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興味

「ただ今です!」


「お嬢様、お帰りなさいませ」


 私が扉を開けて部屋に入ると、扉の先で侍従服のマリがそう答えて、私に向かって深々と頭を下げて見せた。


「お嬢様は止めてください」


 そもそもマリにお嬢様とか呼ばれると、馬鹿にされているようにしか聞こえません。


「一度やってみたかったんです」


 そう言うとマリが首を小さく傾げて笑みを浮かべて見せた。これって、もし私以外に、世の男性の誰かに見せたら絶対にいちころのやつです。そして世の叔父様達にやった日には危険すぎるやつです。しかしマリは私のそんな思いを一顧だにすることなく、私から素早く鞄と手提げを受け取ると、背後に回って上着を脱がせてくれた。相変わらずの手際の良さです。


「あれ、ロゼッタさんは?」


 私は部屋にマリ以外の誰もいないのに気が付いた。昨日は新人戦の事故もあって見逃してくれたが、今日は絶対に待っていると思って覚悟していたのだけど見当たらない。


「はい、本日は付添人に関する学園の研修で補習は無しとの事です。私については明日同じ様な研修があるそうです」


 助かりました。出来ればその研修とやらは何日かやってもらえるともっと助かるのですが……


「一日目から試験だなんて聞いていませんでした。もうくたくたです。ともかく今日もさっさと休みたい気分です」


「大変ですね」


 今からでも遅くないから変わりませんか? マリが侯爵家の娘の方が絶対に世のため人の為です!


「それよりもお弁当箱はどちらでしょうか? 洗いますので、すぐに出してください」


 手提げを見たマリが、少し不思議そうな顔をして私の方を振り向いた。


「え……あ、そうですね」


「初日で少し舞い上がっておりまして、すいませんでした」


 舞い上がる? ああ、男子生徒の授業棟に突撃した件ですか? あれ、おかしいな。まだマリには話していないはずだけど……


「え、何の話です?」


「お弁当です。申し訳ありませんでした」


「あ、そうですね。初日ですから気合が入りますものね」


「はい、もちろんです」


 ちょっと待ってください。貴方は私のお弁当に一体何を入れたんですか?


「そんなに気合が入っていたんですか?」


「え?」


 しまった。思わず私の口から洩れた台詞にマリが反応した。


「何でもありません。あれ? お弁当箱が無いですね。教室に忘れてきてしまったみたいです」


「フレアさん?」


 マリが明らかに疑いの表情で私を見ている。まずいです。これはとてつもなくまずいです。


「は、はい」


「本当にお弁当を食べられましたか?」


 うう、直球勝負で来ますか?


「え……あの……」


「フレアさん!」


「ごめんなさい!」


* * *


 トカスが研修を受ける部屋に足を踏み入れると、部屋の中には10名ほどの人間が既に机についていた。侍従以外の付き人を付けられる特権を持っているような家はそれほど多くはない。


 その中でも今年新入生が居る者だけがここに集められている。10人という人数が多いか少ないかは微妙な所だろう。トカスはさほど広くはない部屋を見渡しながらその背中を一人一人値踏みしていった。


 その多くはいかにも剣で身を立てているような男達だが、女性も少なくはない。おそらく護衛役をたてるなんてのは女子の子弟の方が多いのだろうから、親の方でも結婚前に護衛役と火遊びなどしてもらっては困ると思っているに違いない。その背中からも、トカスは自分が目標とする人物が誰かはすぐに分かった。


「こちらの席は空いていますでしょうか?」


 トカスは革の背表紙の、小さな本の様なものを手にする女性に声を掛けた。


「はい、空いております」


 女性はちらりとトカスの方へ目をやると、すぐに本へと視線を戻した。トカスは女性に対して小さく頭を下げると、その隣へと座った。部屋の中の何人かがトカスの方をちらりと見る。どうやら他に席が空いているにも関わらず、女性の隣に座った事に興味を、そのうち何名かの男性は悪意をもったらしい。


『単純な奴らだ』


 貴族の家に代々使えるような家柄の者にありがちな奴らだ。その視線の一つ一つを受け止めながらトカスはそう思った。護衛役だか何かは知らないが、感情の動きを簡単に見透かされるようでは、庭先の鶏一つ守れるかどうかというところだろう。


「はじめまして、トカスと申します。失礼ですが、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 紺色の少し地味な装いに身を包み、黒い髪を後ろにまとめた女性が本から視線を上げてちらりとトカスを見た。


「ロゼッタです」


「ロゼッタさん、今後ともよろしくお願いします」


「こちらこそ」


 ロゼッタと名乗った女性はそう告げると、トカスの差し出した右手を無視して、再びその小さな本へと視線を戻そうとした。トカスはロゼッタにその間を与えずに言葉を続けた。


「失礼を承知でお聞きしますが、この部屋に居る護衛役の皆さんとは違うようにお見受けしますが?」


「皆様の役割はそれぞれかと思います」


「そうですかね。ほとんどみんな護衛役と呼ばれる者達がここに集められていると思いますが?」


「ならば、貴方もそうなのでしょうね」


 ロゼッタはそう言うと、本に視線を戻そうとした。


「ロゼッタさんはどうなんでしょうか? 個人的には貴方のような美しい女性がどうしてここに居るのか、興味が尽きないところです」


 トカスはそう言うと、ロゼッタの顔と本の間に、再度右手を差し出して見せた。


「君、そちらの女性が嫌がっているのが分からないのか?」


 トカスの左前方に座っていた男性が振り返ると、トカスに向かって声をかけて来た。


『騎士道気取りの分かりやすい奴だ』


 色々と小細工をするには余人の興味を引き付けてくれる道化が必要だ。こういう奴がいると実にやりやすい。トカスは心の中でほくそ笑んだ。


「それは大変失礼しました。嫌がっているかどうかは、こちらの淑女に直接お聞きになった方がいいと思いますが、いかがでしょうか?」


 トカスはわざとらしく胸に手を当てて男に答えてみせた。男の顔が紅潮する。体に少しばかり恵まれていて、周りからちやほやされてきた奴の典型的な反応だ。この程度の挑発に乗って来てくれるとは楽でいい。さてあと一押し、トカスがそう思った時だった。


「お気遣いは不要です」


 おもむろに本にしおりを挟んで閉じたロゼッタが口を開いた。腰を浮かせかけていた男性も面食らった顔をしてロゼッタを見ている。


「トカスさんが私に興味をお持ちになっただけの事です」


 そう言うと、トカスの方へ視線を向けた。


「トカスさん、あらためましてロゼッタと申します。カスティオール家の家庭教師をしております。ですので私の仕事は護衛ではなく、学習の補助です。ご納得いただけましたでしょうか?」


 そう言うとトカスの方をじっと見つめた。


「なので、お気遣いは不要に願います、()()()()


 ロゼッタは最後の一言をとても小さく、トカスにだけ聞こえるように伝えて来た。トカスはその視線に、自分の全てをさらけ出しているような気分になった。それにこの目はどこかで見たことがある目だ。


「ああ」


 トカスはそう一言告げると、ロゼッタの視線を避けて前を向いた。手には知らない間に汗をかいている。この女は俺が何者か、それに何をしようとしていたのかを完全に見抜いている。この女は単に魔法職として力があるだけの女じゃない。明らかに俺と同じような世界を、命のやり取りをしてきた女だ。トカスはロゼッタの目が誰に似ているのかを思い出した。


『あの男と同じ目だ』


* * *


「それで、一体どういうことか説明をお願いします」


 腕を組んで仁王立ちのマリが椅子に座った私を上からにらみつけている。昨日に引き続き、今日も私はマリから説教されるという事でしょうか?


「あ、あのですね。ですからお詫びをして、仲直りをしようとですね、昨日の対戦相手の方のところまでお昼を食べに行ったんですよ」


「何で、仲直りとかが必要なんです。試合相手ですよ。それにどう考えても昨日の試合は相手の方に問題があります。フレアさんが謝る必要など爪の先ほどもありません」


「こちらに非が無くても謝れば万事丸く収まる。そう言うものですよね?」


 ニホンジンの美徳ですよ。あれ、ニホンジンって何だ?


「不要です」


 表情を全く変えずにマリが答える。まずいです!


「いや、マリさん。世の中はそういうものじゃないですか?ほら、誰かも言っているじゃないですか、右のほほを打たれたら、左のほほを差し出せって」


 あれ、誰の言葉だったっけ? やっぱり私には色々と変なものが混じっているような気がする。 


「間違いです。むしろ他の者への示しも合わせて、教訓こそ与えるべきものです」


「教訓? 教訓って何ですか?」


「フレアさん。この件は私の方でしかるべき対処をさせていただきますので、ご心配は無用です」


「あのマリ? 前にも言いましたけどね、しかるべき対処って何ですか? ここは学園、学校ですからね!」


 せっかく仲直りをしに、男子授業棟まで突撃した意味がないじゃないですか!


「それにあれを見たものを、そのままにしておく訳にはいきません」


「ちょっと待ってください。マリ、貴方は私のお弁当に何を入れたんですか!」


「知りません!」


「知らないって何ですか!?」


「トントン」


 思わず立ち上がってマリを問い詰めようとした時だった、誰かによって、外につながる扉を遠慮がちに叩く音が聞こえた。

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