ツルツルのカリスマ
プールから上がり、更衣室へ向かう。
いつもと同じルーティンのはずなのに、今日はなぜか違和感を覚えた。
シャワールームでは、数人の女性たちが何気なく身体を洗っている。
その光景をふと眺めたとき、私はあることに気がついた。
——誰もが、何の迷いもなくツルツルのVラインを晒している。
思わず目を見開く。
前までは、シャワーの間もタオルでVラインを覆う人が多かった。
また、完全には剃らずに少しだけ残している人、整えいるだけの人、手入れをせずに自然なままの人などさまざまだった。
だが今は、そんな気配はまるでない。
当たり前のように、何の抵抗もなく、無毛のVラインを見せている人が大勢いる。
(……いつの間に、こんなに変わった?)
ゆっくりとシャワーを浴びながら、私はその光景を観察する。
それは、ほんの数週間前とはまったく違うものだった。
(私の影響……なの?)
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走る。
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更衣室に戻ると、数人の女性たちの会話が耳に入った。
「ねえ、最近みんなVIO脱毛してるよね?」
「うん、なんか当たり前みたいになってきたよね。」
「最初は剃ってるのかと思ったんだけど、脱毛したって人が多いみたい。」
「そっか……確かに、剃るのは面倒だしね。」
「でも、なんでこんなに流行ってるの? 私も考えてるけど……」
「あの人の影響じゃない? ほら、スキンヘッドの……」
その瞬間、一斉に視線が私の方を向く。
目が合うと、彼女たちはすぐに視線を逸らし、気まずそうに笑った。
(本当に……私の影響?)
私はゆっくりと着替えを続けながら、その言葉を反芻する。
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ロッカーでタオルを巻いていると、ふいに話しかけられた。
「あの……ちょっと聞いてもいいですか?」
振り向くと、ジムに通い始めてまだ日が浅いらしい、若い女性がそこにいた。
少し緊張した様子で、視線を泳がせながら続ける。
「最近、VIOの脱毛する人、増えてますよね……?」
「……そうみたいですね。」
「実は、私もやってみたんです。」
そう言いながら、彼女は少し照れくさそうに笑う。
「スキンヘッドは私にはできないけど、せめて何か一つでも削ぎ落としたくて……」
彼女の言葉に、胸の奥がざわついた。
(私は……人を変えている?)
(私が変わったことで、誰かが行動を起こしている?)
それは、確かに心地よい感覚だった。
けれど、同時に違和感もあった。
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私は、水泳を通じて「剃りたい衝動」から解放されたと思っていた。
(私は変わった。もう、剃ることに囚われてはいない……)
だが、ここ最近のジムでの変化を見ていると、何かが引っかかる。
まるで、満たされていない感覚が、心の奥底でくすぶっているようだった。
ある日、更衣室でVIO脱毛を終えた女性たちの会話が耳に入る。
「スッキリして気持ちいいよね!」
「なんか解放感あるっていうか……」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが揺らいだ。
(……スッキリして、気持ちいい……?)
(私も……最初は、そうだった。)
(剃られたとき、あの人の手でツルツルになったとき、同じように感じた……。)
では——
「もし、私が手を下したら?」
「この人たちも、私と同じように感じるのでは?」
そんな考えが、頭をよぎった。
(……違う。)
私はすぐに、その思考を振り払う。
(私が剃ることに意味はない……。)
けれど、その瞬間に気づいてしまった。
「ならば、どうすれば彼女たちが自ら剃ることを選ぶのか?」という考えが生まれてしまったことに。
私は、誰かを剃ることで満たされたいのではない。
彼女たちが、自分の意思で剃る決断をする瞬間を見たい——そう思っている。
(私の影響は『憧れ』止まりなのか……?)
(どうすれば、彼女たちが「剃る」という選択をするのか……?)
そう考えたとき、私ははっきりと自覚する。
「剃る側になりたい」のではなく、「剃らせる存在になりたい」。
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ジムに行かなくなって、どれくらい経っただろうか。
新しい恋人ができ、剃髪のことも、あの場所での出来事もすべて過去にしたはずだった。
もう必要ない。そう思い、ジムを辞めてから半年以上が経つ。
なのに——
偶然耳に入った会話が、すべてを揺さぶった。
「ねえ、最近あのジムの雰囲気すごく変わったらしいね。」
「スキンヘッドの女性がカリスマ的な存在になってるんだって。」
「しかも、その影響で、VIO脱毛する人が増えてるらしいよ。」
心臓が跳ねる。
スキンヘッドの女性。
カリスマ的な存在。
影響を受けて、変わる人たち——。
まるで、自分がいた頃の光景の反転を見ているようだった。
けれど、そこに自分はもういない。
(……まさか。)
手が、無意識にスマホを掴んでいた。
以前まで通っていたジムのページを開く。
久しぶりに見るその場所のスケジュールには、見覚えのあるクラスも、知っている名前もない。
だが、関係ない。
気づけば、スマホの画面を暗くし、バッグにしまい込んでいた。
そのまま、立ち上がる。
(……確認しなければ、気が済まない。)
わかっている。
何を確かめたいのか、自分でもはっきりとは言えない。
ただ、彼女がいるかもしれない。
自分がいなくなったあとのジムで、彼女が「カリスマ的な存在」になっているかもしれない——。
それを考えた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
彼女は、私がいなくても変わり続けている?
私の影響は、まだ残っている?
それとも……
彼女は、もう私のことなど必要としていない?
バッグのストラップを握る手に、力が入る。
気づけば、足はもう次の目的地へ向かっていた。
——ジムへ。
---
彼女は、半年以上ぶりにジムの自動ドアをくぐる。
戸惑いとともに、かつての日常がふいに蘇る。受付に並びながら、自然と足元へ視線を落とした。
(私は、何を確かめに来たの?)
この場所は、かつての自分の居場所だった。
剃髪フェチに浸り、自分の手で人を変えられることに優越感を覚えていた。特に、あの子——今はどうしているのだろう?
あの子に「剃ること」を教え、導いたあの日。 それは、確かに特別な瞬間だった。
だが、新しい恋人ができたことで、すべてが変わった。
「人を変えようとする癖があるよね」
そう指摘され、彼女は自分の行動を振り返った。
「自分は変わらなきゃ」と思った。剃髪を遠ざけ、SNSも整理し、すべてを封印した。
普通の社会人として、穏やかな生活を送ることを選んだ。
(私は、もう普通の社会人として生きている。)
新しい環境にも慣れた。恋人との時間も、悪くない。
(でも、それで満足していたはずなのに……。)
ジムの雰囲気が、以前とは違って感じられた。 活気がある。しかし、何かが異質だった。
ふと視線を上げると、利用者たちの目線がある一点に集中している。
彼女も、自然とそちらに目を向けた——。
***
そこにいたのは、かつて自分が導いたはずのあの子——。
だが、もう「あの子」とは呼べなかった。
スキンヘッドのまま、誰よりも堂々とした立ち姿で、ジムの中心にいる。
かつての彼女は、どこか頼りなく、導かれることを求める存在だった。 しかし、今目の前にいるのは——
まるで別人だった。
それだけではない。
彼女の周囲にいるジムの利用者たちが、彼女に敬意を払っている。
視線の集まり方が違う。
以前なら、周囲の人々はあの子のことを「興味本位」で見ていた。 しかし今は違う。
憧れが宿っているのだ。
まるで、このジムの象徴のような存在になっている。
(……何? これは。)
胸が締めつけられる。
まるで、別世界を見ているようだった。
(あの子は、私がいなくても変わり続けている?)
それどころか——
(もはや、あの子は私の知らない存在になってしまった?)
***
そのとき、あの子と視線が合った。迷いなくこちらへ歩いてくる。
まるで「再会を待っていた」かのように。
余裕のある笑みを浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。
「久しぶりですね。」
彼女は答えられなかった。
目の前にいるのは、本当にかつて自分が導いたあの子なのか?
(私が変えたはずの子が、なぜこんなにも余裕のある表情をしているの?)
言葉を探すように、思わず口を開いた。
「……どうして、そんなに変わったの?」
あの子は静かに微笑む。
「あなたが、私を変えたんでしょう?」
その言葉が、胸の奥に鋭く刺さる。
そしてあの子は続けた。
「でも、今の私は、あなたの言葉を待っているわけじゃない。」
「あなたが変えた私が、今はあなたを変える立場になったんです。」
その静かな確信に、彼女の心が揺らぎ始める。
(私は、導いたつもりだった。でも、彼女は……私を超えている?)
***
(私は、本当に「変えようとする癖」を捨てられたの?)
(私は、普通の社会人になろうとした。でも、彼女は……?)
彼女は、ただ普通に生きようとしていた。
けれど、あの子は「変わること」を選び続けた。
(私が、あの子を変えたはずだったのに……なぜ、私は変わっていないの?)
あの子は静かに問いかける。
「あなたは、変わることを怖がっているんじゃないですか?」
「……私はもう、そんなことをする立場じゃない。」
彼女はそう答えながらも、自分が言葉に詰まっていることに気づく。
かつて恋人に言われた言葉が、頭の中でよみがえる。
「誰かを変えようとするのは、やめたほうがいい。」
「あなたは、自分自身を見つめるべきだ。」
彼女は、それを受け入れたはずだった。
なのに、今、目の前にいるあの子は——**「変わること」を続けていた。**
(私が、この子を変えたんじゃない。この子は、自分で変わった。)
その事実に、彼女は気づく。
---
彼女は、無意識に自分の髪に手をやる。
その仕草を見て、あの子は静かに微笑む。
「試してみたらどうですか?」
「あなたも、私のように『無駄を削ぎ落とす』覚悟を。」
その言葉を聞いた瞬間、彼女の心が揺れる。
それはかつて、彼女自身があの子に向かって言った言葉。
でも今、それを向けられているのは自分だった。
彼女は、ゆっくりと頷く。
「……あなたの言う通りかもしれない。」
「私が、変わらなきゃいけないのかも。」
それは、敗北ではなかった。
彼女自身が、「変わる」ことを選んだ瞬間だった。
***
ジムのロッカールームの奥、施術室のような小さな個室。 普段はトレーニング後のケアやストレッチに使われるこの部屋に、二人だけの静寂が満ちている。
彼女は、鏡の前の椅子に座り、目を閉じる。
バリカンの振動が頭皮に伝わり、ジョリジョリと刃が髪を刈る音が響く。襟足から刃が滑り、長年馴染んだ髪が肩に落ちる。
かつて、自分が施した光景を思い出す。 だが今は、自分がその立場にいる。
(私は……変わる。)
バリカンが全体を刈り終えたとき、その手は止められた。
鏡を見ると、バリカンで刈り揃えられた短い髪の名残が残っている。 しかし、すでにシェービングジェルを塗る準備が進められていた。
「もう少し、仕上げをしましょう。」
ジェルが頭皮に馴染み、ひんやりとした感触が広がる。 彼女は無意識に身を強張らせるが、次の瞬間、カミソリの刃が頭皮の上を滑る感覚が伝わってきた。
(……!)
バリカンとは違う。 刃が肌に直接触れ、一本一本を削ぎ落としていく感覚。 それはまるで、「古い自分を削り落とす」ようだった。
丁寧に滑らせるように剃られていく。 額から後頭部へ、耳の周り、襟足のラインまで、ゆっくりと。 カミソリの刃が通るたびに、肌が滑らかになっていくのがわかる。
**シャッ、シャッ……**
部屋に響くのは、カミソリが肌を撫でる音だけ。 その音が、彼女の心を落ち着かせていく。
(私は……こんなにも変わることを求めていたのか?)
かつてあの子を剃ったとき、彼女は確かに快感を覚えていた。 しかし今、それをされる側になり——それが、意外にも心地よいと感じている自分に気づく。
すべて剃り終え、温かいタオルで優しく頭が拭われる。 鏡の中の自分を見つめる。
完全なスキンヘッド。 何もない、まっさらな自分。
指先をそっと滑らせる。 つるつるとした感触が、心の奥まで響く。
思わず、口元に微笑みが浮かんだ。
***
施術室の扉を開け、ロッカールームへ戻る。
彼女が通るたびに、視線が集まるのを感じる。 誰もが無意識に目を奪われた。
——二人目のスキンヘッド。
かつて「スキンヘッドの彼女」はジムで孤高の存在だった。 憧れの対象でありながら、誰も彼女のようにはなれなかった。
だが今、その隣にもう一人のスキンヘッドが現れた。
それが何を意味するのか、ロッカールームにいる女性たちはすぐに理解する。
「ねえ……」
控えめな声が、彼女たちの後ろから聞こえた。
振り向くと、そこにはかつて 「スキンヘッドに興味がある」と話しかけた女性が。
「……私も、やってみたい。」
私は、ただ静かに微笑む。
——すべては、ここから始まる。