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後輩

「トン、トン」


 執務室の入り口のドアを遠慮がちに叩く音に、レオニートは手にした書類から顔を上げた。そして忌々しげにその書類を再び眺めた。書類には栄誉退職と金地の派手な飾り文字で書かれてある。つまりは職務中に不慮の怪我や死で退職に至ったという事だ。


 レオニートの執務机の上にはその書類が一枚だけではなく、数枚まとめて置いてあった。これがもっと増える様だと、自分がこの執務室にいられるのも長くはない。レオニートはその書類を机から取り出すと、執務室の引き出しの中へと入れて、扉に向かって可能なかぎり背筋を伸ばした。


「入り給え」


「はい」


 外から声がすると同時に、扉が開いてまだ若い、いや、少し幼さすら感じさせる男が執務室の中へと進んできた。


「エドガー執行官補、レオニート宣星官長のお呼びにより、お伺いさせていただきました」


「了解した。立ち話というのもなんだ、そちらの椅子に掛け給え」


 レオニートはそう告げると、執務机の先に置いてある、簡素な木の椅子を指し示した。座っているとはいえ、立って話されると、レオニートとしては常に見下ろされている気分になる。


「はい、ありがとうございます」


 エドガーはレオニートに応えると、椅子に座った。レオニートを見る顔には明らかに緊張の色がある。普通ならエドガーの様な王宮魔法庁の底辺のものが、魔法庁の三大長官の一人から直接声をかけられるなどというのはあり得ない話だ。


「君のことはダリア執行官長や、アルベール元主任執行官から聞いているよ。中々見どころがある若手だと口を揃えていた」


 レオニートの言葉に、エドガーは伏せ気味だった顔をあげると、少しばかり嬉しそうな顔をした。この程度の社交辞令を、ちょっとでも真に受けるとは、やはりまだ駆け出しの様だ。レオニートはそう思うと、エドガーに対して心の中でため息をついた。もちろん顔には何も出したりはしない。


「そこでだ。若手ではあるが君には重要な任務を頼みたいと思っている」


「はい」


 レオニートの言葉にエドガーが頷いて見せたが、先ほどの嬉しそうな表情は何処かえ消え去り、少し不安そうな表情へと変わっている。


「この任務は、君のかつての同僚のアルベール元主任執行官も関わっているものだ」


 アルベールという名前にエドガーの顔から不安そうな表情が消えた。


「君には彼と同じく、この世の至宝を守ってもらいたいのだよ」


「至宝ですか?」


「そうだ。決して失われてはいけないものだ。エドガー君、君には執行部からこの星見の塔へ異動だ。そしてこの星見の塔で、宣星官として勤務についてもらう」


「宣星官ですか……この私が?」


 エドガーの顔に驚きの表情が浮かんだ。そして信じられないと言う目でレオニートを見る。それはそうだろう。宣星官と言うのは単なる一魔法職ではない。言わばこの王宮魔法庁の選ばれし者(エリート)だ。


「多少異例ではあるが、その通りだ。この件はダリア執行官長にも話は通してある。異動は本日この時点だ。すぐに執行部から私物をまとめてこちらに移り給え。前の部同様に、ここでも君の精勤に期待する。話は以上だ」


「レオニート宣星官長、了解しました」


 レオニートは部屋から去って行く若者の後ろ姿を眺めながら、今度は本物のため息をついた。あんな若造に頼らなくてはいけないとは。だが、これは能力だけの問題ではない。思い入れこそが大事なのだ。


「彼にはその資格があるはずだ」


 レオニートは自分で自分を納得させるように呟くと、引き出しから書類を取り出した。そしてそこに、自分の役職と署名を次々に書き込んでいった。


* * *


 洗い場は広くはあったが、生徒の数やお付きの者の人数を考えると手狭とも言えた。マリアンはやっと空いてきた洗い場の流しに桶を置くと、日向で温ませておいた水を注いだ。そこにフレデリカが昨日使った運動着を入れると、水は桶の底が見えないくらいに茶色に染まった。


「ふう」


 マリアンの口からため息が漏れた。だがこれはフレアが苦痛に耐えながら努力した結果なのだと思うと、心の中にフレアへの尊敬の念と、彼女が自分の主人であり、自分の師であることに誇りを感じた。そして彼女のいじらしさに口元に笑みが浮かぶ。


 思わず鼻歌を歌いたくなるような気分を抑えながら、マリアンは軽く運動着を濯ぐと、桶の水を流して新しい水を注いだ。まだ水は茶色いが、今度は少なくとも底が見える。


「あなた、新入生の付き人よね」


 石鹸を取り出そうとしたマリアンの背後から声がかかった。振り返ると4〜5人の侍従服に身を包んだ、マリアンより年嵩の女性達が自分を囲むように立っている。その表情はとても友好そうなものには見えない。


「普通は後輩の方から、私達先輩に挨拶に来るものだと思うのだけど?」


 マリアンは運動着を入れて持ってきた小さな桶を手に、女性達に向かって立ち上がった。桶の底には小刀が貼り付けてある。女達からは殺気の様なものは感じられない。あるのはこちらを侮って小馬鹿にした仕草だけだ。だがマリアンとしては油断などするつもりもなかった。


「ご挨拶が遅れまして失礼しました。フレデリカ・カスティオール様付きの侍従をしております、マリアンと申します。以後よろしくお願いいたします」


 そう告げると、マリアンは女性達に向かって頭を深々と下げた。


「主人があれだから、躾がなっていないのよ」


 だがマリアンの挨拶を無視して、声を掛けて来た者とは別の、顔が大きく平べったい感じの女性が、真ん中に立つ薄い茶色の髪の女性に声をかけた。


「あれって?」


「ジャネットさんもご存知でしょう? 新人戦にドレスで参加した生徒の件は」


「あのドレスを脱いで戦ったという子?」


「そう、この子はそのこのお付きだから……」


「ああ、あの子ね!」「なるほど、分かりました」「ふふふ……」


 その言葉に女性達が口元に手をやって笑い出した。マリアンはゆっくりと相手に向かって頭を上げた。


「今、どなたか私の主を『あれ』と呼ばれた方が居ましたでしょうか?」


「何なの、カスティオールごときのくせに……」


 ジャネットという名前らしい、少し背が高い女性はそこまで告げると、マリアンの表情を見て残りの言葉を飲み込んだ。マリアンは口元に微笑みらしいものを浮かべていたが、その目は決して笑ってなどいない。他の女性も思わず半歩下がるのが見えた。


「私の失礼についてはお詫びいたしますが、フレデリカ様への誹謗中傷については話は別です」


「わ、私達にとってもあなたの主人は、ど、どうでもいい話よ」


 ジャネットは少し吃りながらも、他の女性達のように半歩下がることなく、マリアンに向かって言い返してみせた。だがその顔には先ほどとは違って、何かを恐れるような表情を浮かべている。


「あ、あなたの家は、躾がなっていないんじゃないの!?」


「躾ですか? 私が思うに決してそのようなことはないと思います。むしろ当家の先達の皆様は、とても厳しい方の様な気がしますが?」


 マリアンはコリンズ夫人の姿を頭に浮かべながら、ジャネットに答えた。


「ふ、普通は、ここに新しく来たら、私達に、あ、挨拶しに何か手土産を持ってくるものじゃないの?」


「なるほど、手土産ですか……」


 ジャネットの言葉に、マリアンはしばし考えるような仕草を見せた。


「それは失念しておりました。ではどのようなものをお送りさせていただけばいいのでしょうか?」


「ふ、普通は自分で考えるものじゃないの? ねぇ、皆さん」


 ジャネットの言葉に周りの女性達も頷いてみせた。


「たとえば、家の人が使っているような石鹸とか、贈り物にふさわしいものよ」


「まあ、直接お金でも文句はないけどね」


 中でも一番年嵩に見える、髪をだらしなく纏めた女性がボソリと漏らした。


「イヴェタさん、お家に使えるものとして、今のは少し恥ずかしい言葉ですよ」


「すいません」


「まあ、贈り物が選べないような方であれば、それも仕方がないところですけどね」


 そう言うと、ジャネットはマリアンの方を振り向いた。


「で、どうするつもりなの?」


「分かりました。私はどうやら皆様のお目にかなうような物は選べそうにありませんので、こちらで贈り物にかえさせて頂きたいと思います」


 マリアンは女性達にそう告げると、胸元のポケットから何か小さな物をつまみ出して、女性達の前へと差し出した。


「お金って、そんな小銭じゃ話にならないわよ」


「ジャネット、こ、小銭じゃ、小銭じゃないわよ」


 誰かの言葉にジャネットはもう一度マリアンの手元を見ると、その指先にあったものをひったくった。そしてそれを洗い場の明かり窓に翳して眺める。


「本物なの?」


「邪魔よ!」


 ジャネットは回り込んで手元を覗こうとしたイヴェタの体を押し退けると、日の光でそれを繁々と眺め、さらに掌の上でその重さを測った。


「ほ、本物よ」


「え、本物の金貨!?」


「声が大きい!」


「お釣りなんかないわよ!」


 ジャネットがマリアンの方を振り向いて叫んだ。


「いえ、そちらを手土産代わりに皆様に差し上げます。ですが、いくつか条件がございます」


「条件?」


「はい、そちらを使われるのは、皆様の主人がこちらを卒業してからの方がいいと思います。それにできればこの王都を離れた、どこか別の場所で使ってください」


「私達に指図をするなんて、一体何様のつもり?」


「私達のような者が金貨を持ち歩いて、それを街中で使うと差し障りがあるというだけです」


 気色ばんで見せたジャネットに対して、マリアンは冷静に答えた。


「何よ、あなたの家の給金はどのぐらいか知らないけど、わ、私だって金貨ぐらい……」


「守っていただけないのであれば、こちらは返して頂きます」


 そう告げると、マリアンはジャネットの手から素早く金貨を取り上げると、自分の胸元のポケットへと持って行こうとした。


「待って!分かったわ、すぐには使わないし、王都の外の領地とかで銀貨に替える」


「お約束していただけますでしょうか?」


「もちろん。それに何か困ったことがあったら、何でも相談に来てちょうだい。夜にここから抜け出す方法から、生徒と逢引する手段まで、何から何まで教えてあげる」


「分かりました。ではこちらは皆様にお渡しすることにします」


 そう言うとマリアンは、金貨をジャネットの手の上にゆっくりと置いた。それをジャネット以下の女たちがうっとりした目で眺める。


「私は自分の仕事に戻ってもよろしいでしょうか?」


「も、もちろんよ。あんた達、外に置いてある日向水をこの子に持ってきてやりな。あるやつ全部だ!」

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