第五十二話 ヒロインたち、大活躍
「どうだいグレーテルちゃん! 俺が頼んだシャンパンタワーとやらは!」
「すごーい! ありがとう!」
「はっはっは! こんなことでよければいくらでも頼んでくれ!」
昨日グレーテルと外で話していた男が、シャンパンタワーの前で胸を張っている。俺が頼んだ通りに、グレーテルは彼を巧みに誘導して、シャンパンタワーを注文させた。さすがはサキュバス。俺の想像を遥かに超えるスムーズさで、目的を果たしてしまった。
さて、問題はここから。このシャンパンタワーに続く形で、エルダさんたちの客にも同じことをしてもらわなければならないのだが――――。
「おらー! もっと酒入れんかー!」
「は、はいぃぃ!」
先ほどまでの怯えはどこへやら。酔っぱらったエルダさんが、客をバシバシと叩いている。身なりからして、あの客はかなり位の高い貴族だろう。どうしてあんなことになっているのか、俺には分からない。ちょっと目を離した隙に、エルダさんはべろんべろんに酔っぱらっていて、客を顎で使うようになっていた。どう見ても客に注文を強要しているようにしか見えないのだが、何故か客のほうが満更でもない顔をしているせいで、止めるに止められない。きっと、推しに貢ぐことに快感を覚えるタイプなのだろう。その気持ちはちょっと分かる。
「シャルルちゃん! ほら、お望みのシャンパンタワーだよ! これなら僕にウィンクしてくれる⁉」
「……仕方ない、約束は約束」
シャルたそのテーブルを見ると、ちょうど彼女が客にウィンクをしているところだった。
そのあまりの可愛さを前にして、客は歓喜の声を上げた。まるで悲鳴のような声だったが、俺も似たような声を出した覚えがあるため、気持ちは痛いほどわかる。
それにしても、羨ましいにもほどがある。あとで俺にもウィンクしてくれないかな。やっぱりシャンパンタワー入れないとダメかな……。
まさか、ここまで順調に事が進むとは思っていなかった。シャンパンタワーを注文するには、一回三百万ゴールドもかかる。すでに三つのタワーが注文されたわけだから、売上は九百万。目標金額は優に超えている。
しかも、こちらにはまだもうひとりいるのだ――――。
「ほら、飲みなさい」
「は、はい! カグヤ様!」
ソファーで足を組んでいるカグヤの前には、三人の男が正座をして並んでいた。カグヤはそのうちのひとりの顔に、グラスに入っていたシャンパンを注ぐ。当然上手く飲めるはずもなく、口からあふれたシャンパンが、床を濡らしてしまった。
「あら、こぼしていいなんて言ったかしら?」
「ご、ごめんなさいっ!」
「ダメな男ね、あなた。ちゃんと自分で綺麗にしなさい」
「はいっ! 喜んで!」
シャンパンをこぼした男は、自分の服を脱いで床を拭き始める。
あの服、相当高そうなのに……。
「ほら、他の二人も飲みなさい。私が注いであげるわ」
「「はい! よろしくお願いします!」」
カグヤはどこか愉悦を感じている表情で、男たちの口にシャンパンを注いでいく。
あの三人の男は、それぞれがカグヤのためにシャンパンタワーを注文していた。つまり、カグヤだけで九百万の売上を出したことになる。あいつにまさかこんな才能があるとは思わなかった。まあ、やってることは完全に女王様だけど……。
「やあやあ、シルヴァくん!」
「あ、店長……」
満面の笑みで近づいてきた店長が、俺の肩を叩く。
「すごいね、君が連れてきた子たち。めちゃくちゃ大盛況じゃないか」
「ど、どうも……」
ヒロインたちのポテンシャルを信じているからこその作戦だったが、まさかこんなに上手くいくとは俺も思っていなかった。正直、一日じゃ終わらないことを覚悟していたのだが、そんな必要は一切なかったようだ。
「今後もぜひ働いてもらいたいね。彼女たちなら、うちの店をもっと大きくしてくれるに違いないよ」
「あー……っすねー……」
「君からも言っといてくれない? みんなこのままうちで働いてほしいって」
「あはは」
絶対嫌だよ。
「わ、私はなんてことを……」
控室に、エルダさんの苦悶の声が響いた。酔いがさめたことで、冷静になってしまったらしい。自分の突飛な行動に対し、強い後悔を覚えているようだ。
「綺麗さっぱり忘れましょうよ! もう働かなくていいんですから!」
「ううっ……さっさと忘れたい……」
エルダさんのあまりの落ち込みっぷりに、俺は苦笑いを浮かべた。まあ、あれだけ醜態を晒したら、無理もないか……。
目標金額を稼ぎ終えた俺たちは、あれからすぐに退勤させてもらうことになった。店長はかなり渋っていたけれど、売上を全額渡すと言ったら、ようやく納得してくれた。さすがに千八百万ゴールドの売上は前代未聞だったらしく、店長もそのまま受け取っておくのが吉と思ったのだろう。
「私はなかなか楽しめたわ」
「私も、ちょっと楽しかった」
苦しむエルダさんとは裏腹に、カグヤとシャルたそはケロッとした顔をしていた。不安そうにしていたシャルたそに関しては、むしろ今のほうが元気そうに見える。
「……二人とも、今日は本当に助かった。これで、なんとかグレーテルを連れて帰れるよ」
「ん、シルヴァの役に立てて嬉しい」
そう言って、シャルたそは微笑んだ。
なんだ、この子。天使か? ああ、そうだ。きっと天使に違いない。
「ねぇ、シルヴァ。ちょっと思ったことがある」
「ん?」
「ここで働かずに、魔物を狩るんじゃダメだったの? 騎士団長とシルヴァなら、一級の魔物くらい狩れたと思う」
「……」
一級の魔物を討伐できれば、討伐報酬と素材の売値で、軽く一千万ゴールドは超えるだろう。移動には手間がかかるが、少なくともここで働く必要はなかった。
「そ、その手があったか……!」
話を聞いていたエルダさんが、床へと崩れ落ちた。
「もっと早く気づいていれば、こんなに苦しまずに済んだのに……」
「……」
後悔に苛まれているエルダさんを前に、俺は沈黙を貫くことにした。
――――すみません、エルダさん……。
心の中で、俺はエルダさんに謝罪する。何故ならば、俺の頭には魔物を狩るという選択肢が最初からあったからだ。言わなかったのは、エルダさんのドレス姿が見たかったからに他ならない。だって、作中にはない衣装だったんだもん。新衣装お披露目の機会を逃すなんて、オタクとして許されないではないか。
「……ところで、あの魔族はどうしたのかしら」
「え?」
カグヤに言われて、俺は控室を見回す。確かに、グレーテルの姿がない。一体どこにいったのだろうか?
「……ちょっと探してくる。カグヤたちは休んでてくれ」
そう言って、俺は控室を出た。
店内にも、グレーテルの姿はない。俺はそのまま外に出て、近場を探してみることにした。
――――なんだ……この胸騒ぎは……。
達成感から一転。今は胸がざわざわして、妙に落ち着かない。
とてつもなく嫌な予感がする。俺は焦りながら、路地裏のほうへと入っていった。月明かりだけを頼りに、薄暗い路地を進んでいく。すると、遠目に人影を確認することができた。
「あれは……」
俺は急いでその人影のもとに駆け寄る。すると、そこにいたのはグレーテルだった。
「グレーテ――――ッ⁉」
ゆっくりと、グレーテルは俺のほうに顔を向ける。そんな彼女の足元には、先ほど彼女が接客していた男が倒れていた。
「お前……何やって……」
「……ゴメンね、シルヴァくん」
月明かりに照らされた彼女は、どこか切なそうな声色で、そう言った。




