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ツルツルのままで、ひとり

朝、目が覚めると、自然と頭に手が伸びる。

柔らかく指が滑るツルツルの頭皮。


(昨日で、最後の施術が終わったんだ)


確かに実感しているはずなのに、何かが違う気がする。

これまでなら、指先にわずかでもザラつきを感じたら、「剃らなきゃ」と思ったはずだった。

でも、もうその必要はない。


考えるまでもない。

これから先、私は何もしなくてもツルツルのまま。


そう思いながら、ベッドから起き上がり、鏡の前に立つ。

映る自分は、いつも通り。

指でそっと撫でる。


(……いつも通り、ツルツルだ)


当然だ。

もう生えてこないんだから。


なのに――何度も確認してしまう。

以前なら、剃った直後に一度触れるだけだったのに、今は何度も指を滑らせてしまう。

まるで、そこに何かを求めているかのように。


---


いつものように、ジムへ向かう。

ここでは、すべてが変わらない。

変わらない場所に行けば、自分も「変わらない」と思える気がした。


更衣室で準備をしていると、彼女の姿が見えた。

プールから上がってきたばかりで、濡れた髪をタオルで拭っている。


「こんばんは」


「こんばんは」


軽く挨拶を交わしながら、彼女がこちらを見て、笑顔を浮かべる。


「つるつるね」


いつもの仕草で、私の頭を撫でる。

けれど、今日はなぜか、その動作が「確認作業」のように思えてしまった。


「もう剃らなくてもいいの?」


「うん。もうずっとこのまま」


そう答えると、彼女は満足そうに微笑む。


「いいじゃない。ずっとツルツルのままでいられるって、最高じゃない?」


その言葉に、私の胸が熱くなる。

(これで、私は彼女が望む姿になれたんだ)


この状態は、彼女のために手に入れたもの。

もう二度と髪が生えないということは、「ずっと、彼女の求める姿でいられる」ということ。

それはつまり――


「ねえ、どう? 剃らなくなって、楽になった?」


ふいに彼女が問いかける。


「うん……楽にはなったかな」


「そうよね、もう何もしなくてもずっと綺麗なままでいられるんだから」


彼女の言葉に、私は頷く。


(これで、いいんだ)


これで、彼女が望んだ私になれた。

だから、これでよかったんだ。


---


プールに向かう途中、更衣室でシャワーを浴びていると、隣のシャワーブースから声がした。


「ねえ、ちょっと聞いてもいい?」


振り向くと、同じジムの会員らしい女性が、タオルで髪を拭きながらこちらを見ていた。

見たことのある顔だったが、これまで話したことはなかった。


「あの……もしかして、VIOも永久脱毛されてます?」


思わぬ質問に、一瞬戸惑う。

けれど、彼女の視線は遠慮がちで、探るような雰囲気があった。


「……はい、しています」


そう答えると、彼女は少し安心したように頷いた。


「そっか。私、今VIO脱毛を考えてるんだけど、やっぱりやったほうがいいかなって思ってて……」


「楽になりますよ」


私は淡々と答える。


「そうなんですね……やっぱり、一度やっちゃうと生えてこなくなるんですか?」


「回数を重ねるごとに、生える範囲が減っていって、最終的には完全になくなります」


「へえ……」


彼女はシャワーの水を止めながら、少しだけ考え込むような表情をした。


「……でもさ、やっぱり全部なくなるのって、ちょっと怖くない?」


私は、その言葉の意味を測りかねた。

彼女は本当にVIOの話をしているのか――それとも、別のことを言いたいのか。


「私は、もうずっとこのままですけど……特に不便は感じてません」


「そっか……まあ、VIOは考えてるんだけど、やっぱり頭は……ね」


彼女は苦笑しながら、軽く髪をかき上げた。

その仕草の裏に、微妙な距離感を感じる。


(VIOはいいけど、スキンヘッドは無理……か)


たぶん、彼女は直接それを言いたかったわけじゃない。

でも、そう思っていることが伝わってくる。


「VIOは、ツルツルのほうがいいかなって思うんだけど……頭までツルツルなのって、なんか……」


彼女は言葉を濁した。


「……やっぱり勇気いりますよね?」


私が淡々と返すと、彼女は少し驚いたように目を瞬かせ、それから苦笑した。


「うん……まあね。私には、ちょっと無理かな」


会話は、それで終わった。

彼女はまた普通に笑いながらタオルを巻き、シャワールームを出ていく。


けれど――私の中には、妙な感覚が残った。


彼女は、VIOは「ツルツルでもいい」でも、「頭は無理」だと感じていた。


(私は……この頭を、どう思われてるんだろう?)


自分では、ずっと「綺麗になった」と思っていた。

彼女も「完璧ね」と言ってくれた。

だから、それが正しいと信じていた。


でも、それは彼女が言ってくれるから。

彼女が「美しい」と思ってくれるから、私はこの頭でいられる。


けれど――


もし、彼女がいなくなったら?

彼女の言葉がなくなったら?

「ツルツルね」と言ってくれる人がいなくなったら?


私は、シャワーの水を止めた。

冷たい水滴が頭皮を伝う感触が、いつもよりはっきりと感じられた。


---


ジムの自動ドアが開く。

冷房の効いた室内に、プールの消毒液の香りが微かに漂う。


着替えを済ませ、いつものように更衣室を出る。

そのままプールサイドへ向かうと、無意識に視線が泳いだ。


――彼女は、どこにいる?


ロッカールーム、プールサイドの椅子、いつも泳いでいるレーン。

探しているつもりはなかった。

けれど、気づけば視線が彼女を追っていた。


だが、いない。


(今日は、たまたま休みかな……?)


そう思い、特に気にしないようにした。

彼女がいない日も、たまにはある。

仕事が忙しいのかもしれないし、ただの偶然かもしれない。


そう――このときは、深く考えなかった。


しかし、翌日も、その翌日も、彼女の姿はなかった。


いつもなら、プールに入れば自然と目に入るはずだった。

更衣室でも、帰り際のロビーでも、必ずと言っていいほど顔を合わせていた。


けれど、その日もいなかった。

ロッカールームの彼女がいつも使っていた番号を、無意識に見てしまう。

けれど、そのロッカーは閉じられたままだった。


(こんなこと、今までなかったのに……)


それでも、最初は気にしないようにした。

彼女には彼女の予定がある。

仕事が忙しいのかもしれないし、たまたま別の時間帯に来ているのかもしれない。


しかし――


1週間が経過すると、さすがに違和感を覚えた。


彼女と親しげに話していたジムの会員に、それとなく尋ねる。


「最近、あの人見ないですよね?」


「え? そういえば、もうしばらく来てないね」


その返答を聞いた瞬間、胸の奥がざわつく。


(そんな……いつもいたのに)


彼女がジムに来ることは、当たり前だった。

それが、いつの間にか姿を消している。


(どういうこと……?)


ジムを出たあと、スマホを取り出し、彼女のSNSを開く。

しかし――


「ユーザーが見つかりません」


その表示が出たとき、一瞬呼吸が止まる。


(……え? なんで?)


つい最近まで投稿していたはずだった。

たまに、プールの写真や何気ない日常を載せていた。

なのに、それがすべて消えていた。


もしかして、アカウント名を変えただけかもしれない。

そう思い、何度も検索してみる。


けれど――見つからない。


「まさか……」


自分から、距離を置こうとしている?


その考えが浮かんだ瞬間、心臓が強く締め付けられる。


急いで彼女にメッセージを送る。

「元気ですか?」

「最近ジムで会いませんね」

「お仕事忙しいですか?」


送信済みの表示が出るが、既読にならない。


最初は、「たまたま返信が遅いだけ」と思っていた。

でも、次の日も、その次の日も、返事は来なかった。


(……どういうこと?)


以前は、剃ったことを報告すればすぐに返信があった。

「いいじゃない!」と笑顔のスタンプが返ってきた。


それなのに、今は何を送っても沈黙だけが続く。


画面を何度も見つめる。

通知を待ち続ける。


けれど――


彼女からの反応は、どこにもなかった。


(彼女は……いなくなったの?)


その事実を受け入れられないまま、ただ時間だけが過ぎていく。


---


ジムへ行くたび、彼女の姿を探してしまう。

更衣室、プール、トレーニングルーム――どこにもいない。


気づけば、「泳ぐこと」ではなく、「彼女を探すこと」が目的になっていた。


これまでは、「ここに行けば彼女がいる」と信じていた。

それが、いつの間にか崩れ去っていた。


(私は、誰のためにツルツル頭にしたの?)


永久脱毛をしたことで、もう剃る必要はない。

それなのに、無意識に頭に手を伸ばしてしまう。


彼女に褒められるために剃っていた。

彼女が「ツルツルね」と言ってくれるから、そこに意味があった。


でも――


もう、その言葉を聞くことはできない。


スマホを何度も開いてしまう。


「彼女から返信が来るかもしれない」

「SNSが復活しているかもしれない」


そんな期待を持ちながらも、画面は変わらない。

何度リロードしても、通知はない。


ジムという場所が、ただの「彼女を探す場所」になってしまう。

泳ぐ気にもなれない。

体を動かしても、達成感を感じない。


彼女がいないと、すべてが意味を失っていく。


---


ある日、ふとシェーバーを手に取る。


これまで、当たり前のように剃っていた。

けれど、もうその必要はない。


それでも――


試しに電源を入れる。


「ジョリジョリ……」


けれど、何も剃れない。

シェーバーの刃が頭皮の上を滑るだけの感触しかない。


(……あれ?)


今さら気づいたように、胸がざわつく。


剃るという行為そのものが、もうできない。


分かっていたはずだった。

それなのに、なぜか強烈な違和感が押し寄せる。


鏡を見つめるといつも通りのツルツルの頭。

何も変わらない。


なのに、何かが決定的に違う気がした。


(私は、これを維持するだけの存在になった……?)


永久脱毛することで、「彼女に見てもらう」という実感を得ていた。

でも、それができなくなった今、何をすればいいのか分からない。


無意識に頭を触る。

何度も、何度も、ツルツルの感触を確かめる。


それでも、何も変わらない。


それが、たまらなく苦しい。


(剃りたい……)


けれど、剃ることができない。


もう剃らなくてもいいはずなのに。

もう、何も変わらないはずなのに。


なのに――


何かが足りない。


何かが、抜け落ちてしまったような気がする。


---


夜、部屋の中に響くのは時計の針の音だけだった。

机の上に置かれたスマホの画面は暗く、通知はない。

もう何日も、彼女からの返事はないままだった。


ふと私は立ち上がり、部屋の隅にある姿見の前に立つ。

蛍光灯の光を反射する、ツルツルの頭皮。

鏡に映る自分をじっと見つめる。


何も変わらない。


(私は、ずっとこのままなのに)


指先をそっと頭に滑らせる。

いつも通りのツルツルの感触。

それは変わらないはずなのに――

どうしようもなく、違和感があった。


これまで、ツルツルの頭を彼女に見てもらえた。

「つるつるね」と言って、頭を撫でてもらえた。

「最高ね」と笑顔を向けてもらえた。


けれど、今は違う。

彼女はもう、どこにもいない。


(彼女のために、ここまで変わったのに……)


けれど、もう私は何も変えられない。

永久脱毛を終えた今、この頭は二度と戻らない。


それが、どこか恐ろしかった。

まるで、時間が止まったかのように。

変化することができなくなった「確定された自分」。


頭を撫でる指が、わずかに震える。


何かが足りない。


何かが――満たされない。


そして、その瞬間、心の奥で何かが弾けた。


(それなのに……私は、まだ剃りたいと思っている?)


以前なら、剃りたくなれば剃ればよかった。

そのたびに「ツルツルになった」と実感し、彼女に見てもらえた。

けれど、今はもう剃ることができない。


このツルツルは、剃ったから得られたものではない。

ただ、何もしなくても続いてしまうものになった。


ならば――


「私はもう、剃られる側じゃない」


鏡に映る自分の姿を見つめながら、思考が絡み合う。


もう私は、「剃る」ことができない。

それなら――

剃ることができないなら、誰かを剃ればいい。


その考えが浮かんだ瞬間、喉の奥が震えた。


(剃る側に回れば、私の欲求は満たされる……?)


思い浮かんだのは、彼女の姿だった。


バリカンを手に取り、私の髪を刈っていたあの瞬間。

優雅に、楽しむように剃り落としていった彼女の手つき。

剃られる側だった私は、ただ静かにそれを受け入れていた。


けれど――


今なら、その感覚を味わう側になれる。


彼女がそうしていたように。

私も、誰かを剃ることができる。


(私も、あの感覚を味わってみたい)


彼女が私を剃ったときのあの充足感を、私も体験できるのではないか?

そう考えた瞬間、無意識に唇がわずかに震えた。


---


ジムの更衣室で、髪を整えている女性の姿が目に入る。

ドライヤーをかけながら、鏡を覗き込んでいる。


いつもなら、気にも留めなかった。

けれど、今日は違う。


これまでは、ただ彼女の姿を探していた。

でも、今の視線は――


「剃る対象を探す目」になっている。


(この人は……?)


鏡の前で、慎重に髪の毛をセットしている。

まるで、それが彼女にとって大切なもののように。


以前の私も、剃る前はそうだったのだろうか。

少しでも剃るタイミングが遅れれば、「そろそろ剃らなきゃ」と思っていた。


けれど今の私は、それすら必要ない。


視線をそらさずに、彼女の仕草を見つめる。


(剃ることを提案すれば、受け入れるかもしれない)


いや、たとえ受け入れなくても――


私が望めば――。


その考えが浮かんだ瞬間、心の中で何かが決まった。


(剃りたい。でも、剃れない。剃るためには――どうすればいい?)


鏡に映るツルツルの頭を見つめながら、無意識に手が震える。

これまでなら、剃りたくなれば剃ればよかった。

でも今は、その行為すら奪われている。


(このままずっと、何も変わらずにいるしかない?)

(彼女のためにツルツルでいたはずなのに、彼女はいないのに?)


なら――


「私は、剃る側になる」


かつての彼女のように。

彼女が私を変えたように、今度は私が誰かを変える。


(剃られる側だった私は、今度は剃る側になる)


その考えが浮かんだ瞬間、心臓が強く打った。


(彼女の手が、私の髪を刈るときの感覚……あの気持ちを、私も知りたい)

(私も、あの感覚を味わってみたい)


そう考えたとき、喉の奥が震えた。


(私は、何をしようとしている?)


それが、唯一の答えに思えた――いや、


そう思い込もうとしているだけではないか?


---


(この人を剃ったら……?)


もし、剃らせてくれるなら――

もし、彼女の髪が自分の手で刈り取られるなら――


一瞬の想像に、背筋が冷たくなった。


(……なに考えてるの、私)


目を逸らし、気づかれないように息を吐く。

そんなこと、するはずがない。

してはいけない。


だが、頭の奥底に、その考えが浮かんでしまったのは事実だった。


彼女に見てもらうために剃ることは、もうできない。

でも、それでも剃りたいと思っている。

誰かを剃れば、その快感を取り戻せるのではないか?


その考えに、自分自身が驚く。


(私は、一体何になろうとしてる?)


かつては「彼女に見てもらうために剃る」ことがすべてだった。

でも、今は――「剃る」という行為そのものが欲しくなっている。


それは、以前の自分ではなかった。

それなのに、剃ることを求めてしまう。


そして、その事実が、怖かった。


---


剃る衝動に飲み込まれるのが怖くて、何か別のことで気を紛らわせようとした。

そんなある日、プールで泳いでいると、ふと気づく。


「水の中にいるときだけは、何も考えなくていい」


プールの冷たい水が、思考をかき消してくれる。

頭の表面を撫でる水流が、心を落ち着かせる。


そういえば、彼女に剃られた直後も、水の感触がいつもより鮮明だった。

あのとき、ツルツルの肌に直接触れる水が心地よかった。

まるで、それが「剃ること」の代わりになるように――。


(剃ることを求めるくらいなら、もっと水泳にのめり込めばいい……)


そう考えた瞬間、少しだけ息が楽になった気がした。

水に包まれている間は、剃ることを考えずに済む。

それなら、できるだけ水の中にいればいい。


それ以来、私は意識的に水泳の時間を増やすようになった。


---


泳ぎ続けるうちに、次第に気づくことがあった。


これまでは、剃ることが「自分を変える行為」だった。

でも今は、泳ぐことが「自分を変える行為」になりつつある。


トレーニングを積み重ねるたび、身体が引き締まり、筋肉がついていく。

鏡に映る自分の姿は、少しずつ変わっている。


(変わり続けることができる――)


それが、新しい満足感を生み出し始めた。

「剃ることで得られた快感」は、肉体の変化でも代替できるのではないか?


そう思うと、剃ることを考える時間が少しずつ減っていった。


---


ある日、プールでトレーニングを終え、水から上がると、不意に声をかけられた。


「すごいですね。いつもめちゃくちゃストイックに泳いでますよね」


振り向くと、ジムの会員らしい女性が、プールサイドに立っていた。

ショートカットの髪を水で濡らしながら、興味深そうにこちらを見ている。


「……ああ、ありがとうございます」


戸惑いながらも軽く答える。

こんなふうに知らない人から声をかけられるのは、彼女と話すとき以外ではなかった。


「私、最近ジムに通い始めたんですけど、水泳ってやっぱり効果あります?」


「そうですね。全身運動になりますし、体型維持にはいいと思いますよ」


自分の口から、こうした助言めいた言葉が出ることに、どこか不思議な気分を覚える。

まるで、かつての彼女がしていたような受け答えをしているようで。


「やっぱり、ちゃんと続けたら違うんですね……」


女性はふと、じっと私を見つめる。

そして、躊躇うように言葉を選びながら、口を開いた。


「その……すごく綺麗ですよね」


一瞬、どう返せばいいのかわからなくなった。

何が「綺麗」なのか、咄嗟に理解できなかったからだ。


「えっと、頭のことですか?」


「……あ、はい。そうです」


女性は少し気まずそうに笑い、視線を逸らす。


「なんていうか……すごく整ってて、ツルツルで。ちゃんとお手入れしてるんだなって……」


おそらく、褒めようとしているのだろう。

けれど、その言葉の裏には、ほんのわずかに距離を感じた。


まるで、「自分にはできないことを、あなたはやっている」と言われているような――

あるいは、「普通はやらないことを、あなたはやっている」と言外に示されているような。


「私はもう、剃る必要がないので……これが普通になりましたけど」


「そっか……そっちの方が楽なんですか?」


楽――


そう聞かれて、私は少し言葉に詰まる。

楽になったか?

確かに、もう何もしなくてもツルツルのままでいられる。


でも、その楽さは、剃る行為そのものが消えたことの楽さではない。

ただ、もう戻れなくなったことを受け入れるしかない――そういう意味での「楽さ」だ。


それを、どう説明すればいいかわからなくて、結局「そうですね」とだけ答えた。


女性との会話は、それで終わった。

彼女は少し笑って「頑張ります」とだけ言い残し、更衣室へと向かっていった。


それを見送りながら、私はふと、自分の手が頭に伸びていることに気づいた。

無意識に、何度も撫でてしまっていた。


---


これまで、「ツルツルでいること」を肯定してくれるのは、彼女だけだった。

彼女が「最高ね」と言ってくれたから、自分はこの状態でいられた。


けれど、他の人の視線は違う。

それは、純粋な「憧れ」ではなく、どこか戸惑いを含んだものだった。


「VIOはいいけど、頭は無理」

「勇気がいる」

「さすがに……」


言葉の端々から伝わる微妙な感覚。


この頭は「綺麗」と言われる。

でも、「普通」ではない。

そして、それを選んだ自分も――。


(大丈夫。彼女は『最高ね』って言ってくれたんだから)


そう、自分に言い聞かせる。


だが、彼女はもういない。

「最高ね」と言ってくれる人は、もういないのに。

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