第七十話 モブ兵士、撃ち抜かれる
店内には、様々な洋服がこれでもかと並んでいた。
これだけ並ぶと、自分に合った服を探し出すのは中々に困難だろう。
しかし、すでに下見をバッチリ終え、作中に登場した衣装の場所を覚えている俺に、抜かりなどあるはずがない。
「これと……これとこれと、あとこれと……」
「お、おい……待て、何着見繕う気だ」
「めぼしいものは全部ですよ。実際着てみないと分からないこともありますし」
「そ、そういうものなのか……?」
眉間にしわを寄せながら、エルダさんは首を傾げる。
「エルダさんも、好きな服があれば持ってきてください。試着する分にはタダですから」
「わ……分かった」
俺の言うことに従って、エルダさんは近くの服を見る。まあ、好きな服と言われても、なんのこっちゃ分からないのだろう。赤と青のまだら模様のシャツを手に取って、訝しげな顔をしている。
その間にも、俺はどんどん服を選んでいった。どれも、ブレアスの中で着せることができる服だ。まずはこいつらから着てもらわねば、話にならない。
「――――よし、こんなものでしょう」
そう言って、俺は集めた服をまとめて担ぐ。
「今から、これを試着するのか……」
「はい」
「なんというか……服選びとは、過酷なのだな」
「そりゃそうですよ。鎧選びと同じです」
鎧選びと聞いて、エルダさんは「なるほど」と頷いた。今度こそ、ちゃんと納得してもらえたようだ。
――――まあ、本当は俺が着てほしいだけなんだけど。
店員に許可をもらい、試着室にエルダさんを押し込める。
「着替えるたびに、俺に一度見せてください。似合うやつはこっちで覚えておきます」
「分かった、よろしく頼む」
すっかり真面目モードになってしまったエルダさんが、試着室のカーテンを閉めた。
「……」
試着室の中から、妙に生々しい衣擦れの音が聞こえてくる。
意識しないようにしなければ――――そう思えば思うほど、その音はさらにはっきりと聞こえてしまうようになった。
困った。こんなところで耳を澄ましているなんて、まるで変態ではないか。
「き、着替えたぞ」
エルダさんが試着室のカーテンを開ける。
白いワイシャツに、レザーのパンツ。細いように見えて、決して華奢というわけではないエルダさんの体型に、よく合っている。
「めちゃくちゃ似合ってるじゃないですか!」
「そう、か?」
エルダさんの頬が赤くなる。
騎士団長は、厳格な存在でなければならない。そう考えるエルダさんは、自身の外見に頓着がない。ある意味、諦めているとも言える。容姿を気にしてこなかった自分が、魅力的なはずがないと。そのせいで、いざ外見を褒められると、いともたやすく照れてしまう。
チョロい。だが、それがいいのだ。強靭な女性が、言葉責めに弱い。素晴らしいではないか。ああ、王道万歳。
「……どうした? シルヴァ」
「ん? あ、すみません。ちょっと浸ってました」
「……? よく分からんが、この服、もうワンサイズ上はないか?」
「え?」
「その……胸がちょっと、苦しくてな……」
言いづらそうにしながら、エルダさんは胸元に添えていた手を退ける。
彼女の胸元は、びっくりするほどパツパツだった。必死に繋ぎとめようとしているボタンの悲鳴が、今にも聞こえてきそうだった。
こんなの、見るなと言うほうが酷だ。しかし、興奮している場合ではない。
「い、急いで脱いだほうがいいですね」
ボタンが取れるようなことがあれば、当然弁償だ。すでに若干手遅れな気がしないでもないが、急ぐに越したことはない。
「そ、そうだな」
エルダさんが再びカーテンを閉める。そしてすぐにまた衣擦れの音が聞こえてくる――――かと思いきや、しばらく無音が続いた。
「……エルダさん?」
声をかけると、焦った様子のエルダさんが顔を出した。
「ぼ、ボタンが外れない……!」
「え⁉」
「変に触ると、弾け飛びそうになるんだ!」
なんということでしょう。まさかそんなことが起こり得るなんて。
「すまん、なんとか外してくれないか……⁉」
「……俺が、ですか?」
「他に誰がいるのだ!」
――――確かに。
「分かりました……! なんとかしてみせます」
「ああ、頼む……!」
俺はエルダさんと共に、試着室に入る。なんとも背徳的な状況だが、それを楽しんでいる時間はない。俺はエルダさんのワイシャツのボタンに触れる。確かに、少しでも力のかけ方を間違えたら、今にも弾け飛んでしまいそうだ。ドラマで見る爆弾処理班の気分になりながら、俺は慎重にボタンを外そうとする。
そうして四苦八苦していると、時たま手に柔らかな弾力が伝わってくる。ワイシャツによって押し込められている胸が、バランスボールのように俺の手を押し返すのだ。
――――まずい。全然集中できない。
「んっ……!」
突然、エルダさんから艶めかしい声が聞こえ、俺の肩が跳ねた。
「すまん……くすぐったくて」
エルダさんは、恥ずかしそうに顔をそらした。そのあまりの可愛らしさに見惚れてしまい、ついに、俺の手が滑る。
「あっ」
「え?」
何事も、壊れるときは一瞬だ。指が引っ掛かった拍子に、外そうとしていたボタンが、勢いよく射出される。
俺の額にボタンが命中し、軽い痛みが走った。しかし、そんなことはどうでもいい。
目の前に広がった〝絶景〟のせいで、俺の思考回路はショートした。
「――――うわぁぁああああ!」
冷静な自分が必死に回路を直そうとしている中、俺の体は、エルダさんによって試着室から弾き出されていた。
「……散々な目に遭ったぞ」
服屋を出た途端、エルダさんのジト目が俺を射抜いた。
「すみません……こんなはずでは」
そう。こんなはずではなかったのだ。色んな服を着てもらい、エルダさんはオシャレになり、俺は目の保養になる。そういう計画だったはずだ。
それがどうしたことか。俺の手には、先ほどボタンが弾け飛んでしまったワイシャツと、ついでにレザーのズボンがある。もちろん、エルダさんが気に入ったわけではない。ただ壊した責任を取っただけだ。
「……まあ、もとはと言えば、私が貴様に無茶を言ったのが原因だ。それに、私の体型のことをきちんと伝えておくべきだったな」
「いえ、それは……」
否定しようとしたところで、俺はとっさに口を閉じる。
エルダさんの体型については、多分本人よりも詳しい。設定資料集を丸暗記した俺に、隙はない。
この服だって、エルダさんの体型にぴったり合うものを選んだはずだったのだが――――。
「……」
俺はちらりと彼女の胸元に視線を向ける。
――――まさか、いまだに成長している……?
「どうした?」
「い、いえ! なんでもありません!」
気づいたときには、敬礼していた。とっさのことだった。
「何をしている? 今日は休日だと言っただろう」
「……そうでした」
羞恥を覚えながら、俺は腕を下ろす。
「……ボタンは取れたが、仕立て直せば、これも着られるだろう」
そう言って、エルダさんは俺から服が入った袋を受け取る。
「せっかく貴様が選んでくれた服だ。このまま捨ててしまうのは勿体ない」
「っ……」
照れ臭そうにしているエルダさんに、俺はガッツリ心臓を掴まれてしまった。
ありがとう、ブレアス。転生万歳。
「……そうだ。シルヴァ、まだ時間はあるか?」
「もちろん」
いつもなら、まだ勤務時間内だし。
「なら、もう少し私に付き合ってくれ。貴様と話したいことがあるんだ」
エルダさんの顔に影が差す。きっと、廃人化事件についての話だろう。
俺は黙って頷き、エルダさんと共に歩き出した。