第五十七話 モブ兵士、仮病を使う
「――――ってなわけで、あのシルヴァって兵士は、例の廃人化事件の犯人に襲われたってことで間違いないよ」
王都の町医者、ランツェル=フォルザ―ドは、騎士団長の集会でそう宣言した。
会議室に動揺が走る。今回の事件は、すべてグレーテルの仕業という話だった。彼女はすでに捕獲され、処刑をいつにするかという相談が行われている。しかし、新たな被害者が出てしまったことで、この話は白紙になる可能性すら出てきた。
「そ、そんなはずはない! 廃人化事件の犯人はすでに捕らえているのですよ⁉」
机を叩きながら、ゼリオ=アンダートが叫ぶ。
「そんなの、ボクは知ったこっちゃないよ。ボクの診断は絶対だ。これまで、一度でも間違えたことがあったかな?」
「くっ……」
ゼリオは、口ごもるほかなかった。ランツェルは、魔族が起こした事件の被害者を何百人と診てきた。ランツェルの診断によって、魔族の正体が暴かれたことだって少なくない。彼女を疑うということは、これまでの捜査にケチをつけるということだ。
「考えられる線としては、捕まっていた魔族が脱走して人を襲ったってことくらいだけど……昨日の晩、脱走事件なんて起きてたのかな? だとしたら大惨事だよね」
騎士団長たちは、口を噤んだ。無論、そんな事態は起きていない。監視の目はこれまで以上に強化され、間違いなくグレーテルは今も檻の中にいる。
「ということは……あの魔族は犯人ではないのか」
狼のような鋭い眼光を持つ男、第三騎士団長であるジェラルド=ライカンは、深刻な表情でそう言った。そんな彼を、ゼリオはキッと睨みつける。
「まだ決まったわけではありません! 何か遠隔で人を襲う手段があった可能性も――――」
「それも難しいと思うけどね。もしできるなら、ここにいる連中の魔力を奪えばいいだけだし」
「っ……」
ランツェルの意見はもっともだった。
そもそも、グレーテルは〝結界牢〟にいるのだ。遠隔で人を襲うなんて真似ができるとは、到底思えない。
「とにかく、そういうわけだからさ。詳しい捜査は任せるけど、昨晩起きた事件とこれまでの事件は、同一犯による犯行ってことだけは覚えておいてね」
それじゃ――――。
そう言って、ランツェルは会議室をあとにした。
残された者たちの表情は、様々だった。
「捜査は振り出しに戻ったわけだが……ひとまず、エルダ殿に処分を下す必要はなくなったようだな」
ジェラルドがそう言うと、他の騎士団長もホッとした様子で頷いた。何かと敵が多いエルダだが、決して味方が少ないわけではない。むしろほとんどの騎士からは、優秀な団長として慕われていた。この場で唯一エルダの処遇に納得がいっていないのは、彼女を忌み嫌うゼリオだけである。
「くそっ……あと一歩のところで……」
ゼリオは憎々しげに机を叩くと、大きな足音を立てながら会議室をあとにした。
◇◆◇
「ってな感じで伝えてきたけど」
「ありがとうございます、ランツェル先生」
診療所に帰ってきたランツェルさんに、俺は深く頭を下げた。
俺は今、魔族に襲われて昏睡状態ということになっている。昨日、ヘンゼルとの接触に成功した俺は、早朝からランツェルさんのもとに駆け込んだ。優秀な医者であるランツェルさんだが、決して正義感の塊というわけではない。交換条件さえ用意すれば、協力してもらえると踏んだのだ。
予想通り、ランツェルさんは俺の要望を受け入れて、偽の診断書の作成と、騎士団への報告を請け負ってくれた。今頃、廃人化事件の捜査は白紙に戻っているだろう。少なくとも、今すぐにエルダさんを解任し、グレーテルを処刑するわけにはいかなくなったはずだ。
「礼ならいいよ。そのうちちゃんと返してもらうから。……君の体でね」
「あは、あはははは……」
口から乾いた笑いが漏れる。ランツェルさんが俺に要求したのは、俺の体をじっくりと調べる権利だった。さすがに解剖はしないと約束してくれたが、果たして俺は、俺のままで帰ってくることができるのだろうか。改造とかされないといいけど――――。
「それで、これからどうするんだい?」
まるで実験動物を観察するような目で、ランツェルさんは問いかけてきた。協力を要請するにあたり、ランツェルさんには今回の事件について話してある。
「まずは、〝幻想協会〟を探ってみようと思います」
「〝幻想協会〟かぁ……あそこはいい噂を聞かないね」
ランツェルさんがそう言ったのを聞いて、俺は首を傾げた。
「何か、知ってるんですか?」
「まあ、彼らの研究は医療器材にも及んでるしね。ある程度は情報も入ってくるってことさ」
ランツェルさんは、咥えたタバコに火をつけた。病院でタバコを吸うのはいかがなものかと思うが、ちゃんとした病人の前では一切吸わないらしい。
「よく聞く噂じゃ、人体実験に手を出している、とか。違法な薬物を作っている、とか。あとはそれこそ、魔族の研究なんてものも行われているらしいよ」
「魔族の研究……」
ヘンゼルは、自分を脅している連中に記憶をいじられた可能性があると言っていた。もし〝幻想協会〟が裏で魔族に関する研究を行っているとしたら、それくらいは容易かもしれない。
「魔族への対抗手段を見つけるため……とかならいいんだけどね。ま、それなら公表してるだろうけど」
「ですよね……」
「とにかく、探るなら気を付けてね。連中に秘密があるなら、死んでも隠し通そうとするはずだよ」
「はい、気を付けます」
「本当に気を付けてよ? ボクは生きた状態の君をいじりたいんだからさ」
「あ……はい」
まさか純粋に心配してくれているだなんて、俺も思っていませんよ。ええ。
診療所を出た俺は、騎士団本部へと向かった。襲われて昏睡状態であるはずの俺が現れても、本部にいる騎士たちはまったく気づく様子を見せない。こういうときほど、自分がモブでよかったと思う。
「失礼します」
俺が訪れたのは、エルダさんの部屋だった。
椅子に座っていた彼女は、俺に訝しげな視線を向ける。
「……色々聞きたいことがあるが……まずは、昨晩何があったか説明してくれるか?」
「はい、もちろんです」
俺は、昨日の単独捜査を経て、グレーテルの兄であるヘンゼルと出会ったことを話した。
「貴様が魔族に後れを取ったと聞いて、おかしいと思っていた。何か事情があると踏んでいたが、まさかひと芝居打っていたとはな」
「エルダさんの立場を守るには、こうするしかないと思ったんです」
「立場なんてどうでもいいと言っただろう……だが、まあ……その……感謝する」
頬を赤くしながら、エルダさんは俺に感謝を告げた。これが見られただけで、歓楽街を駆けずり回った甲斐があるというものだ。
「しかし、まさか魔族を脅す連中がいるとはな……怖いもの知らずというか、なんというか」
「なんのためにヘンゼルをこき使っているのかは分かりませんが、このままにはしておけません」
「ああ、なんとしても止めねばならん」
エルダさんは、音が聞こえてくるほど強く拳を握りしめた。
グレーテルが犯人ではないとはっきり分かり、安心と共に気持ちが昂っているのが伝わってくる。俺だってそうだ。この先は原作を超えた世界。救えなかったはずのキャラクターを救うチャンスがあるなら、俺は全力で手を伸ばしたい。
――――あれ、ここでグレーテルを助けたら、原作を壊すことになる……?
今更気づいたが、もしかすると俺は、とんでもない分岐点に立たされているんじゃないか?




