第九十一話 モブ兵士、飛ばされる
「……どうなってんだ?」
カグヤそっくりというか、もはや瓜二つ。
何が来てもいいよう、警戒していたはずなのに、頭が一瞬真っ白になってしまった。
「お、おい! お前誰だ!」
そう職員が叫んだことに、俺はギョッとする。
「彼女はベクターじゃないんですね?」
「ええ、ベクターは男ですし、左手に火傷の痕があるから、間違えようが……」
「チッ、気づかれたってことか」
何はともあれ、あのカグヤもどきには訊きたいことがある。
ベクター、もといネフレンに繋がる糸口として、ここで確保しなければならない。
「シルヴァ、逃げようとしてる」
焼却炉の先に、裏口があった。
カグヤもどきは、そこに向かって走り出す。
「逃がすかよ……!」
追いかけようとした瞬間、焼却炉の中から、炎に包まれたツギハギが飛び出してきた。
立ちはだかるツギハギに、俺はすぐさま剣を抜き放つ。
「どけッ!」
すれ違いざまに、ツギハギの胴体を斬り裂く。
しかし、急所が違うためか、ツギハギは新たな目玉を開くと、俺に向かって腕を伸ばしてきた。
「ヤーくん!」
ツギハギの胴体に、ヤタガラスの突進が直撃する。
その衝撃によって、俺とツギハギの間に距離ができた。
「ツギハギは、私が引き受ける。二人は、あの人を追いかけて」
シャルたそはヤタガラスと共に、リルを顕現しながら、ツギハギと対峙する。
ツギハギは、決して雑魚じゃない。シャルたそひとりに任せて、大丈夫だろうか。
――――いや、ここは信じるべきだ。
こうしている今だって、シャルたそは進化し続けている。こんな生ける屍に、負けるはずがない。
オタクが推しを信じなくてどうするのだ。俺は迷いを振り払い、裏口に向かって駆け出した。
「カグヤ! 行くぞ!」
「え、ええ……」
動揺しているカグヤを連れていくのは、できれば避けたい。しかし、ここでカグヤを守り切ることができなければ、本末転倒だ。俺の手が届かないところに置いていくことだけは、避けなければならない。
月食が明けるまであと少し。本当に、あと少しなのだ。
「悪い、カグヤ。少し我慢してくれ」
「え? きゃっ――――」
俺はカグヤを抱き上げ、裏口を飛び出した。
月が隠れている今、街灯がない道は闇に支配されていた。
そんな中でも、俺は意識を研ぎ澄まし、カグヤもどきを追い続ける。
ただ、さっきから一向に距離が縮まらない。魔力を纏って身体能力を相当向上させているのに、まったく追いつける気がしなかった。
まさか、外見だけでなく、魔術まで一緒だったりしないよな。
「ダーリン……この先は」
「え?」
建物の屋根を足場に、カグヤもどきが跳び上がる。がむしゃらに追いかけていると、ついに市街地を出てしまった。そして、そのままやつが向かった先は――――。
「……〝月の塔〟?」
天に向かって聳え立つ、カグヤの寝床。
月に照らされているときは、美しくも厳かな印象を与えるが、闇に支配されている今、塔は黒く染まり、近づく者すべてを拒んでいるように見えた。
塔の下にたどりついたカグヤもどきは、俺たちに生気のない視線を向けたあと、ゆっくり浮上していく。
「おいおい、嘘だろ」
嫌な予感が的中した。まさか、〝重力魔術〟まで使えるとは。どう再現したのかは見当もつかないが、魔術までカグヤと同じだと、相当厄介だ。
ただ、俺はまだ〝魔力領域〟を見せていない。無警戒に待ち伏せしてくれたら、むしろこっちが有利なのだが――――。
「……ねぇ、ダーリン? そろそろ下ろしてもらえないかしら」
「あ、悪い」
慌ててカグヤを地面に下ろす。
服の乱れを整えたカグヤは、ホッとしたように息を吐いた。
「こんなこと、アナタじゃなければ許さないんだから」
「そ、そりゃどうも……」
カグヤの頬に、わずかに赤みが差しているような。
なんだか照れ臭くなった俺は、思わず目を逸らした。
――――って、こんなことをしている場合ではない。
「さっさと捕まえてやろう。お前も、このままじゃ気分悪いだろ?」
「ええ。私と同じ顔ってだけでイライラするのに、私の寝床に許可なく足を踏み入れるなんて、万死に値するわ」
間もなく、月が再び顔を出す。
そのとき、カグヤがやり過ぎてしまわないかということだけが、今は心配だった。
中の階段を上り、屋上に出る。
カグヤもどきは、見張り塔としての名残である、胸壁の上に腰掛けていた。変わらず、生気のない目をしている。
そして、そのそばには、もうひとつ人影があった。
「お前がベクター…いや、ネフレンか」
かっちりとしたオールバックに、妖艶さすら覚える端正な顔立ち。
そして、痛々しい左手の火傷の痕。
ドルセンが言っていた印象とは大きく異なるが、こいつは間違いなくネフレンだ。
「いかにも、私がネフレン=ナイアです。こうしてちゃんとご挨拶するのは初めてですね」
否定するわけでもなく、やつはそう言って白々しく礼をした。
洋館事件の日、ランツェル先生に言われて、ダークスパイダーの死体を運んでいった男が、まさか今回の犯人だったとは。
まんまと出し抜かれた気がして、苛立ちを覚えた。
「カグヤ様はともかく、ただの門兵でありながら、よく私のもとにたどり着けましたね。尊敬に値しますよ」
「お前に褒められたって、嬉しくもなんともねぇよ」
剣を抜き、ネフレンに突きつける。
三日間に渡る捜査も、これで終いだ。
「……ダーリン、駄目よ」
「え?」
カグヤは俺の肩を掴み、首を横に振る。
その顔は蒼白になっており、目が恐怖に染まっていた。
こんなカグヤは、この世界に限らず、ゲームの中でも見たことがない。
「今すぐ……ここから離れないと……」
「お、おい!」
カグヤがうずくまってしまう。何がなんだか分からないでいる俺は、寄り添うようにしてしゃがみ込むことしかできなかった。
「私の人形を追いかけてきてくれて、本当に助かりました。カグヤ様には、どうしてもこの時間に、〝月の塔〟にいてもらう必要があったもので」
「っ……どういう意味だ」
「すぐに分かります」
ネフレンが、夜空を見上げる。すると、隠れていた月が、少しずつ姿を現した。
しかし、様子がおかしい。顔を出した月は、いつもの青白い光ではなく、血のような真っ赤な光を放っていた。
世界が、少しずつ赤く染まっていく。
――――これは……一体、何が起こっている……?
ゲームには、こんな展開存在しない。月食が終わり、カグヤは力を取り戻すはずだった。
シナリオがおかしくなっていることは理解していたが、まさか自然現象にまで変化が起きるとは。どうにも理解が追いつかず、頭が上手く働かない。
「カグヤ様は、私の神です」
赤き月を背に、ネフレンが両手を広げる。
「〝月の研究所〟を破壊し、優雅に夜空を舞うカグヤ様……。その姿に、私は神を見ました」
「何、言ってんだ……?」
「しかし、すべてを破壊したあと、神はすぐに身を潜めてしまった。なんと……なんと口惜しく思ったか!」
天を仰ぐネフレンを見て、俺の混乱はさらに加速した。
こいつは、本当に何を言っているんだ?
「……そんな私を見かねたのでしょう。月が、天啓をもたらしてくださったのです」
――――月が姿を消し、三度の夜を越えたあと。赤き光が世界を照らし、魔の者が目覚める。
そう語ったネフレンは、恍惚とした笑みを浮かべた。
魔の者、それはすなわち、魔族のこと。赤き光で魔族が目覚めるということは、最近発生している魔族事件は、赤き月を予兆していたのか?
「いや、そんなことはどうでもいい……お前! カグヤに何をした!」
「私は何も。すべては、我らが赤き月の力です」
赤き月がさらに姿を現すと、カグヤはますます苦しみ始めた。
月がカグヤをおかしくしているのなら、どうすればそれを止められる? 剣を握りしめ、俺は赤き月を睨みつけた。
「あなたには何もできませんよ。赤き月は、ただそこにあるだけ。その光は、魔を呼び起こし、神を再臨させるのです」
「ふざけんな……カグヤが魔族だって言いたいのかよ」
「ええ、その通りです」
――――時が、止まった。
何か言わなければ。頭ではそう思っているのに、口が動かない。馬鹿なことを言うなと、ネフレンの顔を殴りつけてやりたいのに、足が、まったく動いてくれなかった。
「月の研究には、多くの犠牲が出ることが分かっていました。故に、最初から犠牲になってもいい者たちが、実験体として選ばれたのです」
――――魔族と人間の混血という、もっとも忌むべき存在がね。
魔族は汚れた存在といわれ、その死体は土に埋めず、焼却炉で完全に灰にする。
それを踏まえ、魔族と人間の混血は、汚れと交わることで生まれる、もっとも忌むべき存在とされており、発覚次第、即処刑されることもあったと聞く。
「ただの孤児などではなかったのです。あの施設にいた実験体すべてが、魔族の力を身に宿していたのですよ」
「なら……魔の者が目覚めるっていうのは」
「あのときは、カグヤ様の感情の昂ぶりによって、一時的に魔が目覚めただけ……間もなく! 彼女は完全なる魔に目覚め、そして再び神となる!」
次の瞬間、強力な斥力が俺を襲った。
なすすべなく吹き飛ばされた俺は、剣を床に突き刺し、なんとか勢いを殺す。
「アアアァァアアアァアアァァアアアアアァアアアアアァァァァァア!」
耳をつんざくほどの絶叫。
それは、カグヤの口から放たれたものだった。
「カグヤ!」
カグヤの髪が、白く染まっていき、頭からは、湾曲した二本の大きな角が。
黒に染まった肌には、金色のラインが走り、まるで血管の如く脈動し始めた。
眼球が、月の色と同じ赤色に染まっていく。もはや、視線から感情を読み取ることはできない。
「アナ、タ……ニゲて……」
頭を押さえながら、カグヤは俺を見る。
その姿は、自分の中にいる化物と、懸命に戦っているように見えた。
「素晴らしい! この姿です! 神は再びこの世に降り立った!」
ネフレンの耳障りな声を無視して、俺はカグヤを抑え込むため、一歩一歩近づいていく。
一気に近づけないのは、カグヤの魔力が、俺を再び弾き飛ばそうとしてくるからだ。
ただでさえ馬鹿みたいに多かったカグヤの魔力が、数十倍に跳ね上がっている。
俺の魔力量をもってしても、この中で自由に動くことは難しい。
「なんとか……元に戻してやるからな」
「アアアァァアア!」
この世のものとは思えない叫び声が響く。もう、声も届かなくなってしまったらしい。
少々荒っぽくなってしまうが、ひとまず意識を奪うしかない。市街地まで移動されたら、多くの犠牲が出てしまう。
「無駄ですよ。赤き月がある限りね」
まるで、ネフレンの言葉通りとでも言いたいのか、カグヤはその口角を吊り上げた。
そして、近づいてくる俺に向かって、手をかざす。
――――まずい!
とっさに身構えた瞬間、重力の向きが変わり、後方に向かって落ちる羽目になった。
屋上の壁に捕まり損なった俺は、どこまでも飛んでいく。
カグヤの〝月光領域〟の効果範囲は、カグヤを中心に半径三十メートル。
しかし、俺の体は、その効果範囲を越えてからも止まることはなかった。
ただ、どこまで飛ばされようとも、関係ない。たとえこの星の反対まで飛ばされたとしても、俺のやるべきことは同じだ。
俺は、〝月の塔〟に向かって手を伸ばす。
「必ず迎えに行く……! 待ってろ! カグヤ!」
やがて〝月の塔〟が見えなくなる。
それまで、カグヤが月に向かって吼える声だけが、ずっと聞こえていた。




