第百五話 シルヴァ、カグヤに付き合う
あれから、早くも三日が経過した。
レベル5出現という異例の事態にもかかわらず、王都の被害は、極めて小さく済んだ。
死者は出ず、建物で被害を受けたのは、〝月の塔〟のみ。
あまりの被害のなさに、皆が困惑していた。
〝月に吼えるもの〟は、討伐されたということになっている。
討伐者は、カグヤということになった。特級勇者である彼女が倒したということにすれば、なんの違和感もないだろう。
そして俺はというと、何事もなかったかのように、門兵の仕事に戻っていた。
やはり、こうしてのんびりと仕事しているのが、俺には合っている。ヒロインの笑顔を守ると決心したが、結局のところ、何も起きないことが一番いい。
ゆったりと流れる雲を眺めながら、俺は大きく伸びをした。
「ダーリン」
後ろから名前を呼ばれ、伸びの姿勢のまま振り返る。
そこには、やたらと上機嫌なカグヤの姿があった。
「な、なんの用だよ?」
「お仕事を頑張る愛しの旦那様に、お弁当を渡しに来たのよ」
「弁当?」
嫌な予感がする。カグヤが弁当なんて作れるはずがない。一体、今から俺は何を食わされようというのか。
「はい、これ」
恐る恐る手渡された包みを開くと、そこには、串焼きがパンパンに詰まっていた。
どう見ても、商店街の屋台に売っているやつである。
「前に、騎士団長さんが焼いたお肉をもりもり食べていたから、好きなのかと思って」
「あ、ああ……まあ、好きだけど」
「あら? 残念そうね」
「いや、別に――――」
はっきり言って、図星である。
カグヤの手作り弁当なんて、簡単にお目にかかれるものじゃない。いくら料理下手と分かっていても、期待してしまう俺がいた。
「残念だけど、手作りはお預けよ。まだ花嫁修業中だから」
「まさか、練習してんのか? あのお前が?」
「ええ。今日は、屋台の店主をずーっと観察してたわ」
「迷惑だからやめてやってくれ……てか、それで何を学べるってんだよ」
「何も身につかなかったけど、私には向いてないってことが分かったわ」
「だろうな」
俺の呆れ顔を見て、カグヤは楽しそうに笑った。
ネフレンの一件で、少しは気が沈んでいるかと心配していたが、この笑顔を見る限りは心配なさそうだ。
「それから、このあと付き合ってもらえないかしら? 行きたいところがたくさんあるのだけど」
「おいおい、何もしてないように見えるかもしれないけど、一応これでも仕事中だぞ?」
「大丈夫よ。あとで騎士団長さんに言っておくから」
「事後報告かよ……!」
カグヤが俺の手を掴む。
ハッと気づいたときには、すでに空を舞っていた。
「おわっ⁉」
「ほら、気をつけないと舌を噛むわよ」
「なら先に飛ぶって言ってくれ!」
「嫌よ。言ったら逃げちゃうじゃない」
――――こいつ、意外と俺のこと分かってるな……。
「それよりも、ほら、いい景色だと思わない?」
カグヤに捕まりながら、俺は真下に視線を向ける。
そこには、美しい王都の街並みが広がっていた。
つい先日の騒動が嘘かのように、平穏な日々を過ごす人々が見える。
なんてことのない景色だが、それが何よりも美しいものなのだと、今は強く思う。
「……ああ、いい景色だ」
「私がいつも見ている景色よ。羨ましい?」
「まあな」
「ダーリンになら、毎日見せてあげてもいいわよ」
「ありがたいけど、仕事をサボるのはご免だ」
「残念、ダーリンの時間を独占するチャンスだったのに」
「お前、俺にクビになってほしいの?」
「安心して? そうなったら、私が養ってあげるから」
危うくなびきそうになった。ただ、俺は貢ぐほうが性に合っている。
ゆっくりと高度が下がっていく。やがて俺たちが降り立ったのは、落ち着いた色味の木材で作られた、洒落た小屋の前だった。
「ここは?」
「最近できたカフェよ。ダーリンと来てみたくて」
「へぇ、確かにいい雰囲気だな。こういうのってどうやって見つけるんだ?」
「今やってみせたでしょ?」
「……なるほどね」
躊躇なく店の扉を開くカグヤに、少し驚く。
そういえば俺、個人経営のお店に入るの苦手だったな。チェーンのほうが入りやすく感じるというか。
「どうかしたの?」
「いや、なんでもない」
俺の性格の話なんてどうでもいい。
過去の記憶を振り払い、俺はカグヤのあとを追った。
「いらっしゃいませ」
茶髪の穏やかな女性が、俺たちを出迎えてくれた。
中には、テーブル席が二つと、カウンター席が四つ。外観通り、決して広くはないが、とても過ごしやすそうな空間だった。
「二名様ですね。テーブル席へどうぞ」
案内されるがままに座ると、店員さんが、カグヤの顔をジッと見ていた。
「何かしら」
「あ、ごめんなさい! あの、特級勇者のカグヤ様ですよね……?」
「ええ、そうよ」
「やっぱり……! 実は前に、魔族から助けていただいたことがあって、いつかお礼をしたいとずっと思っていたんです」
「あら、そうだったの。でも、ごめんなさいね。覚えてないわ」
「おい、カグヤ……」
こいつは、言わなくてもいいことをいちいち……。
俺が咄嗟に窘めようとすると、店員さんは、何故か嬉しそうに笑った。
「やっぱり! それだけ多くの方を助けてるってことですよね!」
――――おお、そう来たか。
一応、その通りではあるし、俺は余計な口を挟まないことにした。
「あっ、長話をしてごめんなさい! ご注文お決まりになりましたら、お声がけくださいね」
店員さんが、カウンターへと戻っていく。
俺が慌てていたのが面白かったのか、カグヤはクスクスと笑っていた。
「お前なぁ……心臓に悪いって。優しい人だったからいいけどさ」
「ふふっ、こういうのは堂々としていればいいのよ」
「その口ぶりだと、こういうことはしょっちゅうなんだな」
「当然よ。これでも、勇者としての役割はちゃんと果たしてるんだから」
「そいつは失礼しました、勇者サマ」
カグヤが、得意げな顔をする。
そういえば、カグヤが勇者として戦っているところは、ゲーム以外だと見たことがない。
もし俺が騎士になれば、いつかお供することになるだろう。それもまた新鮮で、面白いかもしれない。
それから俺は、コーヒーを注文し、カグヤは紅茶とショートケーキを注文した。
前世じゃ、毎日飲んでいた缶コーヒーの味しか覚えていないが、こうして誰かが淹れてくれたものは、まったく味が違う。こっちのほうが、断然美味しい。
「どう? 気に入ったかしら」
「そりゃもう。また来たいよ」
「ふふっ、でも、仕事サボって来ちゃ駄目よ?」
「どの口が言ってんだか……」
誰のせいで、今ここにいるのか、こいつは分かっていないらしい。
――――まあ、結局付き合うことを決めたのは、俺なんだけど。
「ほら、ケーキも美味しいわよ」
カグヤは、ケーキをひと口サイズに切り、俺に差し出してきた。
まさか、これは。
「はい、あーん」
「で、できるかぁ!」
仰け反ることで、俺はケーキから距離を取る。
推しからの〝あーん〟なんて、まさに理想的シチュエーションではあるのだが、画面を通して見るから純粋に萌えるのであって、現実では羞恥心が勝ってしまう。
「あら、私に恥をかかせる気かしら?」
「あ、こら!」
いつの間にか、カグヤは俺に〝重力魔術〟をかけていた。
ケーキに向かって、俺の体が引き寄せられる。必死の抵抗空しく、俺はケーキを頬張る羽目になった。
甘いクリームと、イチゴの酸味が、口の中で調和する。スポンジはふわふわで、卵の風味をしっかりと感じる。
「美味しいでしょ?」
「……はい、オイシイデス」
「よかったわ」
カグヤの満面の笑みを見て、思わず俺も笑顔になる。
結局俺は、こういう顔に弱いんだよなぁ。