子のファンの姿があった。当たり前だ。こんなの藤奏多ではない。


 複雑な心境のまま電車に揺られていると、また通知が届いていることに気がつく。修斗くんのブログが更新されたらしい。


【奏多のバンドの曲、みんな聴いた?俺めっちゃ好きなんだけど!事務所変わっても俺らの絆は消えないからな!今後はメンバーそれぞれ違う道を歩んでいくけど、俺はこれからもメンバーのこと大好きだし、応援してるぜ!もうすぐ俺の今後についての発表もあるから、お楽しみに】


 文章の後には、ケータリングを食べる藤奏多と修斗くんの写真が添付されていた。先日のライブのオフショットだろうか。


 修斗くんの今後についての発表って、なんだろう。藤奏多の豹変ぶりを見た後だからだろうか。なんだかとても嫌な予感がした。



 ああ、もう!何よこれ!


 美奈は職場で、静かにイライラしていた。でもそれは、Springのせいではない。

 ただ、なんだか最近、妙に迷惑メールが多いのだ。

 明らかに変なものは読まずに消せばいいし、フィルターを掛ければそこまで困らない。ただ、突然送られてくるようになった大量の迷惑メールを前にすると、そうなった理由が分からなくて気持ちが悪かった。


「佐藤さん、何かありました?なんだか怒ってるように見えますけど」


 のほほんとした声で同僚に話しかけられ、美奈はハッとする。


「そんなに分かりやすかったかしら。ごめんなさい。なんだか最近、妙に迷惑メールが多くてイライラしてたのよ」


 特に誤魔化す必要もなかったので、美奈は素直に答えた。


「迷惑メール、ですか。なんか最近、増えてるみたいですね」

「増えてるの?」

「たぶん。この前、私の友達も同じこと言ってて。あと、兄も迷惑メールが急増したって話してた時期あったんですけど、比較的最近です。それも」


 同僚は飲んでいたペットボトルのお茶をデスクに置きながら、私には何のメールも届いてないですけどねと続けた。


「それって、原因分かったりしたの?」

「うーん、兄の場合はですけど、好きだった声優さんの引退を撤回させるデジタル署名が原因でしたね。それしかメールアドレスが流出する心当たりがないってだけで、本当かは分かりませんけど」


 声優さんの引退を撤回させるデジタル署名?


 美奈の頭の中に、つい最近書き込んだSpring解散撤回のデジタル署名のことが浮かんだ。そんなはずは、ないのに。

 でも、冷静になってみれば、他に心当たりはない。でも、まさか。あれは、Springが解散を撤回できるようにと、ファンが自主的にやったこと。きっと迷惑メールとは関係ない。


 でもあのデジタル署名の話って、誰が企画したものだったんだろう?まさか、あの署名、意味なかったの?


 もし、あの署名が事務所に届けられることもなく、何の影響を及ぼすこともなく、Springにとって全く意味のないものだったとしたら。


 そんなの、困る。だってそれでは、修斗くんを救えない。


 デジタル署名が詐欺だったとか、個人情報が流出したとか。そんなことは全く、美奈の頭にはなかった。ただ、このままでは修斗くんが救えない。Springの解散が撤回できない。ただそれだけのことが、頭の中をぐるぐる回った。


「……もしかしてその迷惑メールが増えたって言ってた友達、Springのファンだったりしない?」


 美奈は恐る恐る、目の前の同僚に聞く。そうではないようにと、祈りながら。


「よく分かりましたね!推しが誰だったかまでは忘れちゃいましたけど、その友達はSpringのファンです」


 やっぱり、そうなのか。


 美奈は自分の体温が、ゆっくりと冷えていくのが分かった。

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