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足手纏い

「そもそも何で私達が押さないといけないのでしょうか?」


 後ろを交代に押していた3人の中の一人が、ついにその台詞を口にした。自分たちが向かっている東側の正面から上がっている二つの月、黄色い大きな月と、赤い小さな月の月明りで、前へ進むの自体には問題が無かったが、煉瓦が敷き詰められた、旧宿舎へと向かう道には色々と問題があった。


「これは道が悪すぎて厳しいですね」


 煉瓦はところどころ欠けているところがあり、車いすの車輪がそこに入り込むと、女性の力では、3人がかりで押さないと出れないこともあった。


「それに明らかに上り坂ですよね?」


 発言者の少女の言う通り、道は段々と登っていて、それは進むにつれてより急になっているように思える。


「そういえば、旧宿舎は侵入者を防ぐために、崖の先のようなところだと大叔母様から聞いたことがあります」


 少女達から声が上がる度に、オリヴィアはとてもいたたまれない気持ちになった。もう置いていってくださいと口から出かかるのだが、組の連帯も試されていることを考えれば、自分からそのような発言をする訳にもいかない。ただじっと耐えるしか無かった。


「そもそも、何でこのような事をしないといけないのでしょうか?」


「さあ、よくは分かりませんが、伝統と言っておられたので、前から行われていたのではないでしょうか?」


 少しやせ気味の背の高い少女がそう口にした。その声はすでに疲れ果ててしまっているように聞こえる。


「外に出ると分かっていたら、もう少し厚着をしてきたのですが……」


 一番小柄な、少しそばかすが目立つ少女がそう答えた。秋と言っても夜はもうだいぶ冷え始めている。椅子に座っているだけのオリヴィアは吹き抜ける風に、纏っていた薄手のカーディガンの襟元を首の方へとかき寄せた。


 それに宿舎を出て、こちらに向かい始めたころから風が吹き始めて、それは段々と強くなっている。両側の林、いやもう森と言ってよさそうな木々の枝がその風に煽られて、かなり耳障りな音を立てていた。その音は少し大きめの声を出さないと何を言っているか分からないぐらいだった。


「何なの!?」


 背の高い子が不満の声を上げた。その息が荒くなっている。座っているオリヴィアからも上り坂がより急になってきたのが分かった。左手が崖のようになっており、右側がくぼ地になって傾斜がついていて、車いすを押すのがより大変になっている。今や、車いすは三人がかりで押している状態だ。


「もしかして、旧宿舎と言うのはあの建物でしょうか?」


 小柄な子が前方を指さした。彼女の指さした先には、上がってきた月を背後に、真ん中に高い尖塔を持つ建物の影があった。その影はまだ小さく、そしてそれはかなり急な坂の先にある。


「これを押して、あそこまで行かなくてはいけないのですか?」


 背の高い痩せ気味の子があきれたような声を上げた。


「これはいくら何でも……」


「ひ!」


 小柄な子が背の高い子に同意しようとした時だった。これまで無口だったもう一人の子が、小さな悲鳴のような声を上げた。そして震える手で左手の林の方を指さす。その手はまるで悪路の馬車にでも乗っているかのように激しく震えていた。


「お……お……おばけ……」


 その声にオリヴィアを含めて全員が、彼女が指さしたほうを見た。


「きゃーーー!」「ひーーー!」


 残りの二人の悲鳴が響く。オリヴィアの視線の先でも、白い何かがゆらゆらと揺れながら、こちらの方へ向かってくるのが見えた。オリヴィアも思わず口元に手を当てて息を飲む。


「に、逃げないと……」


 誰かが漏らした言葉の後に、車いすがガタンと揺れたのが分かった。近づいてくる白い何かから逃れるために、後ろに居た三人は元来た道の方ではなく、それが近づいてくる方の反対、右手のくぼ地の底の方へと逃げようとしていた。


 車いすはそれに押されるかのように道を外れると、くぼ地の方へと押し出されていた。オリヴィアの目の前を三人がくぼ地の暗闇に向かって、坂を転がるように走っていくのが見える。そして自分の乗っている車いすもそちらに向かって動きだしていた。


 制動のための棒が背後の持ち手の下にあるはず。オリヴィアは坂の下に向かって加速していく車いすを何とか止めようと、身をよじって椅子の背後に手を伸ばした。だが地面から伝わる振動の為、うまく腕を伸ばすことができない。必死に伸ばした手は、何も掴むことが出来ずに宙を彷徨っているだけだ。その間にも車いすはくぼ地の下に向かって加速していく。


 オリヴィアは振り返って自分の車いすの進む先を見た。その視線の先には、太い木の幹が葉の間から漏れてくる月明りに黒い影となって映し出されている。


 このままではあれに激突する。オリヴィアはそれが引き起こすであろう惨事に恐怖した。きっと自分の体は車いすから投げ出されて、あの木へと激突する。そして熟れた果実のように、その中身をさらけ出すことになるだろう。


『せっかく病から生き残れたというのに、木にぶつかって死ぬなんてのは嫌だ!』


 オリヴィアは背後の制動棒を掴もうと、よじっていた体をさらによじった。体重を傾けて、少しでも進行方向をずらさないといけない。車いすの進む先が少しだけ右にずれる。


「ガタン!」


 何かの衝撃とともに反対側の車輪が宙に持ち上がった。どうやら石か何かにぶつかって跳ね上がったらしい。車いすは片側の車輪だけを地につけたまま進もうとする。それはオリヴィアの体重によってさらに傾いていった。


 オリヴィアの目の前をくぼ地の草地がものすごい速さで横切っていく。オリヴィアは意を決すると、さらに体重を傾けた。


「ドン!」


 オリヴィアの耳に大きな音が響いた。それは車いすが前方へと横転して何かに激突した音だった。そして自分の体がどこにも触れていないのに気が付いた。


『飛んでいる?』


 今まで一度も感じたことが無い不思議な感じに、オリヴィアは戸惑った。しかし次の瞬間に、自分の体が地面に接したのを感じた。そこからは何も感じられない。オリヴィアの意識はそこで途切れていた。


* * *


 地図とランタンを渡された緑組の人達が、アメリアさんに追い出されるみたいに、談話室の先の庭先へと出て行ってからだいぶ時間がたった。


 いや、もしかしたらそれほど経っていないのかもしれない。正直なところ、無言でただ待っているだけなので、どれだけ時間が経ったのかよく分からない。だがどう考えてもこれはかなりやばい状況だ。


 前世で父親が夜な夜な私を寝かしつけると称して、怖い話をしてくれたせいで、私はこの手のものはからきしだめだ。それに前世ではとある湖畔で、本物にも会ってしまっている。現世ではそれは居ないと分かっていても、これは単なる肝試しだと考えようとしても、私の心の奥底の何かがそれを拒否する。


「赤組の方も準備をお願いします」


 そう言うと、アメリアさんが私を含む3人に対して戸口の方へ進むように指示した。そう言えば前世でも勝手に周りから赤毛組とか呼ばれていたのを思い出す。その呪いだろうか、現世でも私は赤組だ。


 そんなことより、こんな事に巻き込まれると分かっていたら、先にお手洗いに行っておくんだった。前世でもある嫌味な大男と、その超絶美少女の妹さんからよく言われていたのに忘れていた。でもそもそも全てが想定外だ。


「こちらがランタンと、地図になります。落とさないように気を付けてください」


 アメリアさんが私に渡そうとしたランタンと地図を、隣にいた私より少し背が高くて髪が長い女性が、横から奪う様に受け取った。良かった、少なくとも一人はやる気がある人がいる。


「旧宿舎は出て左へとお進みください。以降は地図を参考にしてください。なお、道に迷われた場合は、月が出ている方と反対側に進めばこちらに戻ってこれると思います」


 先にいるオリヴィアさんは大丈夫だろうか? 実際に芝生の上で車いすを押したことがある身としては、それがかなり大変なことがよく分かる。


「急ぎすぎて、前の緑組に追いつかないようにお願いします」


「前の組ですが、車いすだと大変なので、私達の方で追いついてお手伝いしては駄目でしょうか?」


 私は思わず、アメリアさんに問いかけた。


「私語は無用にお願いします。各組での協調と協力を含めてのこの歓迎会です」


「ですが、夜ですし足元が……」


 私はアメリアさんに食い下がった。アメリアさんが一歩私の方へ近づくと、私の瞳をじっと見つめる。始めて会った時には小柄で、とてもかわいらしく見えた姿が、まるで何倍にも大きくなったような気がする。


「フレデリカさんはこの宿舎の一員として、これからここで暮らしていくという事が、どの様な事かまだ分かっていないようですね? ここは皆さんのご自宅ではありません。学園で、その宿舎です。この程度の事に対応できないようでは、ここにいる資格はありません」


 アメリアさんが私にそう答えた。どこかで聞いたことがある台詞だ。そうだ、前世で城砦にたどり着いた時に、ある男から似たような事を言われたような気がする。ジェシカお姉さまは恋をしてこいなどと言っていたが、どう考えてもそんな甘い感じではない。


 ここはジェシカ姉さんが居た時と本当に同じところなのだろうか? 後でロゼッタさんに聞いてみるべきかもしれない。でも聞き方は考えないと。まさか前は恋ができるような場所でしたか、なんて聞く訳にはいかない。聞いたら間違いなく補習時間が増えそうな気がする。


 だけどオリヴィアさんは私達とは少し立場が違う。常に誰かに頼らないといけないのだ。イエルチェさんに手伝いをお願いするぐらいは、あってもいいのではないだろうか?


 再度配慮をお願いしようとした私の肩を誰かがそっと叩いた。振り返るとイサベルさんが私に向かってそっと首を振って見せる。どうやらイサベルさんは私にこれ以上言っても無駄だと伝えたかったらしい。


「ご理解いただけましたか?」


 アメリアさんが私ににっこりと微笑んで見せた。最初に会ったときと違って、今ではこの微笑みはとても恐ろしいものに見える。間違いなくコリンズ夫人や、ロゼッタさん側の人間の一人だ。絶対に只者ではない。


「では、赤組の方も出発願います」


 アメリアさんはそう告げると、私達に宿舎の外へ出るように即した。

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