第八十五話 自称妻、帰省する
倒壊しているのは、カグヤが重力魔術に目覚めた際に、その余波を受けたからだ。
その後、非人道的な研究を隠蔽するため、ゼレンシア王国は研究所を解体した。ここで研究員として働いていた者たちについては、設定資料集にも記載がなかったため、今どうしているのかは分からない。
「なんの建物?」
「……昔、私がいたところよ」
そう言って、カグヤは瓦礫の山へと近づいていく。
俺は、カグヤが素直に答えたことに驚いていた。てっきり、適当に誤魔化すだろうと思っていたのだが。
「昔いたってことは……じゃあ、ここが月の研究をしてた場所?」
「そういうことになるな」
瓦礫を眺めるカグヤの背中からは、なんの感情も読み取れなかった。
昔を思い出し、苛立っているのか、怖がっているのか、懐かしがっているのか、それとも、そのすべてか。
「わふっ」
今一度、リルが吠える。
どうやら、そこに何かがあるらしい。
「……カグヤ」
「ええ、今行くわ」
カグヤが振り返る。その顔は、無理して取り繕っているように見えた。
三人でリルのもとに向かうと、瓦礫の隙間に、地下への階段があった。
その周辺には、踏みつけられた草が確認できる。
「足跡が新しいし、誰かが出入りしているのは間違いなさそうだな」
「地下には、研究設備が揃っていたはずよ。今はほとんど壊れてると思うけど」
「研究設備、ね」
ツギハギの怪物には、ぴったりの言葉ではないか。
俺は瓦礫を押しのけ、地下への階段を覗き込む。階段は、漆黒に支配されており、ここから地下の様子を窺うことはできない。
「俺が先に行く。カグヤはついてきてくれ」
「私はどうする?」
「シャルたそは、外でリルと一緒に見張りを頼む。敵が戻ってくる可能性も捨てきれないからさ」
少し考える様子を見せたあと、シャルたそはひとつ頷いた。
「……分かった。二人とも、気をつけて」
「ああ、シャルたそも」
カグヤと視線を合わせた俺は、剣を構えながら、階段を下りていく。
持参した火の魔石に魔力を込めると、ライターほどの小さな炎が、周囲を照らした。
階段を下っていくたびに、こもった空気のカビ臭さと、魔族特有の生臭さが、鼻を突く。
顔をしかめながら進むと、下った先に、両開きの扉を確認できた。
扉には施錠の跡があるものの、扉自体がひしゃげており、何者かによって、無理やりこじ開けられていた。
「特に人の気配はなさそうだけど……」
壁掛けのランプがあったため、そこに火をつけていく。
扉の先は、廊下だった。
入れそうな部屋がいくつかあったが、ほとんどの部屋が崩落し、中の様子が分からなくなっている。
「っ……ここは」
遊戯室と書かれた部屋の前で、カグヤが足を止める。
中を覗き込んでみると、そこにはボロボロの人形や、崩れたまま放置された積み木があった。子供たちは、ここで遊んでいたようだ。
「懐かしい感じ……私も、ここで他の子たちと遊んでいた気がするわ」
「気がするって、覚えてないのか?」
「ええ。ここにいたときの記憶は、なんだか靄がかかっているようで、朧げにしか覚えてないの。仲のいい子がいた気がするけど、もう顔も思い出せないわ」
「……そうか」
胸が締めつけられて、俺は言葉に詰まった。
月の研究所が実験台に選んだのは、身寄りのない子供たちだった。誰からも必要とされず、いなくなっても困らないという理由から、人体実験の材料にちょうどよかったのだろう。
どんな実験が行われていたか、それは制作陣もぼかしているが、カグヤ以外の子供が全員命を落としていることから、非人道的であったことは間違いない。
仲がいい子がいたというなら、その子が命を落としたショックで、自ら記憶を封印してもおかしくはないだろう。
「感謝するわ、ダーリン」
「なんの話だ?」
「私が弱っているところを見せずに済むように、あの子を見張りとして置いてきたんでしょ?」
「……お見通しか」
気恥ずかしさから、俺は頬を掻いた。
俺の知るカグヤなら、張り合っている相手に弱っているところは見せたくないはず。
それは、相手を信頼していないからとか、敵視しているからではなくて、気を遣ってほしくないから、弱みを隠しておきたいのだ。
もちろん、見張り自体は本当に必要なものだが、シャルたそも、自分が外に配置された理由に、なんとなく気づいていると思う。
「アナタって、本当に優しいのね」
カグヤはそう言うと、俺の腕に抱き着いた。
ふわりと広がった花の香りで、嫌な臭いがどこかへ吹き飛ぶ。
「お、おい……別にこういうつもりじゃ……」
「いいじゃない。今の私は、吹けば飛んでいってしまうような、儚くてか弱い乙女なんだから」
「それ、自分で言ったら台無しになる言葉だらけだぞ」
何はともあれ、少しは気を取り直してくれたようだ。
仕方なく、腕を自由にさせたまま進んでいく。すると、廊下の先にある部屋から、光が漏れているのが見えた。
「あそこが、実験室だったはずよ」
「……俺から離れるなよ」
警戒しながら扉を開けると、そこには誰もいなかった。
室内は真っ白で、塵ひとつないほどに清潔であり、廃墟であることを忘れそうになる。
部屋の隅では、使い道がよく分からない魔道具が、小刻みに揺れていた。光のもとはこれのようだ。何かの動力なのだろうか? 俺にはちっとも分からない。
そして、何よりも異質なのは、部屋の最奥に並ぶ培養槽だ。
中には、無数の心臓が浮いている。ドクン、ドクン、と大きく脈動するそれは、見ているだけで気分が悪くなってくる。
「……悪趣味ね。よく調べないとだめ?」
「いや、ここでツギハギが作られているのは間違いないし、詳しく調べるのは、騎士団に任せよう。あんまり現場を荒らすと、プロの手を煩わせることになるし」
「あら、本当にいいの?」
「犯人像は大体分かったからな。隠蔽されているはずの施設に潜り込み、実験施設として再起動させるなんて、この場所について詳しく知っているやつじゃないと難しいだろ?」
「……なるほど。元職員ね」
「ああ、可能性は高いと思う」
ただ、まだまだ疑問は残っている。
ツギハギを作ったのは、果たして魔族なのか、それとも人間なのか。
必ずしも、魔族だけが悪というわけではないことは、今までの事件を通じて知っている。
そして、人が善とは限らないということも。
「……ま、この先は追っていけば分かるか」
今は、目の前にある可能性をひとつずつ追っていこう。
これまでだって、そうしてきたのだから。




