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第五十六話 モブ兵士、吸われる

「ぐっ……⁉」


 〝魔力領域〟に飲み込まれたヘンゼルは、苦しげに呻きながら膝をついた。他人の魔力が体に纏わりつくと、まるで水中にいるような動きづらさと、息苦しさを感じる。自身の魔力で身を守れば、それもだいぶ緩和されるが――――。


「まともに立ち上がることすら難しいだろ? 自分がどういう状況に置かれてるか、もう分かっているはずだ」


「くそっ……!」


 ヘンゼルが俺に向けて手を伸ばす。どうやら、魔術の使用を試みたらしい。しかし、魔術が発動する気配はない。


「無駄だ。この〝魔力領域〟にいる限り、お前は魔術を一切使えない」


「ッ……」


 ヘンゼルの顔が引き攣る。さっきの魔力強化からして、ヘンゼルはグレーテルと同じく魔力の扱いに慣れていない。そんな彼でも、感覚で理解してしまったのだろう。この空間にいる限り、決して俺には勝てないということを。


「――――声が……聞こえなくなった」


 ハッとした様子で、ヘンゼルは首元にあるチョーカーに触れる。宝石が埋め込まれた、高そうなチョーカーだ。そういえば、似たようなものをグレーテルもつけていたような気がする。


「……おい。この空間では、魔術は使えないと言ったな」


「ああ……」


「それなら、この空間の外から僕に対して(・・・・・)魔術を使っても、効果がないということか?」


「まあ、そうなるけど……」


 実際、吸血鬼の攻撃は〝魔力領域〟に入った時点でかき消すことができた。外から放たれた魔術でも、俺たちに効果が及ぶことは決してない。


「……お前に頼みがある」


 そう言ったヘンゼルの目からは、先ほどのような敵意は感じられなかった。


「僕の周りだけ、魔力を薄くすることはできないか?」


「……そうしたら、すべてを話してくれるのか?」


「ああ、約束しよう」


 俺は真っ直ぐヘンゼルの目を見つめる。どうやら、嘘を言っているわけではなさそうだ。


「……分かった」


 多少苦戦しながらも、俺はヘンゼルの周りだけ魔力の密度を下げた。ハッキリ言って、めっちゃ難しい。もっと領域を広げろと言われたほうが、まだマシなレベルだ。


 まともに会話がしたいなら、〝魔力領域〟内はあまりにも不向き。しかし、ヘンゼルの口振りだと、外部からなんらかの干渉を受けていると見て間違いない。それを防ぐために、今はなんとかこの形を維持するしかない。


「悪いな、これが限界だ」


「十分だ」


 そう言うと、ヘンゼルは立ち上がる。多少居心地悪そうにしているが、さっきよりは楽そうだ。


「大事なことから話す。僕とグレーテルは、ある人間たちから脅されている」


「ある人間たち……?」


「悪いが、詳しくは知らない。だが、どうやら僕らは、その人間たちの〝駒〟であり、〝実験体〟らしい」


 実験体――――その言葉は、俺の胸にズンとのしかかった。


「何故僕らが人間に飼われているのか(・・・・・・・・)、その辺りの記憶は曖昧で、どういうわけか思い出せない。きっと、やつらに何か細工をされたんだろうな」


 皮肉っぽくそうこぼしたあと、ヘンゼルは言葉を続けた。


「このチョーカーは、文字通り首輪だ。これをつけている限り、僕らの行動はやつらに筒抜けで、万が一裏切るようなことがあれば、即座に首が吹き飛ぶようになっている。もちろん、このことについて誰かに話すのもダメだ」


「穏やかじゃねぇな……」


 グレーテルのチョーカーも、魔道具だったのか。もっと早く気づいていれば、別の対策も取れたかもしれないのに……。


――――いや、今は後悔している場合じゃない。


 反省なんて、いつでもできる。今やらなければならないことは、ヘンゼルの話をしっかりと聴くことだ。


「その連中は、あんたに何をやらせてるんだ?」


「やつらは、僕に魔力を集めさせている。僕がこの命令に背いたり、しくじるようなことがあれば、グレーテルは死ぬ。生憎、グレーテルは自分が人質になっていることを知らないけどね」


「……なるほどね」


 ヘンゼルが歯向かえば、まずはグレーテルの首を吹っ飛ばすって算段か。その連中、話を聞けば聞くほど卑劣だな。


「魔力を集めさせる理由は?」


「知らない。やつらは僕に余計なことを伝えない」


「徹底してるな……。その感じだと、正体なんて分からないよな」


「当然だ。……でも、ひっきりなしに魔術の研究(・・・・・)について語っていた。手掛かりになりそうなのは、それくらいだ」


「魔術の研究……」


 その言葉から連想されるのは、ゼレンシア王国お抱えの魔術研究機関、〝幻想協会(フェアリーテール)〟。魔力を用いた様々な現象を研究していて、ゼレンシア王国の発展に大きく貢献している大組織だ。

 ただ、国と密接に関係している組織が、魔族を利用するようなリスキーな真似をするとは思えない。下手すれば、魔族と協力関係を築いたとして罰せられる可能性がある。


――――だけど……調べる価値はありそうだな。


 他にヒントもないし、当たれるところから当たってみるしかない。


「ヘンゼル、俺から魔力を吸うことってできるか?」


「……急に何を言い出すんだ?」


 そう言って、ヘンゼルは困惑した様子を見せる。確かに突拍子のない注文だが、これにはちゃんと意味があるのだ。


「あんたを騎士団に突き出すわけにはいかない。だけど、このままじゃグレーテルが処刑されてしまう。だからあえて俺が被害者になって、廃人化事件はまだ終わっていないって教えてやるんだよ」


 グレーテルが捕まっている状態で事件が起きれば、容易には裁けなくなる。エルダさんの処分だって、少しは猶予ができるだろう。だからって、ヘンゼルに一般人を襲わせるわけにはいかないから、ここは俺が身を削るしかない。


「……そういうことなら、分かった」


 俺は完全に〝魔力領域〟を解除する。自由に能力が使えるようになったヘンゼルは、俺の体に手を添えた。


「言っておくけど……これは魔力を吸うために必要な行為であって、決して他意はないからな」


「え?」


 そう言うと、ヘンゼルはむぎゅっと俺に抱き着いてきた。俺は困惑した。ヘンゼルは男だ。男に抱き着かれるなんて、別に喜ぶようなことではない。分かっているはずなのに、妙に胸が高鳴る。ヘンゼルの体は何故か女性のように柔らかく、妙にいい香りがする。これがサキュバスの力――――いや、男だからインキュバスか? ああ、もう、頭が回らない。


「……ダメだ」


 突然、ヘンゼルは困り顔でそう言った。そしてすぐに俺から離れたが、どうにも魔力が減っている感じがしない。


「どうした? 吸わないのか?」


「もうずいぶん吸った。お前の魔力が多すぎて、これ以上吸うと僕のほうが耐えられない」


「あ、ああ……」


 言われてみれば、さっきと比べてヘンゼルの魔力量が跳ね上がっている。


「何をどうしたらこんなに溜め込めるんだ……とても底が見えないぞ」


「まあ……鍛えまくったおかげかな」


「というか、これじゃ僕に襲われたって説明しても、信じてもらえないんじゃないか?」


「うっ……」


 魔力を隠すことはできても、さすがに専門家に診察されたら、魔力が残っていることはバレてしまう。特に医者とか――――。


「……仕方ない。何を要求されるか分かったもんじゃないけど、頼んでみるしかないか」


「? なんの話だ?」


「知り合いに、いいお医者さんがいてさ」


 そう言いながら、俺は苦笑いを浮かべた。


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