表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

百合にならない百合

作者: 藤倉 桃優

 唯には半年ほど、会っていなかった。

 昨日、大学の玄関で友人と待ち合わせをしているとき、たまたま、唯が通りかかった。

「あれ、彩奈?やっぱ、彩奈だ!久しぶりー、入学式以来だねー!」声をかけて来た唯は、毛先を赤く染めていて、丈の短い花柄のワンピースを着ていた。ピンクのアイシャドウをつけ、真っ赤なリップを塗っており、最後に会ったときより、数倍可愛いらしくなっていた。

「あ、唯。久しぶり、めっちゃ変わってんじゃん。」

「まあねー、サークルとか飲み会とかで毎日遊んでる。そっちは最近どうー?」

「バイト行ってレポート書いたら、まじで時間無い。サークルも結局入んなかったし、大学と家とバイト先ぐるぐるしてるだけ。」大変だねー、と唯は笑っていた。

 唯は、大学内でおそらく唯一の同じ高校出身の友人だ。高校では生物部に入っていて、クサガメの世話を一緒にしていた。明るくさばさばとしていて、可愛く、常に周りには友達がいた。内気で、話すことがあまり得意でない私とは対照的であったが、不思議と同じゲームやアニメが好きで、話が合った。

「そういえば、高校のときの彼氏とは、どうなった?」

「あー、あいつね、受験前に別れた。推薦で大学受かって、遊びまくっててー、一緒にいたら、モチベ下がるんだもん。」

「そっか。」今は好きな人いないんだよねー、と唯が淡々と言っていたので、安心した。

「あー、そうだ!あと、生物部のカメが5月の中頃に卵産んだ話、聞いたー?」

「まじ?知らない。」

「お世話引き継いでくれた子から連絡あってー、殻を取ってあるらしい。暇な時、一緒に見に行かないー?」

「うんうん、見たい。今度、予定空いてる日、連絡するね。」

「おっけー、じゃあ、次の講義あるからー。」

「あ、うん、じゃあね。」


 昨日の会話を思い出しながら、残り物のスープを温め、トーストにバターを塗って朝食を済ませた。大学まで徒歩8分、築40年の学生アパートは、冬が近づくと、電気ヒーターをつけていても手足が冷える。中学の頃から使っている、くすんだベージュのコートを着て、意を決して外に出た。

 バイト先に着くと、パートのおばさんと近くの大学の先輩が先に働いていた。休憩を挟んで、昼過ぎまで働いた後、帰り支度をしていると、この間のトラブルの件で話がある、と先輩に声をかけられた。トラブルなど身に覚えがなく、何事かと身構えた。ここでは話しにくいから、向かいのカフェに行こう、と言われ、働いている店を出た。

 喫茶店など行ったことがなく、財布の中にいくら入っていたか心配になった。前を通ったことしかない、チェーンのコーヒーショップでは、流行りの曲が流れていた。学生と思しき若い女性が3人、スマホをいじりながら会話しているほかに、客はいなかった。カウンターでは、明るい茶色の髪の女性が注文をとっていた。

「ホットコーヒーください、彩奈ちゃんは?」

「あ、えっと...カフェラテをお願いします。」

「かしこまりました。」

「ここは俺が出すね。」

「あ、すみません。」

 先輩は右の尻ポケットから茶色の皮財布を取り出した。長年使っているのか、縁が黒ずんでいる。会計を済ませ、トレイに乗った飲み物を受け取ると、先輩はきょろきょろしながら店の一番奥の席へ歩いていった。

 先輩は手前の椅子に座り、私はソファ席をついた。

「トラブルの件、私は聞いていないんですが」

「あ、その、それは大した問題じゃなくて...」

「何かあったんですか?」

 先輩は、えっと、あの、としばらくもごもごしたのち、

「実は、その...前から彩奈ちゃんのことかわいいなーと思ってて...」と言った。

 自分が異性から好かれるなど、意外であった。特にかわいいわけでもなく、大した特技もない、ただの地味な人間だと思っていた。告白すればOKされやすい人だと思われたのだろうか。

「よかったら、付き合ってくれないかな。」と先輩が続けた。

 今まで、恋愛とは無縁の生活を送ってきて、これからも、恋人などいないだろうと思っていた。先輩のことは嫌いではないが、恋愛感情はもっていない。なんだか、もやもやとした気持ちがして、先輩と付き合うことを前向きに考えることができなかった。

「考えといてくれればいいから、いつか返事聞かせて。」

 先輩はそれだけ言うと、コーヒーを飲み干して去っていった。


 2週間後、世話をしていたカメと卵を見るため、唯と高校行くことになった。駅で待ち合わせ、バスを待つ間にバイト先の先輩の話をした。

「えー、いいじゃん、付き合いなよー」

「いいなー、あたしも彼氏ほしいなー」

「まあ、彩奈はかわいいから、当然だよねー」

唯はうれしそうにして、先輩と付き合うことに賛成していた。唯の様子に驚いて、うん、しか返事ができなかった。唯の方が可愛いのに。

「先輩はどんな人ー?」

「うーんと、背が高くて...あとは、普通?」

「えー、なにそれー。かっこいいの?」

「顔は...特にかっこいいわけじゃないけど、困った時に頼りになる...かな?」

「いいじゃん!頼り甲斐のある年上。いいなー」

「そうかな」

 頼りになる、というのはバイト先での話だ。実生活で頼りになるとは限らない。

 話をしているうちに、高校の方へ行くバスが来た。バスに乗り込むと、唯は先輩のことを根掘り葉掘り訊いてきた。先輩をじっくり観察したことがないため、ほとんどの質問に、わかんない、としか答えられなかったが、唯は楽しそうにしていた。


 卒業したばかりの高校は、記憶していたよりも小さく見えた。インターホンを鳴らすと、中年の男性の声がした。用を伝えると、しばらくして生物部の顧問の先生が校舎のドアから出てきた。

 来客用のスリッパに履き替えて、部室である理科実験室へ向かった。

「大学はどうかな。」

「実験とか専門的な勉強ができて、楽しいですよー」

「そうか。カメの卵なんだがね、保存のために中身を取り出したんだ。今は殻が残っている。」

「そうなんですねー」

 実験室には、窓際に水槽が並べられ、熱帯魚の隣にカメがいた。一匹で飼われているため、卵は無精卵だったのだろう。カメの水槽の横にシャーレがあり、綿に包まれた卵の殻が入っていた。カメの卵はうずらの卵に似ており、中身を出した時の小さな穴が空いていた。

「きれいですねー」

 唯はカメの卵を手のひらに乗せて眺めていた。唯の横顔の方がきれいだと思った。

「ああ、だけど無精卵だから孵らないのに、ずっと抱えていてね。取り上げる時も可哀想だった。」

「そうだったんですね。」

 私は生返事をしながら、高校時代の唯を思い出していた。


 クラスに馴染めなかった時、声をかけてくれた。昼食を一緒に食べてくれた。部活にも誘ってくれた。家に呼んでくれて、一緒に遊んだこともあった。どんな時でも唯は優しくて、可愛かった。唯一の存在のように思っていた。だが、唯はいつも誰かと一緒にいた。私は仲の良い人のうちの1人だったのだろう。


 ぼーっとしていると、私の手に唯の手が触れた。柔らかい指とネイルをした爪の感触が伝わる。卵を渡してくれたようだが、びっくりして落としてしまった。

「ごめん、ひび入っちゃったねー」と言って、唯は卵を戻した。

「どしたの?」

「なんでもない、大丈夫。」

唯が顔を覗き込むと、緊張して目を合わせられなかった。


 実験室を出た後、職員室で担任の先生と話をしたが、何も覚えていない。

 高校からの帰りは、ほとんど会話がなかった。私は自分の感情を整理するのに手一杯だった。


 結局、私は先輩と付き合ってみることにした。告白されたときと、同じカフェの同じ席に座って、返事をした。先輩は、本当にいいの?と5回も訊いて、連絡先を交換した。


 唯に先輩と付き合ったと連絡すると、とても喜んでいた。会ってみたいとしきりに言っていた。


 街路樹の葉が落ちきった頃、唯と先輩を部屋に招いて、鍋をすることになった。

 唯は、先輩に会うなり、嬉しそうにして、質問攻めにしていた。

「彩奈は高校の時からめちゃくちゃ可愛かったんですよー」と唯が言って、制服姿の唯と私のツーショットを見せた。制服を着た唯は、私よりずっと可愛かった。

「うわー、いいなー。その頃に会いたかったー。」と言うと、先輩はテーブルの下でそっと手に触れて、ゆっくりと手を握る。払いのけることも、握り返すこともせず、そのままにしていた。

「彩奈が幸せそうで、よかったー」と唯が言った。

 微笑んだ顔を見て、唯のことを好きだったのだな、と分かった。胸が痛くなったが、なんとか笑い返すことができた。

「鍋、煮えたよ。」

と言って、鍋の蓋を取ると、唯の姿が湯気で霞んでいった。

 私は、先輩の手を握り返した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ