第四十四話 モブ兵士、泣く
「いただきます」
「どうぞどうぞ」
俺がそう言うと、シャルたそは目の前のハンバーガーにかぶりついた。
ここは、前にも来たことがある歓楽街の酒場。今日の捜査を打ち切ったあと、シャルたそがハンバーガーが食べたいと言い出したため、ここに連れてきたのだ。
グレーテルの姿は、ここにはない。夜になると、彼女はエルダさんのところへ戻らなければならないからだ。
「やっぱり、ここのハンバーガーは美味しい」
小さな口を精一杯開いて、シャルたそはハンバーガーを食べ進めていく。
その様子に萌えつつ、俺も適当に食事を済ませた。
「……シルヴァって、普段何食べてるの?」
「え?」
突然そんな風に問いかけられ、俺は顔を上げる。
「どうした? 急に……」
「いや……なんか、食べてるものが質素だから」
俺は自分の頼んだ料理を見る。豆のスープに、硬いパン。うん、言われてみると、確かに質素だ。思えば、前世から食事には大したこだわりがなかったな。忙しすぎて飯のことを考えている暇がなかったというのもあるが、元々そういう質だったんだと思う。強いて言えば、残業終わりに食べる深夜のこってりラーメンくらいだろうか。とはいえ、こだわりが発揮されたのは、トッピング選びくらいだけど……。
「……訓練兵のときからずっとこんなものばかりだったし、多分慣れちゃったんだろうな」
「私ばかり食べさせてもらって、ちょっと申し訳ない」
気に病む必要なんてないのに、シャルたそは目を伏せてしまった。
シャルたそと食事に行くときは、お代は常に俺が払っている。推しに貢ぐことこそ、オタクの幸せ。俺にとっては、むしろ金を出させていただいているという状況だった。
しかし、それがシャルたそに罪悪感を抱かせてしまっているとしたら、きちんとフォローを入れておくべきだろう。
「いいんだよ。シャルたそがハンバーガーを食べてる姿で、俺の心はとっくに満たされてるんだから」
「……なんか、言い方がちょっとやだ」
精一杯のフォローをしたつもりだったのだが、どうやら引かれてしまったらしい。
ジト目になりながら、シャルたそは俺と手元のハンバーガーを見比べる。
「……そうだ、ちょっと食べる?」
「え?」
「奢ってもらってるのに偉そうだとは思うけど、せっかくだから、この美味しさをシルヴァとも共有したい」
「しゃ、シャルたそ……!」
俺の推しは、なんていい子なんだ。ああ、本当に推しててよかった。
ただ、残念なことに、このハンバーガーに口をつけることはできないのだ。
「……ごめん。そのハンバーガーは、シャルたそひとりで食べてくれ」
「どうして?」
「それに口をつけたら、きっと俺の自我は崩壊する」
シャルたそは、自分で口をつけた部分を俺に向けていた。このまま俺がかぶりつけば、それはいわゆる間接チッスになってしまう。推しと間接チッスができる機会なんて、そんな恐れ多いことが、世の中にこれ以上あるだろうか。
大前提として、俺はこのハンバーガーにかぶりつきたいと思っている。死ぬほどシャルたそと間接チッスがしたい。いくら気持ち悪がられようが、それが俺の本音だ。しかし、それは推しと適切な距離感を保つという、オタクのポリシーに反してしまう。
「……私のハンバーガー、食べたくないの?」
「食べたいです!」
推しを悲しませるなんて、言語道断。オタクのポリシーなんてクソくらえ。推しの笑顔を守るためなら、俺は変質者にだってなってやる。
意を決して、シャルたそのハンバーガーにかぶりつく。シャキシャキとした野菜、肉厚のパティ、フワフワのバンズ、濃厚なチーズ、それらすべてが見事なハーモニーを生み出し、舌を喜ばせる。多分、これが世界で一番美味いものだ。間違いない。
「美味しい?」
「美味しい……美味しいです……」
「泣くほど……?」
困惑するシャルたその前で、俺はしばらく泣き続けた。
「それにしても……まさか、リルの鼻が利かないとは思ってなかった」
食事を終えたあと、シャルたそは申し訳なさそうにしながら、そう言った。
「シャルたそもリルも悪くないって。こういうときだってあるよ」
実際、捜査が全然進展しないなんていうのは、日常茶飯事だ。
誰も、一日で事件が解決するなんて期待はしていない。もちろん、一日で終わらせるつもりで臨んではいるけれど――――。
「ここからは、ゆっくり足で稼いでいこう。大丈夫、きっと犯人にたどり着けるさ」
「……うん」
深く頷いたシャルたそは、安心したような笑みを浮かべた。
「……そうだ、シャルたそ」
「ん?」
「グレーテルのこと、どう思う?」
俺がそう問いかけると、シャルたそは顔を上げた。
「……悪い魔族じゃないってことは、確かだと思う。他の魔族を倒してたし、積極的に協力してくれているし」
「まあ……そう思うよな」
ゲーム知識がなければ、俺も同意見だった。
今のところ、グレーテルから一切の悪意を感じない。むしろ、彼女の瞳の中にあるのは、惜しみない善意。彼女は、全面的に俺たちに協力している。それが逆に、恐ろしい。
「……都合がよすぎるかもしれないけど、グレーテルのことは、あまり疑いたくない」
シャルたそがそう言ったのに対し、俺は頷いた。
様々な事情を抜きにしても、グレーテルの明るさは、周りにも良い影響をもたらす。
グレーテルが犯人じゃなければいいのに――――そう思ってしまう気持ちに、嘘はない。
「とりあえずは、捜査を続けないとな」
「うん。勇者としての初仕事だから、もっと気合い入れて頑張る」
まだまだ、廃人化事件については分からないことばかりだ。
本編通りなら、グレーテルが犯人であるはず。しかし、どうしても裏のストーリーがある気がしてならない。
「おい、そこのガキ」
そろそろ店を出ようかと立ち上がると、突然俺たちのテーブルにひとりの男が近づいてきた。
恰好からして、傭兵と言ったところだろう。なんだろうな、猛烈に嫌な予感がする。
「……何か用?」
「ちょいと話を聞いちまったんだが、テメェ、そのなりで勇者なのか?」
「だったら?」
「――――ざけんなよ」
怒りに打ち震えながら、男がテーブルを蹴り飛ばす。
「テメェみたいなガキが勇者だぁ⁉ 寝言は寝て言いやがれ!」
「おっと……」
怒鳴り散らした男が、シャルたその胸倉を掴もうと手を伸ばす。
それを俺が許すはずもなく、とっさにその手首を掴んで、動きを止めた。
「なんだテメェ! 放しやがれ!」
「女の子に乱暴しようとしてるやつを、自由にさせるわけねぇだろ。今ならまだ見逃してやる。さっさと消えろ」
「うるせぇよ……! どいつもこいつも、オレをバカにしやがってぇぇぇ!」
怒鳴ったときに、強烈な酒の匂いがした。どうやら相当酔っているらしい。
男は俺の腕を振り払い、真っ直ぐ殴り掛かってきた。




