肝試し
外はいつの間にか風が強く吹いていた。そして高く上がって来た二つの月が辺りを明るく照らしている。部屋の中よりはるかに明るく、吹く風に揺れる木の枝も、そこで耳障りな音を立てる木の葉もはっきりと分かるくらいだった。
「では行きましょうか?」
地図とランタンを受け取った、はちみつ色の髪をした女性が私達二人に告げた。その言葉に、私と同じぐらいの背丈で、明るい茶色い髪を三つ編みにした少女も頷いて見せる。
「あ、あの、フレデリカ・カスティオールと申します。よろしくお願い致します」
私は二人に向かって小さく頭を下げた。何事も挨拶は大事です。それに始めが肝心です。
「もちろん知っています」
「え!」
「だって、初日に新入生全員の前で試合に出られましたから」
そう言うと、三つ編みの子はクスリと小さく声を漏らして、私に向かって苦笑いをしてみせた。そうですね。確かに大声で紹介されましたものね。
「はじめまして、ローナ・ハーコートです」
私は彼女が差し出した手を握った。うん、いい人だ。そして、もう一人のはちみつ色の髪の少女に向かって手を差し出した。だが彼女は私を冷たい目で見るだけで、何も反応しようとはしない。
「あの、何か?」
「侯爵家の様な高貴な方は、私のような下々などには興味がないと思いますが?」
「え!」
「一体どれだけ昔の特権だか何だか分かりませんが、それを使って好きにされたらいかがでしょうか?」
「メラニーさん、とりあえずこの歓迎会が終わるまでは横に置いておかれた方がいいと思いますが?」
「ローナさんも、オールドストン侯爵家につながるお家ですから、こちらの赤毛さんの味方ですか?」
「私はどちらの味方と言う訳でもありません。途中で先輩方の邪魔が入ると姉からは聞いていますし、風もかなり出てきました。早く終わらせて宿舎の中に戻りたいだけです」
「そうですね。今宵は少し冷えるようです。それに私としてもこの方と一緒に居るのはごめん被りますので、早く終わらせることに致しましょう」
はちみつ色の髪のメラニーさんという名前の女性は、そう言い放つと、さっさと先に歩いて行こうとする。
「あの、メラニーさん。私の方で何かメラニーさんに失礼な事でも致しましたでしょうか?」
私の言葉にメラニーさんが明らかに怒った顔でこちらを睨み返した。え、本当に心当たりが何もないのですけど……。まさかエルヴィンさんがメラニーさんの婚約者とか言うことはないですよね?
「特権だか何だか知りませんが、人が入る予定だった部屋を横取りしておいて、よくも知らん顔が出来ますね!」
「え……あの……もしかして?」
そうか、忘れていた。私が入学式に辛うじて間に合ったのは、モニカさんが内務省まで行って、私の宿舎の件をねじ込んでくれたおかげだった。その結果、私が入れたあの部屋は、どう見ても宿舎の中でも上等な部屋であるのは間違いない。
という事はその部屋に入れるはずだった人を押しのけ、さらに押しのけられた人が、別の人を押しのける。つまり私は新入生のほぼすべてに迷惑を掛けたことになる。私は何て事をしてしまったんだろう。
前世でも親の七光りで、実力も何もない私が、本物だけが集う、城砦の冒険者になることができた。だがそれがマリを、本来なら実力で問題なく城砦の冒険者になれるはずだった、前世の実季さんの運命を狂わせることになった。そして彼女を陰謀に巻き込んでしまい、ついには私と一緒に命を落とすことになったのだ。
自分は現生で前世の記憶を取り戻した。この世界とは少しばかり違う世界で、今の年齢より少し年上まで生きた記憶だ。だが賢くなったわけでも無ければ、思慮深くなったわけでもない。何も変わってはいない。
だけど勝手にお姉さん気分で、少しだけ賢くなったつもりになっていた。だけど私は前世の経験を何も生かすことなく、前世と同じ過ちを同じように繰り返しただけだった。
メラニーさんに対して何かお詫びの言葉を、自分がいかに配慮が足りていなかったのかについて謝りたいのだが、何も言葉が出てこない。私はメラニーさんの怒りに燃えた視線を、ただじっと受け止めるしか出来ずにいた。
「いい加減にしてもらえませんか? 前の組に追いつくなとは言われましたが、後ろの組に追いつかれるようだと色々と困ります。それに風も強くなってきました」
そんな私とメラニーさんを見て、ローナさんが呆れたように声を上げた。その声に、メラニーさんが私から視線を外して前を向く。私達の前には両側を木立で挟まれた、煉瓦が敷かれた小道が続いている。そしてその道を、血のような色をした赤い月が照らしていた。
「そうですね。ローナさんの言う通りですね。さっさと終わらせましょう」
そう言うと、二人は前を進み始めた。確かに風も強くなってきた。その風に、前をいく二人の裾が風に舞っているのが見える。今は釈明している場合でもなければ暇もない。これが終わったらメラニーさんにはちゃんと謝ろう。
でもメラニーさんだけじゃない。私はもっと大勢の人達に迷惑をかけている。
* * *
「旧宿舎とはあちらでしょうか?」
ローナさんが道、いや今ではもう坂と言った方が良さそうな先を指さした。彼女の指さした先には、黄色い月と赤い月に照らし出された、中央に高い尖塔を持つ建物の影が見える。その姿は宿舎というより、人里離れた教会を思わせるような感じだ。率直に言わせてもらえば、妖しさと不気味さに満ちている。
「学園の敷地がとても広いと言っても、ずいぶん奥まったところにあるのね」
先頭を行くメラニーさんが、それを見て答えた。
「こんな先から授業棟まで通っていたら、毎朝遅刻になりかねませんね」
二人は道中色々とおしゃべりをしていたが、私はずっと蚊帳の外だった。だけど、それについて二人を責める気にはまったくならない。
「本当ですね。でも風もさらに強くなってきましたので、少し急いだほうがいいですね」
メラニーさんがそうローナさんに告げて歩き出した時だった。彼女が前に掲げるランタンの明かりの先、木立の中で何かが動いたような気がした。
『気のせい?』
思わず足を止めた私を置いて二人は前へと進む。私はメラニーさんが持つランタンの明かりを手で遮って、木立の方をじっと見つめた。
『何だろう? 何かある』
それは真っ黒な木立の中で、ぼんやりとした白い靄のように見える。それはゆっくりと揺れながら、こちらに向かって近づいて来ていた。
「お、お化けーーーー!」
頭の中ではこれは肝試しなのだから、絶対に本物ではないと告げている。だが私の心の中の小人さんが、あれは絶対にお化けだと叫んでいた。そしてその叫びが、私の口から漏れ出ていた。
私の前を歩んでいた二人が驚いた顔をして私を見る。そして私の視線の先に目をやった。
「逃げましょう!」
ローナさんがそう口にするや否や、前を行く二人が前方に向かって走り出した。いや、待ってください。前方は坂ですよ。それに間違いなく先に行くほど急じゃないですか。逃げるんなら後ろです、後ろ!
私は心の中でそう叫んだが、まさか一人で後ろに逃げる訳にもいかない。私は前の二人を必死に追いかけた。後ろを振り向きたくなるが、振り向いてそこに何かが居たら、間違いなく私の心臓はその時点で止まる。
「はあ、はあ……」
必死に走るが、進むにつれて坂はより急になり、左手はもう崖の様になっていて、右手には暗いくぼ地が広がっている。私の目の前で、前を行く二人が急に止まった。思わず前の二人にぶつかりそうになる。見上げると、旧宿舎の建物は大分大きくなり、各部屋にある小さな出窓や、板を打ち付けられた外壁など、建物の詳細がはっきりと分かるようになっていた。
「あ、あの、逃げないと……」
そう問いかけた私を見て、二人が手を口に当てて含み笑いをもらした。
「ふふふふ、フレデリカさんは怖がりなんですね」
ローナさんが私を見てそう告げた。
「こ、怖がり?」
「ええ、あれば先輩方のちょっとしたいたずらに決まっているじゃないですか?」
「え、やっぱり。そ、そうですよね」
「もちろんよ。そんな事も分からないの?」
メラニーさんはそう言うと、私を軽蔑した目で見た。
「でも、フレデリカさんが本当に驚いてくれて助かりました」
ローナさんが私に微笑んで見せた。
「助かった?」
「ええ、だって驚いて見せなかったら、先輩たちが興ざめではないですか。そうしたら、かわいくない後輩だと疎まれてしまうかもしれません」
そう言うと、ローナさんが再び手を口に当てて、含み笑いをもらした。
「前にはそれで粗相までした生徒さんがいたそうですから、フレデリカさんはまだましですね」
「粗相?」
「はい。もらしてしまったそうですよ」
「学園に入って直ぐにそんなことをしてしまったら、もう生きてはいけないですね」
メラニーさんがローナさんに相槌を打った。やっぱり、どんな時でもお手洗いには、始めに行っておくべきらしい。でも漏らしてもいいじゃないですか? 皆さんは本物のおばけに会ったことがないから、そんな余裕が言えるんです。
「粗相と言えば、どなたかも入学早々に、殿方の前でドレスを脱がれたような気がしますが?」
そう言うと、メラニーさんが私の方をちらりと見た。その冷ややかな視線に、思わずお化けの恐怖も忘れて耳の後ろが熱くなる。どうかそれは無かったことにしてください。
「メラニーさん、そんな事より早く宿舎の中に入って、赤に関する何かを持ち帰ることにしましょう」
ローナさんはそうメラニーさんに告げると、二人ですたすたと宿舎の玄関の方へ向かって歩いて行った。




