第八十一話 モブ兵士、居候する
〝三神月食〟が始まったのは、翌日のことだった。
夜空に輝く月が、少しずつ欠けていき、やがてはぼんやりとした輪郭だけとなる。
仕事を終え帰路につくと、街が騒ぎになっていることに気づいた。数百年に一度の機会ということで、今のうちに見ておこうとする者が多いからだろう。
夜空に残った月光のリングは、確かに幻想的で、一見の価値ありと言ったところだが、俺は足を止めることなく、カグヤがいる〝月の塔〟へと急いだ。
〝月の塔〟は、相も変わらず、天高く聳え立っている。改めて見ると、ニ十階建てのビルくらいの高さはあるかもしれない。
塔の中は、壁に沿うようにして、螺旋状の階段がある。古いものだから、所々崩壊しており、なかなか上り辛い。
飛ぶことができるカグヤを心の底から羨ましく思い始めた頃、ようやく俺は、頂上にたどり着いた。
「――――ダーリンから会いに来てくれるなんて、珍しいわね」
屋上の塀に腰掛けていたカグヤは、振り返らずにそう言った。
彼女が無事であることにホッとしながら、俺はその隣に並ぶ。
「月があんな有様だから、お前のことが気になってさ」
「心配無用――――って、言いたいところだけど……月が隠れてから、まったく魔力が回復しなくなったの。さすがに困ったわ」
そう言って、カグヤは肩を竦めた。
この状態で魔術を使えば、カグヤの魔力は減る一方で、やがては底をつく。
魔族にとって最大の難関は、カグヤを倒すことと言っても過言ではない。そんな彼女が弱っていることを知れば、当然狙われる。
本来ならば、三日間に渡る魔族の襲撃からカグヤを守り抜くことで、好感度が跳ね上がり、結ばれるエンディングを見ることができる。しかし、現状アレンとカグヤの接点はほとんどない。エルダさんのときと同じく、やつの介入は期待できないわけだ。
ということは、カグヤを守る者がいないということになる。
いくらカグヤでも、魔力がない状態では、魔族とは戦えない。
――――ならば、俺がやるしかない。
「カグヤ、俺と一緒に来い」
「え?」
「俺が――――お前を守る」
「――――って、ダーリンが言ってくれたの」
カグヤは、照れた様子で頬を押さえた。
それを聞いていたシャルたそは、露骨に不機嫌そうな顔になる。
「……シルヴァの浮気者」
「そういうつもりで言ったんじゃないって……」
羞恥心に押し潰されそうになった俺は、シャルたそが出してくれた紅茶を口に含んだ。
ここはオーロランド邸。
あのあとすぐ、俺はカグヤをここへ連れてきた。
シャルたそに、カグヤを居候させる許可をもらうために。
「困っていることは、よく分かった。三日間くらい、別に構わない。お父様もお母様も、相手が特級勇者じゃ何も言わないと思う。……シルヴァも、しばらくはここにいるんでしょ?」
シャルたそが、俺の顔を覗き込んできた。
俺は、遠慮がちに頷く。
アレンの代わりに守ると決めた以上、カグヤのそばを離れるわけにはいかなくなった。
共にいるだけなら、俺が住む兵士用の宿舎でもいいのだが、さすがに狭すぎるし、戦闘になったら、周りの兵士たちに迷惑がかかる。
その点、シャルたその屋敷なら、敷地も広く、戦闘になったとしても、関係ない者に被害が及ぶ可能性は少ない。何より、シャルたそがいてくれることが、とても心強い。
結局、俺ひとりで守るにも限界がある。事情を知っている者は、ひとりでも多いほうがいい。
「それならいい。許す」
「ありがとう、シャルたそ」
俺は、シャルたそに深く頭を下げた。
「シルヴァが頭を下げることじゃない。お礼を言わなきゃいけないのは、カグヤのほう」
「あら、私は別に頼んでないわ」
俺は、カグヤにジト目を向けた。
どうしてこうも、素直じゃないのだろう。
「どうしたの、そんな熱い視線を向けてきて」
「いいから。シャルたそにはお礼を言っとけ」
「……」
しばらくの沈黙を挟み、カグヤは深く息を吐く。
「――――はぁ、仕方ないわね。感謝してあげるわ」
「……憎たらしいけど、受け取っておく」
「光栄に思いなさい。私が礼を言うことなんて、滅多にないんだから」
「それって、人としてどうなの?」
まったくもって、シャルたその言う通りである。
「じゃあ、まずは部屋に案内する」
「私、キングサイズのベッドがいいわ。シルヴァに抱き着いて寝たいの」
「……部屋は絶対、別々にする」
二人は睨み合い、火花が散った。
しばらく、毎日のようにこの火花を見ることになりそうだ。
「ここは、シルヴァの部屋」
「こ、こんな大きい部屋……本当に使っちゃっていいの?」
「もちろん。客間はこういうときのためにある」
案内してくれた部屋は、俺が住んでいる宿舎の、四倍以上の広さはありそうだ。ひとりで眠るには巨大すぎるベッドと、それを囲う天蓋。置かれた調度品は、どれも高級なものばかり。万が一にも傷をつけてしまったら、兵士の給料では、到底弁償できないものばかりだろう。
普段は用途がない客間ですら、これだけ豪華とは。普段からフレンドリーに接してくれるから忘れがちだけど、やはりシャルたそは貴族なのだ。
「ベルを鳴らせば使用人が飛んでくる。必要なものがあったら、伝えて?」
「わ、分かった」
申し訳ないし、ほとんど使うことはないんだろうなぁ……。
「カグヤの部屋は、ここの隣。私の部屋は、そのまた隣」
「俺とシャルたそで、カグヤの部屋を挟むってことか」
「一応、カグヤを守るって名目だから。この並びのほうがいいと思って」
シャルたその考えに、俺はひとつ頷いた。
ちなみに、カグヤは今、ダイニングで紅茶とお菓子を楽しんでいる。
「とりあえず、夜は俺が見張るから、シャルたそは日中を担当してもらってもいいかな」
「分かった。任せて」
シャルたそは、グッとファイティングポーズを取った。
出会った頃と比べて、シャルたそはすごく頼もしくなった。
あと、もともと可愛いのに、最近ますます可愛く見える。
「夜、ずっと起きてるのは大変。シルヴァも、休めるときは休んで」
「ああ、そうさせてもらうよ」
そう言いながら、俺はベッドに腰かけた。外見通り、とても素晴らしい感触だ。ふわっふわのベッドは雲さながら。さすがは高級品、宿舎の硬いベッドとは格が違う。これなら、よく休めそうだ。
「荷物の整理ができたら、ダイニングに来てほしい。夕食の準備もできているから」
「ああ、分かった」
シャルたそが部屋を出ていくのを見送り、俺はベッドに倒れ込む。
決して、推しの家のベッドを堪能しているわけではない。考えごとに疲れただけだ。
俺は今から、主人公の代わりになろうとしている。
それは、俺がもっとも忌むべき行為のはずだが、最近は少し違う考え方をするようになった。
ブレアスをプレイしていると、戦闘に負けたり、選択肢を間違えたりすることがあった。
そうすると、世界滅亡――――要するに、ゲームオーバーになる。プレイヤーは、失敗から学び、何度もコンティニューをして、いずれは世界を救う。
ただ、そこに至るまでには、アレンが敗北し、滅んでしまった世界が、確実に存在する。
では、俺がいるこの世界が、そのひとつだったとしたら?
順調に成長しているように見えるアレンだが、今はまだ、ゲームでいうところの中盤程度の実力だ。はっきり言って、このままでは絶対にラスボスに勝てない。
考えうる最悪の事態を想定すると、この世界は、ゲームオーバーを間近に控えた、先のない世界である可能性もあるだろう。もし、そうだとしたら、俺たちは滅ぶべき命なのだろうか?
――――それは、断じて違う。
シャルたそも、カグヤも、エルダさんも、グレーテルやヘンゼルも……みんな、この世界で懸命に生きている、尊い命だ。かけがえのない、唯ひとつの命だ。いくら俺が、しがないモブでしかないとしても、放っておくことはできない。
「腹括るしかねぇよな……」
体を起こした俺は、頬をぴしゃりと叩いた。




