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ゲーム通りに破滅してたまるか。私の人生に攻略ルートは不要です

作者: 入多麗夜

実験的に書いた作品です。

「…………嘘、でしょ」


 目覚めた瞬間、まず視界に飛び込んできたのは、天蓋付きのベッドだった。真紅のレースに縁取られた天幕が、朝の光を鈍く受け止めている。柔らかすぎる枕。絹の寝間着。豪奢すぎる室内装飾。


 そして――この天井。間違いない。どこかで、何度も見たことがある。


「これって……リュシエンヌの部屋」


 その名を口にしたとき、ぞっと背筋に冷たいものが走った。


 鏡の中にいたのは、まさしく“彼女”だった。


 艶やかな金髪に透き通る青い瞳。だがその眼差しには、冷淡さと高慢さが滲んでいた。白磁の肌、すっと通った鼻筋、文句なしの美貌――だが、誰からも愛されない「悪役令嬢」。


(……転生しちゃったってわけ?)


 間違いない。この世界は、昔プレイした乙女ゲーム『ロゼ・メモワール』の中だ。


 それも、ただの華やか恋愛ゲームではない。選択肢ひとつで立場も命も失う、まるで悪夢のような物語。


 攻略対象と恋を実らせればハッピーエンド。だがその裏で、“邪魔者”となる悪役令嬢、リュシエンヌは、必ずといっていいほど破滅していた。


(選択肢ミスで国外追放。王太子ルートでは公開断罪からの財産没収と幽閉。学園長ルートでは……刺殺!?)


 あまりに救いのない運命。プレイヤー時代、どれだけ彼女を助けようとしても、ルートごとに粛々と破滅が訪れた。まさに救いようのないキャラだった。


 けれど今のリュシエンヌは、“ただのキャラ”ではない。


 ゲームのように、選択肢が限られているわけではない。


 決められたルートもなければ、固定されたセリフもない。


 AかBかの二択しか許されない不自由な画面の中ではなく、自分の足で歩き、誰と話し、何を信じるかを――すべて、自分の意思で選べる世界にいる。


 それは、かつてのプレイヤーだった自分には持ち得なかった特権だ。


(この世界の“彼女”が破滅したのは、何も知らなかったから。誰が敵で、誰が嘘をついているのかも分からず、ただ流されるままだったから)


 情報を与えられず、善意にすがり、少しずつ周囲に“悪役”として仕立て上げられていった。

 気づいた時には、すでに包囲されていた。擁護の声はかき消され、同情すら贅沢だった。


 だが今は違う。彼女には“知識”がある。

 これから先に何が起きるのか、誰が味方を装って近づいてくるのか。

 その全てを、既に知っている。


(ゲームに出てきたイベント、キャラ配置、選択肢の反応……頭の中に残っている。断片的とはいえ、それだけで先手は打てる)


 つまり、これは情報戦だ。


 感情に流されてはならない。慈悲も油断も不要。必要なのは、未来の被害を最小限に抑えるための冷徹な判断だけ。


(まずは……一番近くにいる“裏切り者”から)


 そう思った彼女はすぐ行動にでた。




 ◇




 執事ハロルド。


 原作では、リュシエンヌの忠臣を演じながら、実は金銭目的で情報を売っていた人物だ。

 彼の証言が決定打となり、ヒロイン側の言い分に「信憑性」が加わったことで、王子たちは断罪に踏み切った。


 だが実際には、ハロルドが裏で動いていた証拠も存在する。


 そもそも彼の“忠誠”は、長年雇ってきた恩義ではなく、単なる利害の一致によるものだった。


(……忠義のない者を傍に置いて、何が守れる?)


 たとえ今は何もしていなくても、将来的に牙を剥くと分かっているなら、処理は早い方がいい。

 彼が動き出す前に、こちらが動く。それが、最初の一手だ。


 重要なのは、「罪を問わない」排除方法であること。


 不用意な敵対を避け、彼の名誉も立場も潰さず、あくまで“円満な退職”として処理する――それが、リュシエンヌの取るべきやり方だった。


(使えない盾に守られて破滅するくらいなら、最初から一人で構わない)


 その思考は、かつての彼女とはまったく違う。


 今のリュシエンヌは、ただ生き延びるだけでなく、“勝つ”ために動こうとしていた。


 断罪エンドをなぞらないために。

 婚約破棄の屈辱も、財産剥奪も、幽閉も――全て回避するために。


 そのためなら、冷酷と呼ばれようと構わない。

 生き残った者だけが、結末を書き換える権利を持てるのだから。




 ◇




「ハロルド。少し話があるわ」


 リュシエンヌは執務室の椅子に腰かけ、冷えた紅茶をひと口含みながら言った。


「……お呼びでしょうか、お嬢様」


 姿を現した男は、六十代半ばの執事、ハロルド・グレイ。白手袋に黒い燕尾服、礼儀作法に一分の隙もない。一見して忠実そのもの、だが――


(彼は、十枚の金貨で私の人生を売った)


 原作ゲームでは、リュシエンヌがヒロインを侮辱したという虚偽の証言を王太子に提出した。しかも、自らの保身と引き換えに。


「今朝の話よ。あなたの息子、病床にあるのでしょう?」


 不意に名を出され、ハロルドの目がかすかに揺れた。


「……はい。ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが職務には――」


「いいの。正直に言ってくれて構わないわ」


 リュシエンヌは、紅茶を置いてまっすぐに彼を見つめた。


「療養のための土地と資金を提供するわ。郊外の屋敷を一つ譲る。それに当面の生活費も十分に」


「……お嬢様?」


「ハロルド、貴方もう還暦よね。孫の面倒や、庭の世話の方が、きっと今の貴方には合っているわ」


 声はあくまで穏やかに、言葉の一つ一つに思いやりを込める。


 声には棘一つなかった。長年仕えてきた者への労いに満ちているようにすら聞こえる。だが、その響きには、どこか“これが最後”という静かな区切りが漂っていた。


「貴方の忠勤には、感謝しかないの。だからこそ……このまま無理を重ねるより、少し肩の荷を下ろしてもいい時期なんじゃないかと思って」


「……お嬢様、私はまだ――」


「ええ、まだ働けるとは思っているわ。でも、ね?」


 そこでリュシエンヌは言葉を切った。


「人には、それぞれ“居場所”ってものがあるでしょう。今の貴方の“居場所”は、この屋敷じゃないのかもしれない。そんな気がするの」


 その言い回しは、はっきりとした“命令”ではなかった。だが、執事としての経験を積んできた男には十分すぎる通告だった。


 ハロルドは無言のまま、わずかに表情を崩した。


「この先のことは、私から伯父に手紙を出しておくわ。療養のための資金と、郊外の屋敷――貴方とご家族が落ち着ける環境を整えておくつもりよ」


「……もったいないお言葉です」


 苦しげに押し出されたその声に、リュシエンヌは小さく頷く。


「感謝しているの、ハロルド。だからこそ、この形が一番いいと思うのよ。お互いのために」


 主従としての関係は、ここで終わる。

 けれど、最後まで丁寧に――それが彼女の選んだ“やり方”だった。


 それでも、リュシエンヌは、ハロルドに対しては破格の待遇をした。


 本来なら、あり得ない話だ。使用人が職を離れる際に、貴族がわざわざ屋敷を譲るなど、まずない。


 たとえ長年仕えていたとしても、退職金と送別の言葉があれば十分とされる世界だ。


 あくまでも家庭の事情を思いやった結果の退職――そう印象づけることで、誰からも疑念を抱かれない幕引きを演出したのだ。


 すべては、今後の自分の立場を守るため。

 これから先、必要になるであろう“さらなる整理”のためにも、第一手は非の打ちどころなく終えておく必要があった。


 リュシエンヌにとって、それは単なる人事ではなく、一つの布石だった。




 ◇




 次の対象者は、言うまでもない。


 エドワール・シュヴァリエ王太子。

 この国の第一王子にして、原作ではリュシエンヌを“見捨てた男”。


 表向きは聡明で、品位にあふれた王族。

 だが、彼の選択はいつも“感情”に寄っていた。


 ヒロインの涙にほだされ、噂話を真に受け、誰よりも早くリュシエンヌを裁いたのは、他でもない彼だった。


 だからリュシエンヌは決めた。

 その“甘さ”を、今度は自分が利用する番だと。


 彼の判断はいつも情に引きずられる。

 理屈よりも空気、証拠よりも雰囲気。

 ならば、“そう見える状況”さえ作ってしまえば、彼は自ら足を踏み外すと。




 ◇




 舞台に選んだのは、学園の裏手にある温室だった。

 王族とその婚約者のために定期的に公開されているが、ほとんど利用されることはなく、教師の目も届きにくい。

 あらかじめ許可を取り、「見学」と称して時間を調整すれば、数分間――二人きりになるには十分だった。


 温室の扉をくぐると、外とは違う湿った空気と、微かな土の匂いが鼻をくすぐった。

 高い天井から差し込む光は柔らかく、光の粒が緑の葉に揺れていた。


 リュシエンヌは白い手袋を外し、そっと花弁に触れるふりをした。

 その様子を、エドワールが少し距離を取りながら見つめている。


「花に詳しいのか?」


「いいえ。ただ……綺麗なものを、綺麗だと感じるのは、理屈ではないでしょう?」


 何気ない一言に、王太子は一瞬だけ言葉を失ったようだった。


 以前のリュシエンヌは、こういう“柔らかな物言い”をしなかった。

 

 感情を上手に表に出せず、誤解されやすい言動を繰り返していた。


 だが今は違っていた。彼女は意図的に、自分の“見せ方”を操作していた。


「君は……少し、変わったな」


「そうですか? 私は昔から、殿下のおそばにいると、落ち着きますけれど」


 振り返ったリュシエンヌは、ふとした自然さで王太子の顔を見上げる。

 ほんの少し距離を詰め、けれど手は伸ばさない。

 視線だけを絡めるように合わせ、口元にはごく控えめな微笑。


 沈黙が流れる。

 風が、温室のカーテンをかすかに揺らす。

 エドワールの目が、明らかに戸惑いと混乱を浮かべ始めていた。


 彼は、その距離をどう捉えたのか。

 そして次に、何を言えばいいのか。

 思考が追いつかず、言葉を失ったまま――そのまま近づく。そのときだった。


「……殿下?」


 扉の奥から、少女の声が響いた。


 数人の貴族令嬢と生徒たちが、教師の許可を得て、見学延長のために温室へ入ってくるところだった。

 まるで“偶然”のような完璧なタイミング。

 だが、リュシエンヌにとってそれは――仕込み済みの演出にすぎない。


 彼女は何も動揺しなかった。ただ、ゆっくりと振り返る。

 目を丸くした令嬢たちの視線は、王太子とリュシエンヌの距離に釘付けだった。


「まあ……失礼いたしました。まさか、まだお二人が」


「私たち、見学の邪魔をしてしまったかしら?」


 扇子を口元に当てた一人が、わざとらしくそう言う。

 微笑の奥には、確かな含みがあった。


 エドワールは視線を逸らし、何かを言いかけて――結局、何も言わなかった。


「殿下と少し、お話をしていただけですわ。……ご心配なく」


 リュシエンヌは、何事もなかったように微笑んだ。


 あくまで未遂。だが、それで十分だった。


 婚約者がいるのにも関わらず、手を出そうとしたのは、立派なスキャンダルだったからだ。


 その日、リュシエンヌは校舎裏手の回廊で、王太子エドワールに呼び止められた。


 昼休みを告げる鐘が鳴り終えたばかり。

 人通りは少なく、けれど完全に人気がないわけでもない――つまり、話すには都合の良い場所だった。


 リュシエンヌが振り返ると、エドワールは数歩分の距離をあけて立っていた。

 背筋は伸びている。だが、どこか言い淀んだような表情だった。


「……リュシエンヌ」


「はい、殿下」


 微笑とともに返された声は、どこまでも穏やかだった。

 それが、かえって彼を焦らせる。


「先日の……温室での件だが」


「ええ、何かございましたか?」


 リュシエンヌは意図的なすっとぼけた。


「……噂が広がっている。まるで、私が……君に対して、何か特別な感情を持っているような……」


「皆さま、想像力が豊かでいらっしゃいますのね」


「違う、そうじゃないんだ」


 エドワールは一歩近づいた。

 手を伸ばしかけて、だが寸前で止める。


「リュシエンヌ、どうか……あれは誤解だったと、皆に伝えてくれないか?」


「誤解、ですか」


 リュシエンヌはゆっくりと首を傾げる。


 そして、まるで今思いついたかのように、小さく笑みを浮かべた。


「では――」


 彼女は一歩だけ進み、エドワールとの距離を詰める。



「私が、何かを言われた時。何かを仕組まれた時。何かを奪われかけた時。……エドワール様が、必ずお守りくださると、そうお約束いただけるのなら」


 わずかに、声が低くなる。


「そのときは――私も、“何もなかった”と公言いたしましょう」


 エドワールの表情がこわばった。


 彼女が何を言っているのかは、エドワールが分かっていた。この世界で、“断罪”や“告発”がどれほど簡単に起こるのか。それを踏まえた上で後ろ盾が欲しいという事だ。


「殿下?」


 リュシエンヌの声が、再び問いかける。


 エドワールは、唇を引き結び、足元を見つめた。彼は知っていた。


 いずれ、婚約者が再び何かを言い出す。その時に口裏を合わせていれば、そのとき、彼女の言葉に口裏を合わせておけば、波風は立たない。周囲も納得し、事態は丸く収まる。


「……わかった。リュシエンヌ。君に何かあったときは、私が……君を守ろう」


 リュシエンヌは、ふと小さく目を見開いた。


「ありがたく、心に留めておきますわ。殿下」


 こうして、リュシエンヌは王太子のスキャンダルを武器に、命を握る立場になったのだった。


 守ってくれるという言葉は、ありがたい。

 だが、それが本心かどうかなど、もはやどうでもよかった。


 彼女にとって大事なのは、“約束を引き出した”という事実――ただそれだけだ。


 言葉は、縛るためにある。

 そしてリュシエンヌは、それを誰よりもよく理解していた。


 ――さあ、これで二人目。


 未来の破滅をもたらすルートは、着実に消えていくのであった。

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