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目玉

「違う、これは絶対に先輩達の悪戯よ!」


 メラニーさんが私に向かって叫んだ。自分が理解できないものを受け入れたくない気持ちはよく分かる。私も前世でお化けと神もどきにあった時はそうだった。でも叫びも否定もこの場では何の意味も持たない。


「立って、逃げるのよ!」


「ガチャン!」


 何かが床の上で甲高い金属音を立てた。床を黄色い光が照らしている。それはローナさんの手から落ちたランタンが立てた音だった。


「ヒィ!」


 目の前のメラニーさんの口からも悲鳴が上がった。私はその叫びに、背後の勝手口の方を振り返った。


『何なの?』


 そこにあったのは渦を巻く白い繭だ。だがそれは単なる白い塊ではなかった。そこからは幾つもの赤い光が放たれている。それは白い繭の様な本体と一緒に、表面をすごい速さで動いていた。それが何の前触れもなく、不意に止まった。


「目?」


 その幾つもの赤い光の正体は、血の様な赤に染まった、数えきれないほどの目玉だった。それが私達の方を見つめている。


「カイ、助けて!」


 メラニーさんの口から、誰かに助けを求める叫び声が上がった。


「立って!」


 私は床に落ちていたランタンを左手に取ると、右手でメラニーさんの腕を引っ張った。


「ローナさん、メラニーさんをお願い!」


 私はメラニーさんの手をローナさんに預けると、目玉お化けの方を振り返った。ランタンの光の先で、目玉お化けが繭のような体を震わせているのが見える。間違いない。こちらに飛びかかってくるつもりだ。


 私は全身に力を込めて、壁ぎわの棚に体当たりをした。私の勢いに棚がぐらりと動く。肩に鋭い痛みが走るが、そんな事など気にしてはいられない。両手で棚を掴むと壁を足で思いっきり蹴った。足に力を込めて体重の全てをかけると、棚はゆっくりとこちらに向かって倒れて来る。


 横を見ると、目玉お化けが獲物を見つけた猟犬のようにこちらに近づいて来た。私は棚の下敷きになるわずか手前で、体をひねって脇へと飛び退いた。


「ドン、ガラガラ!」


 その鉄の枠組みで出来た棚が、轟音を立てながら目玉お化けの上へと落ちていく。


『やったか?』


 目玉お化けは棚の下で、巨大な枕の中身の綿を床にぶちまけたみたいに、小さな白い断片となって飛び散っている。だがそれはゆっくりと集まると、再び渦を巻き始めた。そして直ぐに赤い目がその表面に現れる。その目はこちらを嘲笑するかのように、微かに震えて見えた。


 だめだ。叩いたり切ったりしても、こいつには何も効かない。ここはともかく逃げの一手だ。


「ここから出ましょう!」


 私は厨房の入り口あたりでもたもたしていた二人の体を背後から押し出すと、一緒に食堂へと戻った。こちらは厨房の中と違って月明かりで明るい。相変わらず外の布が作る黒い影が白い壁の上を舞い踊っている。だが先ほどとは何かが違った。


「キャーーー!」


 ローナさんの口から悲鳴が上がった。食堂の中を照らすのは月の青白い光だけではなかった。そこには赤い不気味な光も混じっている。窓の方へ目をやると、外にゆらゆらと動く白い何かがいた。その白い影の中から幾つもの赤い光がこちらを覗いている。


『一匹だけじゃないんだ!』


 ともかく建物の中で囲まれる前に外へ逃げ出して、救援を求める。それしかない。


「すぐに廊下へ、そして玄関から外へ逃げましょう!」


 私は体を震わせるだけの二人に声をかけると、食堂の入り口の方へと体を押した。背後の厨房からも物音と共に、何かが近づいて来る気配がする。


「もう、いや!」


 メラニーさんが叫び声を上げて頭を横に振るが、そんなことをしている場合ではない。私は彼女の背中を突き飛ばすように押すと、三人で廊下へとでた。玄関の方へ、そう思ってそちらにランタンの明かりを向ける。だが何も見えない。よく見ると、白いモヤのようなものがランタンの光を遮っていた。


「ここにも居るの!」


 思わず口から愚痴が漏れた。私の悪い想像通りに、そのモヤの様なものは渦を巻くと、繭のような形へと変わっていく。


 この目玉お化けは一体どれだけいるんだろう。いい加減にしてほしい。私は背後を振り返った。そこには食堂に入る前に私に悲鳴を上げさせた、不審者もどきが突っ立っている。その背後には非常口とその明かり窓が見えた。玄関がダメでも、まだ非常口がある。


「非常口から外へ出ましょう」


 私は立ちすくむ二人に声をかけた。だが二人は彫像の様に固まっている。


「気を確かに持ってください!」


 私が呼びかけても、全身を恐怖に震わせている二人には効果がない。もちろん二人を見捨ててなんてはいけない。私はランタンの持ち手を口に咥えると、二人の手を無理やり引っ張って行こうとした。その時だった。


「ドン、バリン!」


 食堂の方から何かが割れて、砕ける音が盛大に響いた。続いて「ゴーー」という音が響いてくる。それは食堂の扉を「バン!」と勢いよく開けると、私達の部屋着の裾を乱した。


「キャーーーー!」「ヒィーーーー!」


 二人は裾を舞った風に呪縛が解かれたのか、悲鳴をあげると、非常口の方へ向かって駆け出した。二人の勢いに、廊下の真ん中に置いてあった不審者もどきが、跳ね飛ばされて床に転がる。何はともあれ、動いてくれたのには助かった。私もランタンを手に持ち直すと、二人の背中を追いかけた。


「何で!」「どうして!」


 しかし、先に非常口の扉に飛びついた二人から困惑の声が上がる。見るとローナさんが非常口の扉の把手をガチャガチャと必死に動かしていた。


「どうしたんです!」


 私はローナさんに声をかけた。


「あ、開かないんです!」


『えっ!』


 ローナさんに代わって把手を回したり、押したり、引いたりしてみるが、ガチャガチャと音を立てるだけで、扉は全く開きそうにない。あろうことか、この扉は施錠されていた。


「お、お化けが!」


 私の横にいたメラニーさんが声を上げると、玄関側を指差した。彼女が指差した先では、食堂から出てきた目玉お化けと、玄関からきた目玉お化けが、まるでダンスでもするかのようにぐるぐると回っている。やがてそれは廊下を完全に塞ぐぐらいに巨大な、一塊の繭へと変わっていった。


「助けて!」「お母さん!」


『これって、集まると大きくなるの?』


 二人の悲鳴を聞きながら、私がそんなことをぼんやりと考えていると、巨大な繭の動きが止まった。その真ん中に細い線の様なものが現れる。まるで包丁でその線に沿って切り開いたかの様に、ゆっくりと上下に裂けていくと、巨大な赤い目が現れた。その赤い目に浮かぶ漆黒の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。


「もう、いや!」「お母さん、お母さん!」


 二人の泣き叫ぶ声が再び耳に響く。その赤い目はその叫び声に反応するかのように、繭の上で小さく震えて見せた。


『何なのこいつは!』


 私はそいつの目を眺めながら、心の奥底で恐怖とは違う何かが湧き上がって来るのを感じた。怒りだ。間違いない。こいつはこちらを見て楽しんでいる。何んてふざけた奴なの!


「メラニーさん、ローナさん。三人で体当たりです」


「え?」


「泣いている暇なんかありません。ともかく体をぶつけて扉を開けるんです」


「でも、鉄の扉ですよ!」


 ごちゃごちゃうるさいですね。やってみないとわからないじゃないですか? それに私としては、こんな目玉お化けごときに馬鹿にされるのは真っ平ごめんです!


「行きますよ、いっせいのせ!」


 私は掛け声をかけると扉に肩を当てた。肩に腕に痛みが走る。だが二人はまだ呆気に取られて私を見ているだけだ。


「もう一度です。いっせいのせ!」


 今度は二人も参加してくれた。扉にドンという鈍い音が響く。だけど扉が開きそうな気配はない。


「声に合わせてください。いっせいのせ!」


 三人で同時に扉に体をぶつける。先ほどよりはるかに大きなドンという鈍い音が響いた。少しだけ扉が緩んだ様な気がする。


「続けます!」


「ああ!!」


 だが私が掛け声をかける前に、ローナさんが声を漏らした。そして顔を明かり窓の曇りガラスの方へ向けている。そこには黒い影がゆらゆらと動いているのが見えた。非常口の外にも居るだなんて!


 これでこちらは完全に囲まれてしまった。振り返ると巨大な一つの繭と目になった、目玉お化けがゆっくりとこちらに近づいて来る。それはもう自分達から数杖分の距離しかない。


「もうだめ!」「お母さん!」


 二人の泣き声が耳に響く。それと共に私の足元には生暖かい何かが漏れて来た。恐怖を感じることは恥ではない。それは生きているという証拠でもあるのだから。だけど人はそれを乗り越える努力もしなければいけない。こんなふざけた奴に馬鹿にされたまま死ぬ何てことは、絶対にあってはいけない!


「向こうへ駆け抜ける準備をしてください」


「え!?」「えっ!」


 私の言葉に二人が驚きの声をあげた。


「私が何とか隙を作ってみます。少しでも隙間ができたら、その隙間から向こう側に走り抜ける準備をしてください」


「フレデリカさん!」「どうやって!?」


 ごちゃごちゃうるさいです。今から考えるから、少し待っていなさい!


 「フレア、そこに居るのですか!?」


 非常口の扉の外から声が聞こえた。それは私がよく知った、とても安心できる人の声だった。

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