第七十七話 モブ兵士、げんなりする
エルダさんから提示された任務は、町はずれの森の奥にある洋館の調査だった。
洋館の主人の友人から、何日も音沙汰がなく、行方不明であるという通報が入った。加えて、近辺で魔族の目撃証言があったことから、誰も洋館に立ち入ることが出来なかったそうだ。
すでに洋館が魔族に占領されている可能性を考慮し、勇者の派遣が要請されたというわけだ。
「……」
森に向かう馬車は、がたがたと音を立てながら、悪路を進んでいく。
激しい揺れの中、嫌な沈黙に支配されていた。
マルガレータとレナは、俺とまったく目を合わせようとしない。
アレンはというと、俺に敵意のこもった視線を向けている。
気まずい。ただただ、気まずい。
すぐにでも馬車を降りたいが、仕事を放棄するわけにもいかない。眠ろうにも、激しい揺れのせいでそれも難しい。そもそも移動中とはいえ、今もれっきとした業務時間内である。とどのつまり、俺はこの最悪な空間から逃れることはできないのだ。
――――今すぐ誰か変わってくれ……。
俺は必死にそう願いながら、顔を伏せ、馬車が止まるのを待ち続けた。
……幸い、限界を迎える前に、馬車は目的地に到着した。
鬱蒼とした森の中に、ぽつんと建てられた洋館。壁はツタに覆われ、所々ひび割れている。
ちなみに、俺はこの場所を知っている。ブレアスには、『お化け屋敷にご用心』というサブストーリーがある。そのお化け屋敷というのが、この洋館である。
今回の任務と同じように、洋館の主が行方不明であるという通報から、仲間と共に調査に挑む。そして、洋館に巣食う魔族を倒し、辺りの安全を確保することで、クリアとなる。
このサブストーリーの見どころは、道中の演出によって、ヒロインたちの驚く姿が見られるところだ。お化け屋敷というタイトル通り、吊り橋効果によって、ヒロインたちと距離を縮めることができる。
ただ、洋館の主は助けられないし、巣食っている魔族も、ただの雑魚というわけではないため、現実的に考えると、決して笑えない事件だった。
「なんか……すっごい不気味だね」
「あまり近寄りたくないですわ……」
二人が怯えていることに気づいたアレンが、スッと前に出た。
「大丈夫、二人はオレが守るよ」
アレンの決め顔に、二人は頬を赤らめた。
確かに、今のセリフは選択肢にあったけれど、リアルで見ると、こんなにも痛い感じなのか。
ただ、レナとマルガレータはときめいているようだ。
そもそも、お前らが守られてどうするんだ、というツッコミを抑えるべく、俺は深呼吸した。
「門兵、あんたはオレたちの後ろをついてこい」
「分かりました」
「……やけに素直だな」
アレンは、訝しげな視線を向けてきた。
「あくまで、私は兵士であり、サポーターです。勇者サマの判断に従います」
もちろん、アレンに付き従うのは本意ではないが、これは仕事なのだ。
変に反抗して、事態が悪化するようなことがあれば、本末転倒だ。
「ふんっ」
どういうわけか、アレンは面白くなさそうに、俺から目を逸らした。
人が下手に出てやっているのに、何が気に食わないのだろうか? 到底理解できないが、自分から突っかかるような真似は、ただの時間の無駄だ。
「鍵は……開いてるな」
アレンが手をかけると、扉は軋んだ音を立てながら、ゆっくりと開いた。
中は薄暗く、埃っぽい。そして、生臭い。埃っぽいのはともかく、この生臭さは、おそらく魔族のものだ。サブストーリー通り、ここに巣食っているのだろう。
「よし、行くぞ」
剣を構えたアレンを先頭に、レナは鋼鉄のグローブを。マルガレータは、宝石が埋め込まれた杖を持っている。
二人とも、怯えのせいか、少し肩に力が入っているように見える。ただ、構え自体は様になっており、厳しい修行の成果が出ているように思えた。
「この臭い……二階か?」
アレンの言う通り、ゲームと同じであれば魔物は二階にいるはずだ。
「よし、二階を捜そう。オレが先頭を行く。レナとマルガレータは、そのすぐ後ろをついてきてくれ」
「うん!」
「分かりましたわ」
二人の返事を聞いたあと、アレンは俺を見た。
「あんたは殿だ。何かあったら、すぐオレに伝えろ」
「……了解」
変わらず癪に障る言い方ではあるが、異論はない。俺は大人しくアレンたちについていくことにした。
二階には、鼻をつまみたくなるほどの悪臭が立ち込めている。当たり前だが、ゲームをやっているときは、臭いまでは分からなかった。しかし、今回ばかりは分からないほうが良かったと言わざるを得ない。
そして廊下には、異常といえるほど、大量の蜘蛛の巣が張り巡らされていた。
一歩、また一歩と進んでいくと、巣の数と大きさは、どんどん増していった。
先頭のアレンが、蜘蛛の巣を斬り払って道を作り、廊下を進んでいく。
「ねぇ……これだけ蜘蛛の巣があるってことは、ここにいる魔族って……」
「ああ、おそらく蜘蛛系の魔族だろう」
「ううっ、あたし、蜘蛛だけは無理なんだけど……」
周囲を警戒しながら、レナは縮こまった。
そんな彼女の首筋に向かって、小さな蜘蛛が、ゆっくりと下りてきた。
「あ」
俺が気づいて声を漏らすと同時に、蜘蛛はレナの首筋にピタッと下り立った。
その瞬間、レナは悲鳴を上げ、首筋を手で叩く。
「きゃぁぁああああ! なんか! なんかついた!」
「レナ、落ち着きなさい。ただの蜘蛛ですわ」
マルガレータの足元には、レナに潰された蜘蛛の死骸が落ちていた。
それを見て、レナは真っ青な顔になる。
「く、蜘蛛……」
レナは、少しふらついたあと、アレンの腕にしがみついた。
「おっと、大丈夫か?」
「ご、ごめん……腰抜けちゃって」
「ははっ、ちょっと意外だな。レナにこんな可愛らしい一面があるなんて」
「ちょ、ちょっと! 可愛いとか言わないでよ……!」
レナが、アレンの腕をペチッと叩く。
――――何を見せられているんだ、俺は……。
自分でアレンを操作しているときはよかったが、はたから見ると、こんなにもうんざりする光景だったのか。なんだか、現実を知ってしまったようで、軽く絶望しそうになった。
「……レナばっかりずるいですわ」
そう言って、マルガレータまでもが、アレンに抱き着いた。
「おいおい……参ったな」
美少女二人に挟まれ、アレンは鼻の下を伸ばしている。
いよいよ、本気で帰りたくなってきた。
「って、二人とも、しっかりしてくれ! これはオレたちの初任務なんだから!」
「あ、そ、そうだよね!」
「危うく気を抜いてしまうところでしたわ」
少し残念そうにしながら、レナとマルガレータは、アレンから少し距離を取る。
どうやら、ようやくまともに進んでくれるらしい。
再び奥へと進もうとした、そのとき。耳をつんざくような雄叫びが聞こえてきた。
「っ! この声は……!」
アレンが身構える。すると、先にあった扉が派手に吹き飛び、背中から蜘蛛の脚を生やした、色白の魔族が姿を現した。