第六十四話 モブ兵士、間に合う
「よし、今日の稽古はここまでだ。また明日、同じ時間に集合するんだぞ」
「「「はい!」」」
若い兵士たちの返事を受け、ジークは満足そうに頷いた。
下の世代に稽古をつけてやることが、現在のジークの仕事である。誰よりも最前線で戦い、数多の民を救ってきた彼の経験は、騎士の育成に大いに役立っている。人柄、実力ともに唯一無二な彼は、現役の騎士たちからしても、憧れの存在であった。
居残り稽古を続ける騎士たちと話したジークは、そのまま騎士団本部をあとにした。
どこか晴れやかな顔をしている彼は、立ち止まって夕暮れの空を見上げた。
若い世代は着実に育っている。誰よりも世界の安寧を願っている彼は、勇者だけでなく、騎士団が強くあることが大切であると考えていた。故に、若い世代を育て上げることは、彼の生き甲斐であった。
エルダという尊き才能が開花したとき、ジークは歓喜に打ち震えた。
――――この娘になら、すべてを託せる。
そう確信した彼は、第一聖騎士団長を思い残すことなく引退することができたのだ。
「……やはり、その判断は間違っていなかったな」
ジークが振り返る。すると、そこにはエルダとグレーテルが立っていた。
「おかしいな。そこの魔族は投獄中ではなかったか?」
「心優しい第二聖騎士団長殿が、自らの手で釈放してくださりました」
エルダがそう答えると、ジークは腹を抱えて笑い始めた。
「はっはっは! そうか、そいつはよかったな。……それで、俺になんの用だ?」
「少し時間をいただきたい。ここではなんですから、我々についてきていただけませんか?」
「構わん。可愛い弟子の頼みだ」
「感謝いたします」
そうして、彼らは歩き出した。
街外れにある、旧聖騎士団本部。現在の本部は、ここ数年で建てられた比較的新しい施設である。本部が完全に切り替わったあと、この施設は騎士団の予備倉庫として使われており、現在は使用していない様々な物資が乱雑に置かれていた。
重要な物資に関しては、すべて現本部の倉庫で事足りているため、ここに出入りする者はほとんどいない。故に、薄暗くなってきた旧訓練場は、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。
「それで、改めて要件を聞こうか」
沈黙を破り、ジークがエルダに問いかける。
「貴方に、問いたいことがある」
そう言って、エルダはグレーテルを一瞥した。
「何故貴方は、グレーテルの名前を知っていたのですか?」
「……」
その問いを受け、ジークは目を細めた。
「騎士団の中で、彼女を受け入れる姿勢を見せたのは私ひとりでした。故に、彼女と深く関わっているのも、私ひとりです」
「……ほう」
「そして、私はグレーテルの名前を誰にも伝えていません。少なくとも、彼女が廃人化事件の容疑者として確保されるまでは」
エルダは、グッと奥歯を噛み締めてから、再び口を開く。
「シルヴァやシャルルを騎士団本部へ呼んだ日……貴方は初めて会ったはずのグレーテルの名前を呼びました。それについて、納得のいく説明をいただきたい」
「……」
エルダの言葉を受けて、ジークは小さく息を吐いた。
見上げれば、空はすっかり黒く染まっていた。そんな暗い世界の中に、光り輝く数多の星々が見える。ジークは他の星よりも力強く輝く星を見つけ、ニヤリと笑った。
「この空にある無数の星々が、この国を守る騎士たちだとしたら……きっとあの強い光を放つ星が、お前なんだろう」
ジークは、エルダへと向き直る。
彼の言葉は、エルダに対するこの上ない賛辞であった。
「……なんとなく、いつかこういう日が来ると分かっていた。だが、来たら来たで、少し寂しいものがあるな」
皮肉っぽく笑ったジークは、その優しくも鋭い眼光を、エルダへと向ける。
「個体番号〝六〟そして〝七〟……。それが、そこにいるグレーテルと、その双子の兄であるヘンゼルの名称だ」
「っ……」
「二人は、我々〝幻想協会〟が作った〝人造魔族〟だ。俺が二人の名を知っていたのは、その個体名をつけた張本人だから――――これで納得してもらえたか?」
唇を噛み締め、エルダが剣を抜く。
「やはり……貴様が……!」
「エルダっち!」
「ああ! ここでこの男を拘束する!」
戦闘態勢を取ったエルダとグレーテルは、ジークを捕らえるべく走り出した。
「ふっ、せっかちだな。もう少し話をさせてもらいたかったところだが……」
ジークは、グレーテルに向かって手をかざす。すると、グレーテルがつけているチョーカーから、キィンという甲高い音が響いた。その音は連続で鳴り響き、徐々にその間隔を狭めていく。
「まさか……⁉」
「悪いが、俺の邪魔をしてもらっては困るんだ。会話をする気がないなら……ここで消えてもらう」
エルダの脳裏によぎる、吹き飛んだ研究員たちの姿。今ここでグレーテルのチョーカーが爆発すれば、装着者本人だけでなく、近くにいるエルダまで綺麗に吹き飛ぶことだろう。
――――どうすれば……⁉
巡る思考の中で、エルダは深く自分を呪った。ヘンゼルとグレーテルのチョーカーが、爆発を起こす魔道具であることは聞いていた。ジークを幻想協会の関係者と確信して近づこうとした際、その危険性を考えなかったわけではない。しかし、エルダは最後の最後で信じてしまった。自身の師であるジークが、人の道を外れた行いをするわけがないと。
「……エルダっち」
「っ⁉」
迷いのせいで、エルダの思考が止まった一瞬。警告音が響く中で、グレーテルはエルダの体を強く突き飛ばした。二人の距離が、大きく開く。
「自分を責めちゃダメだよ、エルダっち。あなたが受け入れてくれただけで、あたしは生きていてもいいって思えたんだから」
「っ……! 待て! グレーテル!」
エルダの悲痛な声が、極限まで加速した警告音にかき消される。
最期のときがすぐそこに迫る中、グレーテルは目を閉じた。
「――――〝魔力解放〟……!」
どこからともなく聞こえてきたその声。瞬間、警告音がぴたりと止む。
「今度は間に合ったぞ……! この野郎……!」
今まさに、ひとつの儚い命が消えようとしていたそのとき。
ひとりのモブ兵士が、膨大な魔力と共に現着した。




