第五十三話 モブ兵士、考え込む
幸い、襲われていた男は、命に別状はなかった。ただ、他の被害者と同じように、すぐに意識を取り戻すことは難しいらしい。
俺は、グレーテルを拘束せざるを得なかった。捕まったときのグレーテルは、不気味なほどに静かで、決して多くを語らなかった。
グレーテルの身柄は、すぐに騎士団本部へと送られ、地下深くにある〝結界牢〟に収容された。〝結界牢〟とは、魔力を乱す結界が施された、対魔族用収容施設である。体内の魔力が乱されると、どんな実力者でもまともに動けなくなる。しかし、レベル4の魔族ともなれば、魔力が乱れた状態にも、数日もすれば慣れてしまうだろう。ただ、慣れる前に処刑の決定が下されるのは自明だ。
「……すべては私の責任だ」
怒涛の夜が明け、翌日の朝。騎士団長の部屋に呼ばれた俺とシャルたその前で、エルダさんは苦悶の表情を浮かべていた。
魔族を事件の捜査に加えるという判断を下したのは、紛れもなくエルダさんだ。その魔族が人に害をなせば、当然責任はエルダさんが取らなければならない。これに関して言えば、俺たちだって庇うことはできないし、エルダさん自身がそれを望んでいないだろう。
「本当に……グレーテルがやったのかな」
暗い雰囲気の中、シャルたそがぼそりと言った。俺は即答することができなかった。あの状況を考えると、グレーテルがやったとしか思えない。ただ、直接襲い掛かった瞬間を見たわけではないし、偶然グレーテルがあの場所にいたという可能性もある。
――――でも、それなら否定するよな……。
グレーテルが犯人ではないのなら、あの場で俺に謝罪する意味が分からない。直接襲ったかどうかはさておき、彼女が事件に関わっているのは、これではっきりしてしまった。
「……明日、私を除く騎士団長たちと、国の上層部で会議が行われることになった。おそらく、そこでグレーテルの処刑と、私の解任が決まるだろう」
「っ……」
俺は思わず唇を噛んだ。結局、ブレアス本来のシナリオ通りに話が進み、俺はエルダさんが解任されることを防げなかった。しかも、本編よりも状況がよくない。騎士団長を解任されたエルダさんは、主人公であるアレンの仲間になることで、世界を救うメンバーのひとりになる。それが、この世界ではどうだ。アレンは修行に出てしまい、今は街にはいない。このままでは、エルダさんの居場所がなくなってしまう。
「……私の話など、はっきり言ってどうでもいい」
そう言いながら、エルダさんは拳を握りしめる。
「問題なのは、私のせいで犠牲者を増やしてしまったことだ……私には、この事件を解決する義務がある」
「……どうするつもりですか?」
「私が……グレーテルの首を刎ねる」
エルダさんは、ひどく苦しそうにしながらそう答えた。
果たして、それは本当に責任を果たすことになるのだろうか。さっきから、妙な違和感が消えてくれない。何か重大な勘違いをしているような、すべての歯車が狂ってしまっているような。
グレーテルは犯人ではない――――俺がそう思いたいだけなのだろうか?
――――いや、そんなはずない。
よく考えれば、何もかもがおかしい。どうしてグレーテルは、あんなに分かりやすく人を襲ったんだ? 俺たちが近くにいる以上、すぐに気づかれることは彼女も分かっていたはずだ。ずっと用心深く人を襲っていたはずの犯人が、最後の最後であんな間抜けを晒すなんて、まるで意味が分からない。
グレーテルが犯人ではないと考えると、納得できる部分は他にもある。リルの鼻だ。いくらお菓子の匂いが邪魔をしたと言っても、すぐそこにいるグレーテルの匂いを嗅ぎ分けられないなんて、どう考えてもおかしい。最後の犯行はともかく、それまでの事件は、グレーテルが犯人ではないと考えるのが筋ではないか。
「シルヴァ、どうしたの?」
「ん? あ、ああ……ちょっと考えごとしてて……」
俺がそう言うと、顔を伏せていたエルダさんが大きく息を吐いた。
「……二人とも、今回はご苦労だった。あとのことはこちらで処理する。今はゆっくり体を休めてくれ」
顔を見合わせた俺とシャルたそは、会釈したのち騎士団長室をあとにした。
きっとエルダさんも、しばらくはひとりになりたいのだろう。
「シルヴァ、私も一度屋敷に戻る」
「そっか……送っていこうか?」
廊下を歩きながらそう問いかけると、シャルたそは首を横に振った。
「ううん、シルヴァも疲れてるだろうし、ひとりで帰る」
「疲れてるなんて……」
「それに、何か考えたいことがあるんでしょ?」
「……よく分かったね」
「シルヴァのこと、あれからまた少し分かってきた。シルヴァが真剣な顔をしているときは、何か納得できないことがあるとき」
推しに認知してもらえているというのは、この上ない喜び。しかし、こうもはっきり言い当てられると、さすがに少し恥ずかしかった。
「……勘だけど、やっぱり私は、グレーテルが犯人じゃないと思う」
シャルたその意見に、俺は頷いた。
「俺も、シャルたそと同じ意見だ」
俺の仮説では、グレーテルは犯人ではない。いや、正しくは実行犯ではない。グレーテルが今回の事件とまったく関係ない存在なら、捜査の邪魔や犯人として捕まるなんて真似はしないだろう。このことから、俺はグレーテルが誰かを庇っていると考える。つまり真犯人は、グレーテルと深い関係である可能性が高い。
「気を遣ってくれてありがとう。俺、もう少し考えてみる」
「うん。私も、私なりに考えてみる」
そうして俺たちは、騎士団本部の前で解散することになった。
◇◆◇
騎士団本部の廊下を、暗い顔をしたエルダが歩いている。
そんな彼女の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「これはこれは、第一騎士団長のエルダ=スノウホワイト様ではないですか」
「……ゼリオ」
ニヤニヤとゲスな笑みを浮かべる男の名は、ゼリオ=アンダート。ゼレンシア王国第二聖騎士団長である。第一聖騎士団長であるエルダと、第二聖騎士団長であるゼリオは、すこぶる仲が悪いことで有名だった。
「あなたも馬鹿ですねぇ……。魔族が人間に協力するはずがないというのに」
出世欲の塊であるゼリオにとって、騎士団の中でもっとも権力の強い第一騎士団長を任されているエルダは、目の上のたんこぶであった。そんな彼女が解任寸前となり、彼は心の底から歓喜していた。
「あの魔族……えー、名前はなんと言ったかな? まあ、どうせ死ぬ魔族の名を覚えていたところで、仕方ないですよねぇ」
「っ……黙れ」
「おやぁ? まだあの魔族を庇う気ですか? 現実を見ましょうよ、エルダ殿。あなたは薄汚い魔族に騙された、ただの愚か者ですよ?」
エルダは奥歯を噛みしめ、突き出しそうになった拳をグッと堪えた。
エルダは、グレーテルのことを心のどこかでいまだに信じていた。彼女の明るさが、人への関心が、すべて偽物だったとは到底思えないのだ。
「安心してください、エルダ殿。あなたが解任されたあとは、この私がしっかりと第一騎士団長を引き継ぎますから」
ゼリオはエルダの肩を叩き、クスクスと笑いながら去っていく。
あまりの悔しさで、エルダはしばらくその場を離れることができなかった。




