第四十六話 モブ兵士、割り込む
「何かしらそれ」
興味なさげに言いながら、カグヤは指を鳴らす。
すると、再びグレーテルの体が真横に転がった。
しかし――――。
「残念! もう通じないよ!」
グレーテルがカグヤに手をかざすと、突然二人の体が引き合い始めた。
さすがのカグヤもこれには驚いたようで、目を丸くしている。
「隙あり!」
距離を縮めたグレーテルは、カグヤに向かって蹴りを放つ。カグヤはそれを腕でブロックすると、真後ろに向かって跳んだ。
カグヤが防御に回るところなんて、なかなか見れるものじゃない。それだけグレーテルの攻撃が、カグヤにとって脅威ということだ。
「逃がさないって!」
再びグレーテルが手を伸ばすと、カグヤの動きがぴたりと止まる。そして今の流れを再現するかのように、カグヤとグレーテルの体はまたもや引き合った。
「――――なるほど、そういう魔術ね」
しかし、今度はぶつかることなく、カグヤの体は途中で静止する。
それを見たグレーテルは、ちぇっと可愛らしく舌打ちした。
「こんなに早く対応されるとは思わなかったよ」
「奇しくも同じような能力なんだもの」
そう、グレーテルの魔術は、カグヤとよく似ている。その名も〝引力魔術〟。ものとものを引き合わせ、万物に影響を及ぼす強力な魔術である。
カグヤは今、グレーテルに引き寄せられる力を、自身の重力魔術で打ち消している。力がつり合っている限り、カグヤの体がこれ以上引っ張られることはない。ただ、それだけで防げるほど甘い魔術ではない。
「あなたが近づいてこないなら、こっちから行くだけだよ!」
グレーテルの体が、カグヤに向かって一気に引き寄せられる。互いが互いを引き合っているのだから、カグヤだけ止まったところで、状況は変わらないのだ。
「〝片想引力〟――――〝衝突〟!」
「っ!」
先ほどよりも重いグレーテルの飛び蹴りを、カグヤは再び腕で受け止める。しかし、威力を殺しきれなかったのか、カグヤの体は大きく真後ろに吹き飛んだ。
――――おかしい……。
カグヤが吹き飛ばされたのを見て、俺は疑問を抱いた。グレーテルを甘く見ているわけではないが、今の攻撃をカグヤが受け止められないはずがない。
「……あ」
そこで、俺はとあることを思い出した。
「薄汚い魔族にしては、なかなかやるわね」
地鳴りが起きるほどの魔力が、カグヤから溢れ出す。
どうやら、本腰を入れてグレーテルを叩き潰そうとしているらしい。
「あなただって、あたしの想像以上だよ……!」
それに応えるかのように、グレーテルもさらに魔力を解放する。高密度の魔力がぶつかり合い、周囲の景色が屈折して歪み始めた。このままぶつかれば、辺り一帯が更地になってしまう。
――――さすがに看過できないな。
二人が同時に飛び出したのを見て、俺は瞬時にその間に割り込んだ。そして両者の拳を受け流し、その首に手刀を添える。
「……いい加減にしろ、お前ら。このまま街を壊すつもりか?」
「「っ……」」
話を聞こうとしないカグヤ、そして話を遮ったグレーテル。今回の件は、どちらも悪い。もちろん、すぐに止められなかった俺も同罪だ。
「よく聞け、カグヤ。ここにいるグレーテルは、今起きている廃人化事件の協力者だ。エルダ騎士団長の指示のもと、俺とシャルたそに同行している。だから敵ってわけじゃないんだよ」
「……ふーん?」
俺の言葉を聞いたカグヤは、渋々と言った様子で拳を下げた。
「じゃあ、浮気じゃないのね?」
「浮気じゃないし、そもそもお前の旦那になった覚えもない」
「つれないことを言うわ」
いつも通りの冗談を言ったあと、カグヤは真剣な顔つきになる。
「……事情を聞かずに襲い掛かって悪かったわね」
「分かってくれたようで何よりだよ……」
安心した俺は、小さく息を吐いた。自由奔放、傍若無人なカグヤだが、決して話が通じない人間というわけじゃない。それに、ありがたいことに俺はカグヤに信頼してもらえているらしい。そのおかげなのか、真剣に話せば、こうして言うことを聞いてもらえる。
「……グレーテル」
「な、何?」
「さっさと街に行こう。剣を取りに行かないといけないし」
「……分かった」
俺は困惑気味のグレーテルを引き連れ、再び街の中心部を目指して歩き出す。
その途中で、俺は一度振り返った。
「カグヤ。今回の事件じゃ、お前の出番はないと思う。月の塔に戻って、ゆっくり昼寝でもしていてくれ」
「……ふふっ、そうね。お言葉に甘えて、そうさせてもらうわ」
笑みを浮かべたあと、カグヤはふわりと浮かび上がった。
「それじゃ……健闘を祈るわ、アナタ」
そう言って、カグヤはウィンクする。月の塔へ帰っていくカグヤを見送った俺は、ため息と共に肩を竦めた。
カグヤの力が弱まっていたのには、理由がある。それを、現状敵か味方か分からないグレーテルに知られるわけにはいかなかった。強引な突っぱね方になってしまったが、カグヤもその意図を察してくれたらしい。
「ねぇ、シルヴァくん……」
「ん?」
「あ、いや……ごめん、なんでもない」
「……?」
なんでもないと言う割には、グレーテルの様子はどこかおかしいように見えた。
「す、すごいね、シルヴァくん。本当に首を刎ねられたかと思っちゃったよ」
俺が訝しんでいることを察したのか、グレーテルは取り繕うかのようにそう言った。
様子がおかしくなった原因については、話すつもりないらしい。
「……まあ、気迫を込めればあれくらいはな」
「いいなぁ……強いって」
グレーテルが目を細めたのを見て、俺は首を傾げた。自分だって十分強いくせに、何を言っているのだろう。
「ごめん、変な話して。ほら、行こ?」
「……ああ」
笑顔を取り戻したグレーテルが、俺の前を行く。
やはり、この空気感は本編と大きくかけ離れている気がする。この先に一体何が待ち受けているのか……俺の胸の内に広がる不安が、少しずつ大きくなっていた。
◇◆◇
「はぁ……」
空を飛びながら、カグヤは深くため息をついた。
普段から、カグヤは空を飛んで移動する。しかし、今は普段のようなスピードを出していなかった。
「……難儀な体ね」
そうつぶやいて、カグヤは自身の胸をさする。
今のカグヤは、普段とは比べものにならないくらいに弱っていた。原因は、月の満ち欠けにある。カグヤの力は、月が満月に近づくにつれて増大し、新月に近づくにつれて弱体化する。
満月の際に戦えば、シルヴァほどの魔力の持ち主であっても、カグヤに勝てるとは言い切れない。逆に新月のときは、戦うどころかほぼ寝たきりになり、無防備な状態になってしまう。
あと数日で、新月になる。それに応じて、カグヤの力はすでにだいぶ弱まっていた。これこそが、彼女の唯一にして最大の弱点である。
「……ふふっ」
しかし、自身の力が弱まっていることを理解しつつも、カグヤは嬉しそうに笑った。
常に最強であり、己のプライド故に弱みを見せないよう生きてきたカグヤにとって、他者から本気で心配されるという経験は、極めて珍しいことだった。その経験を与えてくれたのは、やはり彼女が夫と慕うひとりのモブ兵士――――。
「この借りは、あとで必ず返すわ」
シルヴァがいる方向を一瞥したカグヤは、そのまま月の塔へ向けて飛び去った。




