第八十話 モブ兵士、心配する
勇者によって討伐された魔族は、〝討伐魔族処理場〟という施設に送られる。
ここには、研究用の解剖室、そして、死体を処分するための〝魔術式焼却炉〟がある。
ゼレンシア王国は、土葬が主流の国だが、汚れた存在である魔族を土に埋めると、土壌が汚染され、不幸を招くという言い伝えがあるため、魔族の死体は焼き払うことになっているのだ。
火葬というにはあまりにも荒っぽいが、人を食らって生きているわけだし、同情するつもりはない。
そんな施設の中を、エルダさんと共に歩く。
解剖室に入ると、そこにはランツェルさんと、手術台に置かれた二体の魔族の姿があった。
ひとつは、アレンが片付けたダークスパイダーの魔族。そしてもうひとつは、例のツギハギだった。
「やあやあ、よく来てくれたね」
俺の姿を見たランツェル先生は、にへらと笑った。
とても魅力的な笑顔なはずなのに、この人の場合は、どうしてこうも恐ろしく感じるのだろうか。
「いやぁ、ずっと会いたかったよ。最近なかなか来てくれないからさぁ」
「あ、あはは……どうもすみません」
ゆらゆらとした動きで近づいてきたランツェル先生は、一切遠慮なしに肩を組んできた。
その際、彼女の豊かな胸が、一瞬肘に触れる。想像以上の柔らかさに、俺はギョッとする。
――――下着つけてねぇのかよ……。
俺が固まっていることに気づくと、ランツェル先生は、しめたと言った様子で、口角を吊り上げた。
「おやおや、これが気になるのかい? 参ったね、男性諸君がこれに興味津々だっていうことは知っていたが、まさかボクのものでもいいなんて」
「も、申し訳ありません……その……」
「謝る必要なんてないさ。それよりどうだろう。君が体を自由にさせてくれるのなら、ボクのこれを自由にしてもらったって――――」
そんなランツェル先生の言葉を遮るように、エルダさんが俺たちの間に割って入ってきた。
「なななな、何をしているのだ貴様らぁ!」
「何って、交渉さ。ボクの胸を自由にしていい代わりに、兵士くんの体をくまなく研究させてほしいってね」
「駄目に決まってるだろう⁉」
「どうして騎士団長さんが決めるのさ。これはボクらの個人的なやり取りだよ」
「駄目なものは駄目なの!」
エルダさんは、顔を真っ赤にして、腕をバタバタと動かす。
駄々っ子エルダ――――とは、ちょっと違う気がするな。
「大体! シルヴァもなんで黙ってるんだ! 拒否しろよ!」
「いや……マジですみません」
結局のところ、俺もただの男でしかない。
でかくて柔らかそうなものに吸い寄せられるのは、抗えない本能だ。
「まあまあ、そう責めないでやってくれ」
「も、元はと言えば貴様が!」
「騎士団長さんだって、立派な武器をお持ちじゃないか。それを使えば、兵士くんを思うがままにできると思うけど?」
「……」
エルダさんは、ハッとしたように視線を下に向けると、そのまま黙りこくってしまった。
はて、何を考えているのだろうか。不思議なことに、冷や汗が止まらない。
「――――って、できるかぁ! こんなことをしている場合ではない! 私たちは仕事の話をしに来たのだ!」
爆発したエルダさんを前に、ランツェル先生はケラケラと笑う。
この人、ほんといい性格してるな。
「そうだね、そろそろ仕事の話をしよう」
白衣の襟を直したランツェルさんが、ツギハギの前に立つ。
「報告によると、兵士くんがこのツギハギを倒したんだよね」
「……ええ、まあ」
本来なら、こいつもアレンが倒したということにしたいが、俺自身がこの魔族の正体を知らない以上、四級勇者でも倒せると認識されると、大きな混乱を招くことになる。
下手に広まれば、色々と追及されそうだが、今は仕方ない。
「それじゃあ、戦闘の状況を詳しく教えてもらえるかな」
頷いた俺は、ツギハギが勇者を狙っていたこと、驚異的な再生能力を持っていたこと、そして、勇者を見失うと同時に、退却しようとしたことを包み隠さず伝えた。
しばらく考え込んだランツェルさんは、悩ましげに指を唇に当てた。
「……やっぱり、単純な行動しか取れないのか」
「どういう意味だ?」
「解剖したところ、この魔族の肉体は、レベル3を超える強度を持っていた。でも、脳みそはひどく退化していて、少なくとも、意思疎通を図ることは難しいと言える」
そう言ってランツェル先生は、ツギハギの体にある縫い目を撫でた。
「いわゆる、キメラってやつだね。脳機能がこれじゃあ、複雑な動きはできないだろう。こいつは、与えられた命令に従うだけの、哀れな人形ってところさ」
「人形……」
俺は、改めてツギハギを見る。
こんなものを作るやつは、きっと最悪の性格をしていることだろう。
「さて、問題なのは、この人形は量産可能ってところかな」
「なんだと⁉」
「再生能力が高い魔族を素体にして、有象無象の魔族の体を移植すればいいだけだからね。もちろん、高度な技術があればの話だけど……この体の縫い目を見る限り、その条件は余裕でクリアしているね」
「……これは、想像以上に不味い状況かもしれなんな」
エルダさんが、眉間にしわを寄せる。
知能は低くても、身体能力はレベル3以上。そんな人形が束になって襲い掛かってきたら、甚大な被害が出ることは想像に難くない。
「問題はそれだけじゃない。もっと知性が高いやつが現れる可能性もある。今はまだ、実験途中なんじゃないかな。レベルが高い魔族同士を掛け合わせるのは、至難の業だ。強大な力を制御するのは、なんだって難しいだろう? だが、高い技術を持った者の犯行のようだし、放っておいたらまずいだろうね」
現状でも人類の脅威となりうる存在なのに、これ以上進化する可能性があるのか。一刻も早く、犯人を見つけ出さなければ。
そう思ったのは、エルダさんも同じようだ。
「至急、対策本部を立てる。協力感謝する、ランツェル殿」
「いえいえ、ボクも興味深いものを見せてもらったからね。あ、そうだ。こっちの蜘蛛の魔族は、なんの変哲もない普通の魔族だったよ」
ランツェル先生が、壁にかかっていたベルを鳴らす。
すると、処理場の職員が部屋に入ってきた。
「お呼びでしょうか?」
「こっちの魔族を、焼却炉に運んでくれるかい?」
「分かりました」
職員の手によって、魔族の死体が運び出される。
そうして手術台が空くと、ランツェル先生はその上に腰掛けた。
「はぁ、よっこいしょっと」
ランツェル先生は、懐から取り出したタバコを咥え、炎の魔石で火をつけた。
今、彼女が座っている場所には、魔族の死体があったわけだが、まったく気にならないらしい。まったく、肝が据わっている人だ。
「ひと休みしたら、ボクはもう少しこれを調べてみるよ。何か分かれば、また報告する」
「ああ、よろしく頼む」
「これもお仕事だからね。任せてくれたまえ。兵士くん、今度はボクの診療所で会おう。特別サービスが待ってるよ」
「お、おい! 破廉恥は駄目だぞ! 破廉恥は!」
俺とランツェル先生の間に、エルダさんが飛び込んでくる。
心配しなくても、俺からランツェル先生のところに行くことはない。
いくら特別サービスが待っていようと、体をいじくり回されるのは、やっぱりごめんだ。
用を終え、処理場を出た頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
ふと空を見上げれば、そこには大きな月があり、青白い光が夜道を照らしている。
多発する魔族事件に、ツギハギだらけの魔族の謎。問題は山積みだが、それの他に、俺はもうすぐ大きな問題を抱えることになる。
それは、〝三神月食〟が始まってしまうことだ。
〝三神月食〟とは、数百年に一度起こるとされている、三日間に渡って起きる特殊な月食だ。
この現象が起きる原理としては、巨大な魔物が、空を覆い隠しているというものだったり、神のような偉大なる存在が、空から持ち去ってしまうからというものだったりと、様々な説がある。
ただ、公式設定曰く、元いた地球で見られる月食の原理と同じように、この世界でも他の惑星が月を隠しているだけなんだそう。まあ、三日間というのは、実にファンタジーらしいが。
月が隠れてしまうだけなら、なんら問題ない。しかし、それによって、窮地に陥る者がひとりだけいる。
そう、月の化身である、カグヤだ。




