第九十六話 モブ兵士、塔を登る
カグヤが塔の上に姿を消してから、数時間が経過した。
現在、カグヤは完全に沈黙しており、ただそこにいる気配はあるものの、動く様子はまったくなかった。
下手に刺激し、再び暴れ出すことを避けるため、騎士団は第一戦闘配備を発令し、カグヤがいる塔をぐるりと囲む形で、勇者を待機させている。
「おい、二人とも」
いつでも飛び出せるよう待機している俺たちのもとに、エルダさんが現れた。
ずいぶん魔力も回復したようで、顔色が良くなっている。
「少しいいか?」
「はい、大丈夫です」
エルダさんに誘導されるまま、俺たちは人気のないところに移動した。
人目を憚るということは、カグヤの正体を知る者だけで話したいということだろう。
「協議の結果、カグヤを暫定的に〝レベル5〟とし、ゼレンシア王国全勢力を持って、討伐することが決まった」
俺とシャルたそが、息を呑む。
全勢力ということは、現在任務に当たっている勇者たちを強制招集し、カグヤ討伐のために働かせるということ。
分かっていたことではある。二級以上の勇者を一瞬で蹴散らし、数分で更地を作り上げるような存在を、放っておくわけにはいかない。
ブレアスの本編でレベル5と定義されたのは、いずれ出てくるであろう〝パンデモニウム〟の親玉のみ。
つまり、カグヤの暴走は、世界滅亡の危機と同等と見なされているのだ。
「カグヤを討伐……そんなことできるの?」
「今のままでは、我々が蹂躙されるだろうな。やつの力は異常だ。現役の特級勇者でも、束にならねば足元にも及ばん。……むろん、貴様がいれば話は別だが」
エルダさんに視線を向けられ、俺は小さく息を吐く。
「俺は、カグヤを討伐なんてしません。なんとしても、元に戻す方法を見つけてみせます」
「ああ、私もそれを望んでいる。しかし、肝心の方法が思いつかないようではな……」
それを言われると、俺も言葉に詰まる。
残念ながら、あれからずっと考え続けても、カグヤを元に戻す方法は思いつかなかった。
「カグヤ、今何してるんだろ」
シャルたそが、瓦礫の塔を見上げる。
ここからでは、頂上の様子はまったく窺えない。
あいつに会うためには、まずこれを登らなければならないのだが――――。
「今のうちに、少しでも様子を探りたいのだが……頂上周辺はやつの魔力が満ちているようだ。一級勇者が接触を試みたが、半分も登れずに気絶してしまった」
「何か、近づく方法はないの?」
「どうだかな……一級勇者の魔力量でも近づけない以上、我々が行っても結果は同じだ」
「じゃあ、シルヴァなら?」
二人が俺を見る。
俺は、改めて塔を見上げた。
「とりあえず、登って様子を見てきます。でも、いつカグヤが暴れるか分かりません。いつでも撤退できる準備をしておいてください」
「分かった。下にいる者たちのことは、私に任せてくれ」
「お願いします。……あいつが暴れ出したら、俺ひとりで戦います」
二人には悪いが、この場にいる者で、今のカグヤと渡り合えるのは、間違いなく俺だけだ。
他に人がいようものなら、庇いながら戦わなければならなくなる。
「……分かった。貴様に従おう」
「ありがとうございます」
――――さて、行くか。
瓦礫をよじ登るために、体をほぐしていると、シャルたそに袖を掴まれた。
「シルヴァ、先に聞いてほしいことがある」
「ん?」
「瓦礫で遊ぶカグヤを見たときに、感じたことがあるの」
続くシャルたその言葉を聞いたとき、俺の目の前に、ひと筋の光明が差し込んだ。
「っ……マジで高いな……!」
瓦礫にしがみつき、俺は懸命に頂上を目指す。
何が刺激になるか分からないため、魔力による強化もしていない。そんな状態で、もう半分を越えた。ふと下を見ると、足元がすくみそうになる。
そうして俺は、休むことなく登り続けた。
しばらくして、ようやく頂上に手をかけた。
「――――あら、ずいぶん遅い登場ね」
瓦礫の山の上に、カグヤはふてぶてしい態度で腰掛けていた。
その姿は、一見いつも通りであるものの、少し小さくなった頭の角が、彼女が魔族になったことを表している。
カグヤは、俺を見つめながら、愛おしそうに目を細める。
「どうやら、今は正気みたいだな」
「ええ。月が見えなくなったら、急に意識が戻ったの」
そう言いながら、カグヤは小さくため息をつく。
「自分が暴れているときのことは、ぼんやりと覚えているわ。騎士団長さんには、悪いことをしたわね」
「安心しろ。エルダさんはそんなことじゃ怒らないから」
「あら、それならもう少し痛めつけてもよかったかしら」
「笑えない冗談はやめろ……!」
俺が怒っているのを見て、カグヤはケラケラと笑う。
ここにいるのは、間違いなく俺の知るカグヤだ。やはり、化物などではない。
「それで、なんの用かしら。私を討伐しに来たとか?」
「バカ言うなよ。……まあ、騎士団はそのつもりらしいけどな」
「ふふっ、勝負になると思ってるのかしら」
「あまりいじめてやるなよ。みんな仕事でやってるんだから」
俺は、カグヤの隣にあった瓦礫に腰掛ける。
塔から見える景色は、緑に溢れ、どこまでも美しく映った。
こうして二人でそれを眺めていると、昨晩のことを忘れてしまいそうになる。
「そうだ。お前、レベル5だってさ」
「ふーん? レベル5で収まると思ってるのかしら。私を舐めてるわね」
「そこかよ」
俺が鼻で笑うと、カグヤは身をかがめて、顔を覗き込んできた。
「ねぇ、ダーリン」
「なんだよ」
「私を、殺してくれないかしら」
カグヤは、そう言って笑みを浮かべた。




