第九十八話 モブ兵士、少し本気を出す
夕方。
橙色を塗り潰すかのように、空が赤く染まっていく。
再び顔を出した赤き月は、昨日よりも禍々しく見えた。月に意思などあるはずもないが、赤き光をまき散らす姿は、まるで憎悪に支配されているようだ。
俺は、入念に研いだ剣を鞘に戻し、騎士団のキャンプを離れた。
すでに、周辺の人払いは済んでいる。俺が心置きなく戦うために、エルダさんが無理を言って、全軍を下がらせてくれたのだ。
カグヤを相手にしたときの、陣形の無意味さを説いたらしい。今は、王都を囲うように待機してもらっている。説得は骨が折れただろう。本当に、感謝してもし切れない。
深く呼吸をして、俺はカグヤがいる塔へと近づいていく。
できることはやった。考えられるだけ考えた。あとは、俺がカグヤと全力でぶつかるだけ。
ここまでやって駄目なら、そのときは仕方ないと言い切れる。
「……約束通りだな」
ゆっくりと、塔の上からカグヤが舞い降りる。
赤き月を背負った彼女は、神と見間違うほどの美しさだった。
ネフレンが神を見たという気持ちも、少しだけ分かる。
「何か、いい解決策はあった?」
「ああ、まあな。そのためにも、まずはお前に大人しくなってもらう必要がある」
そう言いながら、俺は剣を抜いた。
一瞬、驚いた様子を見せたカグヤだったが、すぐに笑みを浮かべる。
「そういえば、前に言ったわよね。アナタの本気が見たいって。今日は、そのお願いを聞いてくれるってことでいいのかしら?」
「さあな。本気になる必要があれば、おのずと見られるだろうよ」
「あら、挑発みたいね」
「そう取ってもらって構わない。こんなときに悪いけど……柄にもなく、ワクワクしちまってるんだ」
カグヤを助ける。その目的を忘れているわけではない。
ただ、この世界に来てから一度も、俺は全力で戦ったことがなかった。
レベルをしっかり上げて、余裕をもって敵を倒すのが、俺のプレイスタイルではあるのだが、たまには血沸き肉躍る戦いに身を投じてみたい。
カグヤが相手なら、それが叶うかもしれない。
「ふふっ、ふふふ……悔しいわ。アナタとは、私のままで戦いたかった」
「今を生き残れば、いずれ叶うさ」
「そうね……その通りだわ」
赤き光に照らされ、カグヤの姿が変化していく。
白き髪に、黒き肌の異形――――〝月に吼えるもの〟となったカグヤは、俺を遊び相手として認めたのか、歓喜の叫びをあげた。
――――さあ、遊びましょう。
どこからか、そんなカグヤの声が聞こえた気がした。
「ああ、とことん遊んでやる」
「アァァアアアアアアアアァァァ!」
叫び声と共に、カグヤから魔力が溢れ出す。
さて、かっこつけて啖呵を切ったはいいが、俺も気を引き締めなければ。
今のカグヤの魔力量は、俺の想像を遥かに超えている。
少なくとも、俺の〝魔力領域〟で魔術を封じ込めるのは、不可能と言っていいだろう。
まあ、だからって他に取れる手段もないのだが。
「〝魔力解放〟」
解き放った魔力が、カグヤの魔力を押し返す。
それに気圧されたのか、カグヤの顔が少し歪んだ。
「行くぞ……!」
膨大な魔力によって強化された体は、カグヤとの距離を瞬時に詰めた。
魔術を発動する隙を与えない。それが、〝重力魔術〟への対策だ。
カグヤが後ろに退こうとするのに合わせて、さらにもう一歩踏み込む。それと同時に、剣を振り抜いた。
駆け抜けた刃が、カグヤを袈裟懸けに斬る。肩から脇下にかけて線が走り、血が噴き出した。
「イ――――イヤァアアアアア!」
自分から流れ出る血を見て、カグヤが悲鳴を上げる。
瓦礫を積み上げて遊んだり、痛みに泣き叫んだり。
今のカグヤは、まるで子供のようだ。これでは、やりにくいったらありゃしない。
「ウウウゥゥゥゥ」
唸ると共に、カグヤの胸の傷が塞がっていく。
ツギハギ以上の再生力。なるほど、自分じゃ死ねないわけだ。
「ダァ!」
カグヤが俺に手をかざす。〝重力魔術〟の発動を予感した俺は、さらに魔力を解放した。
カグヤの魔術は、距離が離れるにつれて効果が弱まっていく。
それは、距離が遠いほど、魔力操作の難易度が上がっていくためである。
よって、〝魔力領域〟でカグヤの魔力を拒むことで、〝重力魔術〟の効果範囲を、限りなく狭めることにした。
俺が動かないことに顔をしかめたカグヤは、苛立った様子で吼える。
そしてもう片方の手を突き出すと、そこから魔力の塊を撃ち出してきた。
「ゼレンシア流剣術――――〝独楽噛み〟!」
魔力の塊を斬り裂き、そのままカグヤに向かって跳びかかる。そして真っ直ぐ刃を振り下ろすと、カグヤは後ろに跳んで回避した。
「ゼレンシア流裏剣術――――」
体を捻り、溜め込んだ力を、距離を取ったカグヤ目掛けて放つ。
「〝青天一閃〟!」
剣を振り抜くと、それによって生まれた斬撃が、カグヤの胸を真一文字に傷つけた。
夥しい量の血が噴き出し、痛みによる絶叫が響く。ツギハギが相手なら、これで終わりだ。
しかし、さすがはカグヤ。これほどの傷でも、すぐに再生してしまう。
「アハァ!」
どうやら、新しい遊びを思いついたらしい。
突然、カグヤは己の左腕を引きちぎる。すると、その左腕がボコボコと変形し始め、やがてひと振りの剣となった。
理屈は分からないが、肉体を変形できるということが分かれば、今はそれでいい。
「イヒッ」
楽しげに笑ったカグヤは、剣を振りかぶりながら、俺に向かってきた。
いつの間にか、左腕が再生している。まったく、厄介なことこの上ない。
「上等だッ!」
剣と剣が、激しくぶつかり合う。
衝撃が駆け抜け、地面が大きくひび割れる。
木々が仰け反り、雲が吹き飛ぶ。
耳をつんざくほどの金属音が鳴り響き、それ以外のすべての音が、一瞬消え去った。
やがて、音が戻ってくるのと同時に、俺たちの体は、それぞれの方向に弾き飛んだ。
「くっ……」
痺れる腕を押さえ込む。
剣術のけの字もない、ただの力任せな一撃で、これだけの威力を生むなんて。
「アハッ! アハハハハハァ!」
カグヤは、心底楽しそうに笑っていた。
俺と戦うことが、そんなに楽しいか。
暢気なことを言っていられる場合じゃないが、正直なところ、嬉しい。
「モット……モットォォォォ!」
カグヤが剣を振り回し、俺がそれを捌く。
次第に息が合い始め、まるで舞を踊っているかのように、規則正しい金属音が響いていた。
俺という男は、なんて不謹慎なのだろう。世界の命運をかけた戦いといっても過言ではないのに、今が楽しくて仕方がない。こんな時間が、もっと続けばいいのにと思ってしまう。
「ああ、もっと遊ぼうぜ……!」
互いに歯を見せあい、剣をぶつけ合う。
ひと際強い衝撃が駆け抜け、俺たちは再度距離を取った。
カグヤが剣を振り上げると、その刃に黒い魔力が集まっていく。
俺は小さく息を吸い、剣に魔力を込める。
「ゼレンシア流裏剣術――――〝魔神白滝〟!」
お互いに、溜め込んだ魔力を斬撃に載せて放つ。
魔力と魔力がぶつかり合い、混じり合い、そして弾ける。
光が視界を包み込み、やがてすべてが収まる。
立っているのは俺だけだった。




