第七十三話 モブ兵士、狙われる?
――――結論から言って、エルダさんの料理は想像以上に美味しそうだった。
しかし、想像とはまったく違うものでもあった。
「……一応、これで最後だ」
どこか遠い目をしながら、ヘンゼルが俺たちの座るテーブルに料理を置いた。
一言でいえば、茶色い。出てきた料理、そのすべてが茶色い。
肉、肉、肉……どこを見ても肉料理。しかも、大体が〝焼き〟か〝揚げ〟だ。〝茹で〟がないことがすごく気になるが……。いや、それ以前の問題か。
ふと思い出したのだが、ブレアスのキャラクターたちが集まって食事をするシーンで、エルダさんはいつも馬鹿みたいに大きな肉を食べていた。本当に好きなんだな……肉が。
「腕によりをかけて作った、肉料理のフルコースだ! 存分に堪能してくれ!」
エルダさんは、得意げに笑っている。
さて、どこからツッコミを入れたらいいのだろうか。少なくとも、コースではないだろというというツッコミだけは、欠かせない気がした。
「……まさか、騎士団長さんがここまでお肉バカだとは思わなかったわ」
「なっ⁉ お肉バカ⁉」
カグヤのストレートな物言いに、エルダさんはショックを受けたようだ。
愕然とした顔をしながら、一歩後ずさる。
よく言ってくれた、カグヤ。まさか、そのマイペースさに救われる日が来るとは思わなかったぞ。
「美味しそう。でも、茶色過ぎ」
「うぐっ……!」
カグヤの剛腕右ストレートに続いて、シャルたその的確なジャブが突き刺さる。
「あはは……さすがに胃もたれしちゃいそうだよね」
「がふっ……」
グレーテルの優しさがこもったボディーブローで、エルダさんに致命的な隙ができる。
「あんたらが僕と同じことを考えていて助かった。こんなもの、ゴブリンの餌と大して変わらないぞ」
「ご、ゴブリンの……餌……」
最後は、ヘンゼルの狙い澄ましたショートアッパーが、エルダさんの顎を捉えた。
崩れ落ちるエルダさんに、俺は同情の目を向ける。
「だ、だって……お肉が好きだから……」
座り込んだエルダさんは、俺たちに背を向けて、肩を震わせる。
さっきは、一皮剥けて存在感が大きくなったように感じたが、こうして見ると、案外何も変わっていないのかもしれない。
ともあれ、ここにある料理は、エルダさんが俺たちを喜ばせるために作ってくれたものだ。
ボロクソに言われてしまうのは仕方ないとはいえ、厚意を無碍にするのは違う。
それに、男からすると、肉オンリーというのは、それはそれで嬉しいものだ。
「エルダさん、これもういただいちゃっていいんですか?」
「え……」
「せっかく作ってくれたのに、冷めちゃったらもったいないですよ」
いくら茶色かろうが、美味しそうなのもまた事実。
さっきから、香りによって刺激された脳が、目の前の肉を食らい尽くせと訴えかけていた。
「そ、そうか! 食べてくれるか!」
落ち込んだ様子から一転。花が咲いたような笑顔を見せたエルダさんは、すぐさま席に戻ってきた。
「ああ! いくらでも食っていいぞ! 確かにちょっと茶色いかもしれないが……味は保証する!」
「それじゃあ、いただきます!」
俺は、目の前にあったローストチキンに狙いを定めた。
――――でっかぁい。
何度も言うが、本当に美味しそうではあるのだ。しかし、この色味と量が、どうしても俺を尻込みさせる。
ナイフとフォークは……使っている場合じゃないな。
俺はローストチキンの足の部分を鷲掴み、持ち上げる。
重たい。脳裏に、胃もたれで苦しむ未来の俺の姿が見えた。
……しかし、そんなことはどうでもいい。今はとにかく、このお肉パーティーを、何も考えず楽しむのだ。
思い切り、肉に噛り付く。その瞬間、肉汁と甘辛いソースが口の中に溢れ、衝撃を起こした。
柔らかい。中はとにかくしっとりジューシーで、噛めば噛むほど鶏の旨味が溢れ出てくる。
会社員時代のクリスマス。残業が終わって、ひとり寂しく売れ残ったローストチキンを頬張っていたときの記憶が、ふんわりと蘇った。ただ、あのときのチキンとは天と地ほどの差がある。
「美味い……! 美味いですよ! エルダさん!」
「ふふん、そうだろう。私は肉料理には自信があるんだ」
何故肉料理だけなのだろうか。少し気になるが、今は目の前の料理に集中するとしよう。
「私も食べたい」
「ああ! どんどん食ってくれ!」
シャルたそが料理に手を伸ばしたのを見て、エルダさんはすっかり上機嫌になった。
「あまりお肉は得意じゃないんだけど……まあ、仕方ないわね。協力するって言ったし」
諦めた様子で、カグヤも近いところから摘まみ始める。カグヤは肉があまり得意ではない。しかし、それでもこうして俺たちと一緒に食べようとしてくれているのは、彼女なりの優しさなのだろう。
「お兄ちゃん! あたしたちも食べよう?」
「……仕方ないな」
文句言いたげな顔をしていたヘンゼルだが、妹に背中を押され、分厚いステーキとの格闘を始める。対する妹、グレーテルは、フライドチキンに舌鼓を打っていた。
「いい食べっぷりだ……! 私は嬉しいぞ!」
顔を綻ばせながら、エルダさんも負けじと自分で作った料理を食べ始める。
「……悪くないだろ、こういうのも」
俺は、おもむろにヘンゼルに声をかけた。
ステーキに悪戦苦闘していた彼は、不機嫌そうな目で俺を一瞥し、ふんと鼻で笑った。
「さあね」
慣れないナイフとフォークが、ついに煩わしくなったのか。ヘンゼルはステーキにフォークを突き立てて、豪快に齧った。
ヘンゼルは、少なくとも否定はしなかった。それに気を良くした俺は、改めてローストチキンと向き合うことにした。
――――限界だ。
ステーキの最後のひと切れを口に運び、俺はフォークを置いた。
テーブルの上には、もう料理は残っていない。一時間以上かかったが、肉との戦争は、なんとか俺たちの勝利で終わった。
「……しばらくお肉は見たくない」
「あたしも……」
最後まで俺と一緒に食らいついていたシャルたそとグレーテルが、テーブルに突っ伏す。
肉が得意ではないカグヤとヘンゼルは、とっくの昔にリタイア。カグヤは比較的早々に諦めたから、今はもうピンピンしているが、やけに負けん気が強いヘンゼルは、俺たちに対抗しようとして限界を超えてしまった。椅子にだらしなく寄りかかったまま、さっきからピクリとも動かない。せめて、意識があることを願う。
「その……すまなかったな。さすがに作り過ぎた」
しょぼんとした様子で、エルダさんが縮こまっていく。
肉オンリーなのは別に構わないのだが、ヘンゼルやカグヤがいることは、考慮すべきだった。申し訳ないが、ここは素直に反省してもらおう。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「…………ああ」
絞り出すような声が聞こえてきた。とても大丈夫そうには見えないが、ヘンゼルはゆっくりと体を起こし、俺たちの顔を見る。
「……こんな状態で話すことではないかもしれないけど、僕のほうから、あんたたちに聞いてほしいことがある」
ヘンゼルは、おもむろにそう切り出した。
ふざけた話ではないと悟った俺たちは、ヘンゼルのほうへ耳を傾けた。
「僕たちをこうして受け入れてくれて、あんたたちには感謝している。……その上で、図々しい頼みをひとつ聞いてほしい」
「……話してみろ」
エルダさんが言う。
どうやら、彼女もヘンゼルが話そうとしていることについては聞いていなかったらしい。
「……従う他なかったとは言え、僕らは、取り返しのつかないことをした。人間たちの魔力を吸い、生命の危機にまで追いやった」
俯き、ヘンゼルは拳を強く握りしめる。
ヘンゼルによって魔力を吸われた被害者たちは、今は意識を取り戻して、日常に戻るためにリハビリしているそうだ。ランツェル先生の話によると、一週間以内に全員退院できる見込みとのこと。
魔族が関わった事件で、死人がゼロというのは異例のことだ。しかし、ヘンゼルが人を傷つけたという事実は、決して消えない。
「償いたいんだ。僕が傷つけてしまった人たちに。……僕たちの存在を、公にできないことは分かっている。だから……知恵を貸してほしい」
短い付き合いで、ヘンゼルがプライドの高い性格なことは分かっている。それ故に、他者に頼るのが苦手なことも、分かっている。こうして頭を下げるまでに、様々な葛藤があっただろう。それを乗り越えたというだけで、俺は彼を賞賛したくなった。
「……あたしからもお願いします。お兄ちゃんが言いなりになっていたのは、あたしのせいだから」
ヘンゼルに並んで、グレーテルも深々と頭を下げる。
俺はエルダさんと視線を合わせる。しばしの沈黙を挟んだのち、エルダさんはフッと笑った。
「そういうことならば……喜んで協力しよう。貴様らを受け入れた私にも、当然責任があるしな」
「っ! 恩に着る……!」
「……だが、その前に」
真剣な表情で、エルダさんは一度言葉を切った。
「グレーテル。貴様が騎士団に協力を申し出たとき、〝パンデモニウム〟についての情報があるって言っていたな」
「あ……うん」
「そのことについて、先に話を聞かせてもらえるか?」
それに関しては、俺も色んな意味で気になっていた。
ゲームでも、グレーテルは同じように〝パンデモニウム〟の情報をちらつかせて、一時的に仲間になる。しかし、グレーテルが犯人として討伐されてしまった結果、その情報が本物だったのか、それとも、仲間になるためのただの口実だったのか、分からずじまいだったのだ。
それでも、問題なく本編が終了することから、ブラフだった可能性が高いと考えていたが――――。
「参考になる情報かは分からないけど……〝パンデモニウム〟の幹部だって魔族から、声をかけられたことがあるの」
俺たちの間に、緊張が走る。
「組織に勧誘された、ということか?」
「ううん、誘われたりはしなかったよ。ただ、変なことを言われたんだ」
「変なこと?」
「綻びは、すでに生まれている、とか。あたしたちも、そのきっかけに過ぎない――――とか」
綻びとは、果たしてなんのことだろうか。俺を含め、その言葉の意味が分かる者は、存在しないようだった。
「あの女は、僕たちに〝ティアマト〟と名乗った。正直、力の差は歴然だったと思う」
ブレアスをやり尽くした俺が、一度も聞いたことがない名前だった。
なんだか、すごく嫌な予感がする。
「叶うなら……もう二度と会いたくないね」
そう言って、ヘンゼルは自身の腕をさすった。
◇◆◇
ぶかぶかのローブに身を包んだ、赤色の髪の少女が、まるで重さなどないかのような足取りで、ゼレンシア王都の中を歩いていた。
道行く者たちは、すれ違うたびに彼女のほうへ振り向いてしまう。それほどまでに、少女の顔は整っていた。
「ティアマト様」
そんな彼女に、同じくローブを羽織った女が近づいてきた。
黒い髪をした女だった。
「例の組織が解体処分となりました。あの双子の魔族も、人間側の手に落ちたようです」
「そうか。まあ、ある意味予想通りだな」
ティアマトと呼ばれた少女は、大きなあくびをした。
「我の見た未来が、少しずつズレ始めている。あの女魔族は、本来死ぬはずだった。兄のほうもそうだ。妹が死んだあと、どこかの土地で野垂れ死にするはずだったのだが……」
目を細めたティアマトは、空を見上げながら、ふっと小さく笑った。
「〝パンデモニウム〟が潰されたあと、ゆっくりとこの世界を弄んでやろうと思っていたが、やめだ」
「では、どうなさいますか?」
「この世界を乱している者を探し出す。きっと、面白いやつだぞ。ぜひとも遊んでもらおうではないか」
「承知いたしました。すぐにでも、それらしい者を見つけ出します」
「うむ、頼んだぞ。我が飽きてしまう前にな」
「はっ」
女が頭を下げる。
その次の瞬間、彼女の姿は、人混みに紛れるようにして消えた。
「さて、お前はどこまで私を楽しませてくれる? 異界から現れし特異点よ」
これにて二章完結となります!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
三章スタートまで今しばらくお時間いただけますと幸いです。
引き続き、本作をよろしくお願いいたします!
それとMノベルス様より、一章の内容をまとめた第一巻が発売中です!
こちらも何卒よろしくお願いいたします!