不審者
「ローナさん、ランタンを持って頂いていいですか?」
メラニーさんがローナさんに声を掛けた。彼女の手にはアメリアさんから渡されたこの旧宿舎の見取り図がある。外は月明かりのおかげでランタンはいらないぐらいだったが、灯が全くないこの旧宿舎の中は、ランタン無しでは足元もおぼつかない。
それでも入り口の反対側、東側にある窓の方からは青白い光が床を照らしているのが見えた。だがそれは有り難いと言うよりむしろ、この旧宿舎に妖しい雰囲気を醸し出している。
「ガタガタ……」
「ひ!」
外の強風が旧宿舎の窓を揺らす音が響く。私はその音に思わず小さな悲鳴を上げてしまった。
「フフフフ、フレデリカさんは本当に怖がりなんですね」
私の姿を見たローナさんが呆れたような声を上げた。
「人気がない古い建物ですよ? 皆さんは怖くないんですか?」
「先輩方はこの建物の中にもいらっしゃるでしょうか?」
ローナさんは私の問いかけを無視すると、傍らで見取り図を見ているメラニーさんに声を掛けた。
「居てもおかしくはないと思いますが、どうでしょうか? 森と違って、こちらからも姿が見られる危険性があるので、人ではなく、置物とか鏡とか、そう言うものを使って脅かしてくるのではないでしょうか?」
「ああ、なるほど。そうですね」
ローナさんが納得したように頷いた。間違いない。メラニーさんもローナさんも、少なくとも私よりははるかに頭がいい人だ。私の知っている貴族の令嬢とはちょっと違う感じがする。
それに私が見取り図や地図を見ても、きっと全くもって見当違いの方へ進むに違いない。私に対する意地だろうがなんだろうが、メラニーさんが先導役をやるのは間違いなく正しい。
「それよりも、さっさと赤に関する何かを見つけなければなりません」
メラニーさんが私達にそう宣言した。
「ともかく手近の部屋から覗いていくしかないのでは?」
「これだけ広い建物ですよ。そんなことをしたら明日の朝になってしまいます。この歓迎会は色々な意味で私たちを試している様ですから、それも考えろと言うことなのでしょうね」
「見取り図の中にはヒントになりそうなものはありませんか?」
ローナさんが少し困惑した顔で、メラニーさんに問い掛けた。
「そうですね。部屋の名前でも書いてあればいいのですが、本当に見取り図だけで何も書いてありません」
「では、最初に探すべきは?」
「この宿舎の案内板ですね」
二人はお互いに頷くと、案内板を探しに玄関の先へと進み始めた。私は相変わらず蚊帳の外で、慌てて二人の後をついていくしかない。
「これが案内板ですね?」
玄関の奥には宿舎の見取り図に、各部屋の名称が書いてある大きな案内板があった。長年使っていないせいか、ところどころの文字は擦れて読めない。だがその広さは十分に分かった。
その図を見る限り、この建物は基本的に2階建てで、3階は物置や職員の部屋がある屋根裏部屋、その上に時刻を知らせる鐘と貯水槽を備えた尖塔という作りになっている。
2階は真ん中の通路を挟んで、両側に生徒向けの部屋がある。半分は個室の作りで、半分は大部屋の作りだ。一階は大きな食堂に談話室、図書室、そして炊事場や洗い場といった施設があり、それぞれに勝手口や裏口を備えている。廊下の先には非常用の出口もあった。
お手洗いは一階に二つ、どうやら生徒用とここで働く職員用らしい。2階には手洗いはなく、洗面台だけだ。どうも裏手にある風車小屋で給水塔まで井戸水を組み上げる作りになっているらしい。お手洗いが借りられないか期待したが、風車小屋が動いていないとダメだから無理だろう。メラニーさんの言う通り、さっさと終わらせて、さっさと戻るしかない。
「2階や屋根裏部屋はあり得ますかね?」
「車椅子の子が居ますから、流石に上の階はないと思います。それに他の組と顔を合わせないように、裏口から出て、崖の下に降りる階段を回って、今の宿舎の裏口の方へ出るように指示が書いてあります」
メラニーさんがローナさんに答えた。
「と言うと、一番奥にある食堂か、その隣の談話室辺りでしょうか?」
「図書室にある赤い本というのもあり得ますね」
「では手前にある図書室から見ていくことにしましょう」
やっぱりこの二人は頭がいい。本当に貴族の家の令嬢なんだろうか? それにどうも二人は前からの知り合いの様な気がする。いや、お互いのことをよく知っているようだ。だから最初に私が挨拶した時に、二人の間では何も自己紹介がなかったのか。今更ながら、やっとそれに気がついた。
メラニーさんを先頭に、私達は一階の廊下の一番手前にある、図書室の扉の前に立った。その扉は縁に花や枝の彫刻があしらってあって、とても凝った作りになっている。ローナさんにランタンを渡したメラニーさんが、その扉を両手で押した。
「ギーーー」
蝶番の油が切れているのか、扉は甲高い軋み音をたてて開いた。ローナさんからランタンを受け取ったメラニーさんが、隙間から中を照らすと、後ろの私達に向かって頷いて見せる。そして躊躇することなく、扉の中へと入っていく。私もローナさんの後ろから恐る恐る図書室の中へと入った。
中は厚いカーテンで締め切られているのか、真っ暗だった。カーテンの隙間から微かに漏れる月明かりが、床に白い線を薄っすらと描いているだけだ。私達はメラニーさんが掲げるランタンの明かりを頼りに辺りを見回した。
「何もありませんね」
ローナさんがそう呟いた。それほど大きくない図書室には、高い書架が壁際や部屋を仕切るように置いてある。だがそれのほとんどは空だった。わずかに置かれているのも本ではなく、書類の束のようなものだけだ。
きっとここにあった本は全て新しい宿舎の方へ移動してしまったのだろう。ここに本を読みにくる人は居ないのだから、当たり前と言えば当たり前の話だ。それでもランタンを手に、前を進む二人は全ての書架を確認していく。
「赤い本や赤い紙のようなものは見当たりませんね」
「そうですね」
二人は無造作に書架から書架へと、ランタンを手に回っていくのだが、基本的に高い書架の向こう側は影になって見えない。私は腰がひけた状態で、恐る恐る二人の後をついていくだけだった。
だが旧宿舎と言う割には、朽ちたような感じはどこにも無い。大勢の生徒さん達が今も暮らしていても全くおかしくないくらいだ。こんな立派な建物があるのに、どうして宿舎を別の所に新しく建てたのだろう。やっぱり授業棟から遠すぎて皆が遅刻したからだろうか? 私なら絶対に遅刻する自信がある。
「やはり、ハズレのようですね」
「次は反対側の談話室でしょうか?」
「ここが空ですから、談話室も空のような気がします。先に食堂の方を確認しましょうか?」
メラニーさんの提案にローナさんも頷く。二人は入口のところまで戻ると、廊下へと出た。そして食堂へ向かうべく、廊下の奥へと進んでいく。私達の左手に、今度は食堂の入口らしい簡素な両開きの扉が現れた。
その扉の一歩手前で、把手に手をやる二人を眺めていた時だった。その廊下の奥、非常口と思しき扉の前に、小さな明かり窓から入ってくる月明かりを背にして、何やら人影の様な物が目に入った。
「え!」
私はメラニーさんが掲げるランタンの明かりを片手で遮ると、再度その影を見つめた。間違いない。帽子らしきものを被って、手に杖を持つ、真っ黒な服を着た男性の姿がそこにあった。