第八十七話 モブ兵士、子供とたわむれる
「シルヴァさん!」
教会の前にいたダンさんが、俺たちに駆け寄ってきた。
元気そうな姿を見て、俺は少し安心する。
「ご無沙汰してます、ダンさん」
「はい! その、この前は本当に、ありがとうございました」
そう言って、ダンさんは深々と頭を下げた。
突然のことに、俺はギョッとしてしまう。
「あ、頭を上げてください! 当然のことをしたまでですから」
「あなた方のおかげで、私と子供たちは救われたんです。感謝してもしきれません」
ダンさんが、再び頭を下げる。心の底からの感謝が伝わってきて、少々照れてしまう。
すると、教会の扉が開き、子供たちがぞろぞろと姿を現した。
その中には、アーディの姿もある。以前、迷子になっていたところを、俺とシャルたそで教会まで連れていった子だ。
「あ! おにいちゃん! おねえちゃんもいる!」
駆け寄ってくる子供たちに、ダンさんは慌てて両手を振る。
「こ、こら! 中で待ってなさい!」
「いいじゃん! ねぇねぇ! ご飯作りに来てくれたんでしょ⁉」
俺はアーディの前にしゃがみ込むと、その頭をそっと撫でた。
「ああ、めちゃくちゃ美味い飯を用意してやるから、楽しみにしとけ」
「うんっ!」
子供たちの笑顔のためにも、お兄さん、ちょっと張り切っちゃおうかな。
というわけで、俺たちは教会の厨房に移動した。
配給された食材は、にんじん、たまねぎ、じゃがいも、鶏肉、ミルクや小麦粉などなど。
これだけの材料が揃っていれば、クリームシチューが作れそうだ。
「よし……じゃあ、二人は片っ端から野菜を洗ってくれ」
エプロンをつけた俺は、茫然としている二人に向かって野菜を渡す。
「ねぇ……ダーリン」
「ん?」
「ダーリンって、料理できるの?」
「まあ、シチューくらいなら」
社畜時代、少ない休日を利用して、作り置きできるものをよく作っていた。毎日外食する余裕なんてなかったし、手早く温めて食べられるから、時間がないときに重宝したのだ。
ただ、仕事が終わらず、何日も会社に泊まることになったときは、酷い目に遭った。疲れで朦朧とする中、ようやく帰宅して食べたカレーが、見事に腐っていたのだ。冷凍していなかった俺が悪いのだが、あのときは本当に地獄を見た。
「……なんだか、すごい敗北感」
「奇遇ね。私もよ」
背中を向けてしまった二人に、俺はかける言葉が見つからなかった。
料理ができないからと言って、二人にはそれ以上の魅力があるのだが、どう言ったところで、慰めにもならないだろう。それにしてもこの二人、プライドが高いところまでそっくりだな。
とにかく、まずはやるべきことをやらなくては。
「あとは、塩コショウ……っと」
仕上げを終えた俺は、大きく息を吐いた。
この世界の物価は、日本とそこまで変わらない。コショウが高いなんてこともなければ、主食が硬いパンなんてこともない。
おかげで、俺もすぐにこの世界の食事に慣れることができた。
「これで完成だ。二人とも、手伝ってくれてありがとう」
俺がそう言うと、二人は気まずそうに目を逸らした。
「いいのよ、別に」
「うん……大したことできなかったから」
おっと、想像以上に気にしているようだ。
確かに、調理はほとんど俺ひとりで担当したが、野菜を切るところまでは一緒にやってくれたし、俺にとっては十分な貢献だ。
「シルヴァ、今度料理を教えてほしい」
「あ、ああ、俺なんかでよければ……」
そう言うと、カグヤが俺の服の裾を掴んできた。
「おチビさんばっかりずるいわ。私にも教えてくれたっていいんじゃないかしら」
「お前はすぐに飽きそうだなぁ……」
突然つまらないとか言い出しそうで、ちょっと不安だ。
「ま、落ち着いたら色々教えるから、今は子供たちを腹いっぱいにしてやろう」
味見はばっちり。あとは、子供たちの好みに合うかどうかだ。
「ほら! 一列に並ぶんだぞ!」
底が深い木皿を持った子供たちが、シチューが入った大きな鍋の前に、ずらりと並んだ。
子供たちのワクワクした顔を見ると、こっちまで嬉しくなる。
「おかわりもあるからな、好きなだけ食えよー」
かなり多めに作ったおかげで、全員分よそっても、まだまだ余裕があった。
限られた生活費の中で暮らしているため、教会の食事は、常に質素だ。ならば、こういうときくらい、たらふく食べたって罰は当たらないだろう。
「すみません、私までいただいちゃって」
皿を手にしたダンさんは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「気にしないでください。子供たちだって、ダンさんと一緒に食べたほうが嬉しいと思いますよ」
俺がそう言うと、子供たちがダンさんの周りに集まってきた。
「しんぷさま! いっしょにたべよう!」
「たべよー!」
自分を慕う子供たちに、ダンさんは少し驚いたあと、嬉しそうに頬を緩めた。
「ええ、一緒に食べましょう」
なんて平和な光景だろう。見ているだけで、優しい気持ちが溢れてくる。
ダンさんの中には、きっとまだ、被害者への罪悪感が満ちている。それを忘れるなんてことは、不可能に近い。ただ、彼は彼なりに、幸せになる権利があるはずだ。子供たちがいれば、そのことに気づく日も近いだろう。
「おにいちゃんも! おねえちゃんも! いっしょにたべようよ!」
駆け寄ってきたアーディに、思わず笑みがこぼれる。
血みどろで最悪な光景を見たばかりだからか、アーディの明るい表情が、眩しくて仕方ない。
「ほら! むらさきのおねえちゃんも!」
「え……私も?」
アーディが差し出した手を見て、カグヤは目を丸くする。
どうしていいか分からない。そんな顔をしているのを見て、俺はそっとその背中を押した。
「ダーリン……」
「こういうときは、勢いで行くんだよ」
カグヤは、しばらく俺とアーディを見比べたあと、恐る恐る差し出された手を握った。
みんながいるテーブルに、アーディがカグヤを連れていく。困った様子のカグヤが、なんだかとてもおかしくて、俺とシャルたそは、顔を見合わせて笑った。
食事を終えると、子供たちは昼寝を謳歌し始めた。
気持ちよさそうに寝ている姿を確認し、ダンさんと共に寝室をあとにする。
「ふぅ……これでひと息つけますね」
俺は大きく伸びをした。
子供たちの体力はすさまじく、食事を終えてすぐに、俺たちを巻き込んで遊び始めた。
鬼ごっこやら、かくれんぼやら、おままごとやら。大人はもうへとへとである。
「本当にありがとうございました。あんなに楽しそうな子供たちを見るのは、久しぶりです」
「そう言ってもらえてよかった……急に決まったもんですから、上手くいかなかったらどうしようって、ちょっと心配だったんです」
「そんな、これからもみなさんにお願いしたいくらいでしたよ。あ、でも……カグヤさんとシャルルさんは、勇者様なんですよね。シルヴァさんだって、普段は門兵のお仕事をされてるでしょうし」
「いえいえ。仕事が落ち着いてるときなら、いくらでも手伝いますよ。多分、あの二人も同じ気持ちだと思います」
教会を出ると、そこにはシャルたそがいた。
「みんな寝た?」
「ああ、俺たちの仕事もここまでだ」
「そっか。ちょっと寂しい」
気持ちはまったく同じだった。しかし、俺たちには俺たちの役目がある。
再びここに来るときは、それをやり遂げたあとだ。
「カグヤは?」
「あそこ」
シャルたそが、庭を指差す。子供たちの遊び場の中心に、カグヤの姿はあった。
「……ちょっと行ってくる」
その物憂げな表情が気になった俺は、カグヤのもとへと向かった。
「あら、何か用?」
「いや、何かあったのかと思って」
「別に、大したことじゃないわ。……少し、思うことがあって」
そう言って、カグヤは天を仰いだ。
「子供たちのおかげかしら。少しだけ思い出したのよ。さっき話した、仲が良かった子のこと。名前は確か、ヨミって言ったかしら」
「……話したくないなら、それでもいいんだぞ」
「え?」
過去を思い出すことは、カグヤを苦しめるだけかもしれない。
記憶に靄がかかるくらい、辛い思いをしたはずなのだ。
世の中、忘れてはいけないこともあれば、忘れたほうがいいこともある。
俺は、これ以上カグヤに過去を思い出してほしくなかった。その心が、壊れてしまうかもしれないから。
「……そうね。確かに、あなたの心配はもっともかもしれない」
――――だけど。
カグヤは、俺を見つめながら、言葉を続けた。
「私が私であるために、記憶の一片すら、この手に収めておきたいのよ」
思わず、ため息が漏れそうになった。
これこそが、カグヤがカグヤである所以。
自分をよく知るのは、誰よりも自分でなければならないし、他者に自分の未来を委ねることなんてあり得ない。
我が道を歩み、そこから外れるくらいなら、死んだほうがマシだと言う。
そんな彼女だからこそ、俺は推しているのだ。
「私が思い出したのは、ヨミが手を差し伸べてくれたこと。部屋の隅で泣いている私を、あの子が立ち上がらせてくれた。それから……〝遊ぼう〟って、声をかけてくれた」
カグヤの言葉は、そこで途切れた。
「思い出せたのは、ここまでよ。この先も、いずれすべて思い出してみせるわ」
「……分かった。お前が向き合うっていうなら、俺もちゃんと話を聞くよ」
「ふふっ、アナタは私の夫なんだから、それも当然よね?」
「だから、夫になった覚えはねぇって」
いつものやり取りをして、俺たちはシャルたそのもとへ戻った。




