第一話
体が引っ張られる。首が伸びている。右を向いている。明滅する視界。体勢を保てない。何が起こっているのか考える暇もなく――痛み。
(なんだ。何が起こったのか)
「モチーニモッテリ‼ お前にエリティナは任せられない‼ 決闘だ‼」
(あ?)
殴られたと気が付いた。
(なんでオレ殴られたん?)
持ち上げた視線の先には男がいた。男と傍には女。二人がオレを眺めていた。
(なんだコイツ等。おい。なんだ? なんでオレ殴られたん?)
「貴族としてこの決闘を受けろ‼ モチーニモッテリ‼」
(はぁ?)
「明日の朝‼ 学校の門の前で勝負だ‼」
(意味がわからん)
周りの人々が男に賞賛を贈っているように感じた。男の後ろの女。不安そうな表情……とその奥に強く秘めた決意が窺える。
拍手が沸き起こっている。
(なんでオレ殴られたん?)
二人が去り、観衆がまばらに散っていく中――しばらくぼんやりとしていた。こんな所にいたら道の邪魔になるわと立ち上がり、隅っこへと移動する。
(なんだ……寝ぼけてんのか? 昨日酒飲んだっけ? 酔って路上で寝た? いや、んなわけねーよな。いや、オレならあり得るか。でも酒なんか……いやいやいや酒飲んでねーよな。いやオレ酒飲めねーしな。あー昨日どうしたっけ?)
頭を掻きながら昨日の記憶を掘り起こす。
(そういや昨日は会社に泊ったはずだ。仕事が終わらなくて帰れなくて仮眠で机の下に頭ツッコんで寝てたんじゃなかったけ? 今日休みだっけ?)
年は取りたくないものだ。ワーカーホリックなんて自慢にもならない。
休みなのに仕事だと飛び起きて、準備する途中で休みだと気付く。今日休みじゃないかと頭を掻いて記憶を掘り起こし、曜日を思い出して仕事の日だと気付く。
(つうかなんでオレ殴られたん?)
左頬に痛みを感じて頬に手を当てる。熱を帯びジンジンと痛みを響かせてくる。
(だるいわー。今日休みなんだけど家帰りてぇ)
「坊ちゃま」
(なんかメイド来たわ。コスプレにしては完成度たけーな)
「大丈夫ですか!? モッテリ坊ちゃま!?」
(……モッテリってオレなの? 餅みてぇな名前だな。つか誰だコイツ。なんかよくよく見ると、なんか校舎みてぇな壁だな。会社にこんな場所あったっけ。何時も下ばっか見てっからわかんねーよ)
「オレ?」
「そうですよ!? どうしたのですか!? モッテリ坊ちゃま!?」
(顔がちけーよ。外国の方じゃねーか。顔つきが。そばかすがある。胸元露出しすぎじゃね? 何人だ。英語ならなんとか乗り切れるが)
「頭を打ったのですか!? アレクシス様に殴られちゃいましたね……。平民の癖にモチーニ男爵家長男であるモッテリ様の顔を殴るなんて。あぁ、痛そうですね」
(何言ってんだコイツ。あーもうだりぃ。何もかもがだりぃ。仕事もだりぃけど仕事以外何すればいいのかわかんねー)
とりあえず倒れて横になってみた。天井を見上げている。
タバコが吸いたくなりポケットに手を突っ込んでもタバコの箱はなかった。スマホは何処かとポケットを弄る。ヌマ娘のログインボーナスでも眺めて落ち着くか。
(コーヒー飲みてぇ。自販機何処よ)
何時ものブラックコーヒーの缶ラベルが脳裏を過り喉がなる。
(その前に歯磨きじゃね?)
「モッテリ様?」
(なんか腹が出てんだよな。太ったかもしんねぇ。腹ですぎじゃね。なんか体変じゃね?)
起き上がろうとして起き上がれない事実に気付く。腹がつっかえて体を起こせない。それを見かねたメイドの人が手を支えて起こしてくれた。
「いや、すまんね」
「モッテリ様……? 大丈夫ですか? どうしたのですか? 誰か!? 誰か!?」
「いや、大丈夫だって」
(大げさだな。こんなんで医務室とか迷惑かけたくねーよ)
とか考えている間に職員らしい人が二、三人来て連れていかれた。
連れていかれる途中で感じたのだが。
なぜだか視線が妙に低かった。オレの身長は百八十三センチだったはずだ。
(なんだ? どうなっている? 考えるのもだりぃけど、マジやばくね? タバコ欲しい。タバコくれ。コーヒーでもいい。熱いブラックコーヒーが飲みたい。後帰りたい。仕事終わってねーよ。新人が飛ばないようにサポート考えるか?)
新人のサポートを考えるのは飛ばれると困るからだ。新人に飛ばれると割り振られる仕事が増える。新人をいかに飛ばさずに引き込むかが大事だ。
(つうかよぉ。職場に女がいたらよぉ、普通に考えて好きになるだろうがよぉ。普通に考えてよー。胸の凹凸が揺れたら嫌でも意識すんだろ。もみてぇってよー。我慢しろっつーほうが無理だろうがよぉ。キレそう)
医務室へと連行され、頬の治療を受けている間も、周りは結構ハラハラしていた。医務室の先生が男でキレそうだった。
(そこは綺麗な女の人だろ常識的に考えて。ニオイ嗅がせてくれよ。いいニオイをよぉ)
考えるだけなら自由だ。考えるだけなら自由のはずだ。実際に行えば変態だろうけれど。
(なんか腹ですぎなんだよなー。オレ何回なんかって言った? なんか言い過ぎじゃね。なんか目が覚めてきたわ。なんか……なんか変じゃね?)
一言で告げれば変だった。考えなくても変だった。それが現実だと悟るのにしばらくぼんやりとしてしまった。どうやらオレは異世界転生したらしい。
(マジかよ。転生特典何処? 早くくれよ。後女神様プリーズ。足ぺろぺろさせてくれねーかな。幼女の見た目で頼むわ)
とか考えていた時期がオレにもありました。
(異世界転生じゃねーわこれ。これ悪役令息転生だわ。ふざけんなよ……)
どうやら異世界転生ではなかった。異世界転生ではある。異世界転生ではあるけれど、ゲーム異世界転生だった。
(しかもこれ、チュートリアルでボコボコにされて婚約者寝取られる奴じゃん。つうかもう寝取られてるわ。最悪。おーいマジかよ。頭いてぇ)
鏡を眺めて気が付いた。
(デブ、小太り、長髪、変な顔。モチーニ男爵家のモッテリだわ。これ。マジかよ信じられねーよ。神も仏もいやしねーな。女神様早く出て来てくれよ。そしておっぱいひと揉みさせてくれ。それで許すわ)
残念ながら女神様は現れてはくれなかった。
デイモンズゲーム――。
十八禁の、人と魔物の混沌を描いたロールプレイングゲーム。
頭を抱えながらシナリオを記憶からサルページしていた。
(まぁ、魔物と言うモンスターがいて戦うゲームだ。そういうものだ。魔物を総称してデーモンと呼ぶ。人と異なるヌースから生まれる獣だ。オレがデバッグしていたゲームのタイトルだ。本当はちゃんと理由がある)
そしてそのゲームの序盤でチュートリアル的な悪役令息として主人公アレクシスの前に立ちはだかるのがモチーニモッテリ。モチーニ男爵家の長男モッテリである。
チビ、デブ、長髪のモテないコンボを決め込まれ、婚約者であるエリティナを主人公に寝取られる。
モッテリが毎回エリティナのスカートに顔を突っ込んだり擦り寄ったりセクハラコンボを決めていた設定があるので、エリティナに嫌悪されていたのは仕方がない。
モッテリの婚約者であるエリティナは侯爵家のご令嬢と設定がある。
格式は高いけれどお金の無いクラウディア侯爵家。
格式は低いけれどお金を持っているモチーニ男爵家。
よくある政略結婚だ。
グラウディア侯爵家は次女エリティナを、モチーニ男爵家は長男であるモッテリをあてがう事で帳尻を合わせ、モチーニ男爵家は格式を、クラウディア侯爵家はお金を得る仕組みとなっている。
その事実を良く知らないエリティナが親の決めた婚約を嫌うのは仕方がなく、またモッテリがセクハラやモラルを欠く行為を繰り返す事で寝取られても仕方がないと帳尻合わせが組まれている。
オレを殴ったアレクシスノアは本作の主人公だ。
優しく正義感が熱い。容姿も良く実力も兼ね備えている。
その容姿や性格から女性から好かれると設定がある。主人公なのだからそれはそうだ。実際このゲームはハーレムものであり、メインヒロインは一人だがサブヒロインは十人存在する。その全てに十八禁シーンが存在し、またこのゲームの特徴であるメスデーモンが存在する。
メスデーモンは魔物のメスだ。各魔物にメス形態が存在して十八禁シーンもある。
そんな女キラーであるアレクシスと出会い数日でエリティナはメロメロになり寝取られて、そしてちょっかいをかけて来たモッテリにアレクシスがキレて殴られたわけだ。
婚約者がいるのにそれはどうなのとそうは考えるがゲームだ。
チュートリアルエロをキメたらチュートリアル戦闘だ。
その戦闘でボコボコにされるのがモッテリである。
(オレじゃねーか。頭いてぇよ)
これを現実とは認めたくないが、どうやら現実である。
それで決闘に負けたモッテリがどうなるかと問われれば、断罪からの逆恨みをキメこむもお家騒動に巻き込まれ、婚約は取り消し、その後も主人公やエリティナにちょっかいをかけケチョンケチョンにされて最後は処刑されてしまう。
モッテリの実家が、これがまた良くない。
モッテリとの決闘はチュートリアルだが取っ掛かりでもある。
モチーニ男爵家は麻薬の製造をしている。当然ながら良くない。アレクシスはモッテリの件でモチーニ男爵家とかかわりを持ち、その中で麻薬の製造を突き止めて断罪する。
アレクシスはこの件でクラウディア侯爵家からの後ろ盾を得て、モチーニ男爵家は断絶される。
モッテリは処刑される。
(ああああああああああああああああああ。もう。あああああああああああああああああああ。めんどくせぇえええええええええええええ。つうかオレのせいじゃなくてね?)
モッテリの実家であるモチーニ男爵家がまためんどくさい家系だ。
まず父親が浮気して庶民との間につくったのがモッテリだ。
ここからまずおかしい。父親としては純愛なのがまた……。
そして次男長女もいるのだが、男爵夫人が、確かエヴァ……エヴァリ……なんだっけ男爵夫人が隣の領地の子爵と浮気して出来た子供だ。
色々設定があり、男爵夫人はなんとか商会の娘でお金のなかった男爵家とは政略結婚となり、父親が結婚を前提として付き合っていた庶民の子がモッテリで、その後実際に結婚した男爵夫人が浮気して作ったのが長女次男だ。
この男爵夫人の実家のなんとか商会がよろしくなく、このなんとか商会が麻薬を密造しており、男爵家領地内で大規模な麻薬草畑を運営している。
父親は夫人に頭が上がらないし夫人は夫の権力と実家の金を笠にしてやりたい放題。
そしてそんな夫人が侯爵家に目を付けてモッテリとエリティナの婚約を取りつけた。
夫人の浮気相手である子爵にも思惑が存在し男爵家の乗っ取りを考えている。
夫人は子爵にゾッコンだからそのあたりは適当なのだ。
子爵にとってモッテリは邪魔な存在だ。
いずれは排斥して自分の子供である次男を跡取りとする。
小さなモッテリとの引っ掛かりから、徐々に徐々に大きな問題へと広がってゆき、その先にある自身の出生の秘密にたどり着く。
そう主人公は王の息子なのだ。
エンディングルートは三つ。
グッドエンディング。バッドエンディング。真ルートエンディングが存在する。
グッドエンディングはサブヒロインの中から一人が正妻となり、他が側室となるハーレムエンド。
バッドエンディングは主人公が戦いで死んだ時のルート。
真ルートは二周目以降、メインヒロインと結ばれるエンディングで、一周目でメインヒロインと結ばれるのはほぼ不可能となっている。
(なっているんだよなー。オレがアレクシスに殴られた時点で一周目だと理解できる)
オレはオレでこの先どうするのかと考えなければいけない。
(明日の決闘で負けても……いや、詰んでね。明日負けたら実家が動く。婚約はどちらにしろ破棄だが、アレクシスが進めば実家が断罪される。アレクシスに実家を断罪させるわけにはいかなくないか? それはオレの生死に関係するのではないか? 実家を……夫人とその背後にある商会はオレが消さなければ、モッテリの人生は詰む)
「坊ちゃま?」
メイドが顔を覗かせて来た。
このメイドは子爵の息がかかった人間だ。
モッテリの行動はこのメイドにより筒抜けなのだ。
(マジだりぃな。オレがモッテリと言う事は、モッテリの人生が詰んだ時点でオレも詰みだ。それに婚約者寝取られて喜ぶ趣味もない)
「なぁ?」
「はい。なんでしょうか坊ちゃま」
(胸でけぇ。モッテリの奴。良く手を出さなかったな。意外とエリティナに純愛だったのかもしれない。アプローチの方法は間違えていただろうけれど)
「オレのお小遣いっていくら残ってる?」
「坊ちゃまのお小遣いですか? え……っとですねぇ。鱗符200枚程度でしょうか」
鱗符200枚。鱗符は布の貨幣だ。紙幣の代わり。
銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚、金貨10枚で鱗符1枚となる。
(さすが金持ち。だがちと足らんな。何か金目の物はないか)
指に並んだ指輪を眺める。これを売れば足しになるかもしれない。
最初のエロ、エリティナは釣り餌だ。エリティナを選ぶとメインヒロインを取り逃す。
メインヒロインは主人公の幼馴染で最初にムービーでカットインが入る。
(今回のアレクシスさんはダメっすねこれは)
メインヒロインは取り逃すと中盤終わりまで現れない。そして現れたメインヒロインは敵となり、ラスボスとなって最終戦で戦う事となる。
(さすがに見逃せねぇよ)
序盤で逃すとメインヒロインは凌辱されます。これガチ。闇落ちヒロインがラスボス。そんなゲーム。
(まず明日の決闘をどぎゃんかせんばいかん)
「坊ちゃま? どうしたのですか?」
(まぁあれだよね。婚約者寝取られたから幼馴染寝取るよね……とか言ってる場合じゃないんだが、マジやなんだけど)