ふしだら
「君は自分が一体何をしているのか分かっているのか!?」
中年の教師が再び私に向かって口を開いた。
「え!? あの、お昼を一緒に食べようとしていたのですが何か?」
「初日にいきなり男子授業棟に来るとは、何てふしだらな娘だ!」
「え、ふしだらですか!?」
ちょっと待ってください。どうしてお昼ご飯を一緒に食べたらふしだらという事になるんです。だとすれば、私は前世で家の居候と毎日ふしだらな事をしていたことになるではないですか!絶対に違うと思います!
「君、名前は? それにすぐ私と一緒に来てもらおう」
脂ぎった広いおでこが気になる教師が、私の腕を掴もうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください」
何も悪いことはしていませんよ!それに私のお昼はどうなるんですか!?
「フレデリカ嬢。私は貴方に、貴方の教室で待っていてほしいと伝えたつもりなのだが」
教師が私の腕をつかんだ時だった。その教師の背後から声が上がった。
「それに、教室まで間違っている」
その声に教師が背後をふり返った。私も声の主を確かめるべく、教師の少しばかり横に広すぎるお腹の脇からその先を覗いた。そこには鳶色の髪をした男子生徒が立っている。確かにどこかで見たような気はするが、少なくとも誰かと約束などした記憶はない。
「あの、間違いじゃ……」
「イラーリオ先生、紫組のイアンです。こちらの書類で本日の昼休みに彼女の教室を訪ねる許可はとってあります。ですが、どうやら私の連絡の仕方が悪かったようで、彼女の方からこちらを訪ねて来てしまったようです。私の不手際でご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした」
そう言うと、鳶色の癖毛の男子生徒は恰幅のいい先生に対して丁寧に頭を下げた。イアン? どこかで聞いたような名前だ。あ、そうだ、お披露目で私の足を散々踏んでくれたあの王子だ。少しばかり気取った物言いをしていたから分からなかった。
「イアン君、君は将来この国を背負うべき立場なのだから、そのような軽率な過ちは困りますね。だが、どうして彼女は彼とここで話をしていたのかな?」
そう言うと教師は、エルヴィンさんの方を指さした。
「それは彼が昨日の新人戦で、私の本来の対戦相手であったので、私の知り合いだと彼女が思ったのだと思います。それで面識のある彼に私の行き先を尋ねたのでしょう。そうですよね、フレデリカ嬢?」
イアン王子がそう言うと、教師の背後で目をパチパチさせて目配せしてきた。あのですね、そんなにバチバチしなくても流石に分かりますよ。
「はい。イアンさんのおっしゃる通りです」
「フム」
イラーリオとかいう教師は未だに怪訝そうな顔をしながらも、イアン王子に向かって頷いて見せた。そしてイアン王子が差し出した許可証を受け取るとそれに目を通す。
「君の兄上と姉上の署名もあるのか。理由は何にせよ、私の教室でこのような騒ぎを起こされるのは困るのだがな」
「はい、申し訳ございません」
「フレデリカ嬢、君からも今回の不手際について、イラーリオ先生に謝っていただけないかな?」
はあ? お昼を食べようとしたぐらいで、どうしてこんな大騒ぎになるんですか? 納得はできませんが、長い物には巻かれろという事ですね。
「イラーリオ先生、ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。初日で少々舞い上がっておりました」
私は立ち上がってスカートの裾を軽く持ち上げると、彼に向かって頭を下げた。
「ともかく余人の目があるところ、ましてや教室の中で話をするのは困る。イアン君、君の彼女に対する用件については、授業棟の渡り廊下の出口のところにでも行って、あまり人目につかないところで話をし給え」
「はい、イラーリオ先生。すぐに失礼させていただきます。ではフレデリカ嬢、ここでは皆さんにご迷惑だ。外へ移動することにしよう」
え、貴方の用件とやらが何かは知りませんが、こちらの用件はまだ全然終わっていないんですけど!
「ちょっと、あの……」
「フレデリカさん、こちらは?」
イアン王子に腕を引っ張られてる私を見て、エルヴィンさんが慌てて私に水色のお弁当の袋を差し出した。
「エルヴィンさん、昨日のお詫びです。どうぞ召し上がってください」
朝食の残りで大変申し訳ないですけどね。今度またいつかちゃんとお詫びをさせて頂きます。
「ほら、ぐずぐずしない」
イアン王子は私の都合を一顧だにすることなく、腕を掴んで教室の出口へとぐいぐいと引っ張って行く。相変わらず女性に対する配慮が足りない男です!
「皆さん、大変お騒がせしました」
そう告げると、イアン王子が教室の扉を勢いよく閉めた。私達の姿に、廊下に居た何名かの男子生徒が驚いた顔をしてこちらを見ている。ほら、皆さんもあなたのガサツな態度に驚いていますよ。
それを見たイアン王子は再び私の手を取ると、女子の授業棟へと続く渡り廊下の近くまで私を引っ張って、いや引きずって行く。
「痛い、痛いです!足を、足を踏んでいますよ!」
配慮が足りないだけではないです。一緒に踊った時もそうでしたが、貴方は女性の扱い方そのものを間違っていませんか!?
「フレデリカ嬢。貴方は私には文句では無くて、感謝の言葉を口にすべき立場だと思うがね?」
イアン王子が腕組みをしながら私に告げる。王子様だか何だか知りませんが、何でそんなに上から目線なんですか?
「はあ? どうして私がイアン王子様に感謝しなくてはいけないのでしょうか?」
「やっぱり分かっていないんだな。男女がお互いの授業棟を許可なく尋ねるのは厳禁だ。説明会で話を聞いていなかったのか?」
「えっ、禁止なんですか!? だって隣の建物ですよ!?」
それに説明会とやらは、とある理由で欠席させていただきましたから、その話は全くもって初耳です。
「場合によっては、退学処分になる場合だってあるんだ。それを救った相手に対して、君には感謝の言葉は無いのかな?」
退学!? 入学したばっかりでですか!
「そうなんですか?」
私の台詞にイアン王子がわざとらしく頷いて見せる。この態度は横に置いておくとして、やはり私は彼に助けられたことになるらしい。仕方がない、礼の一つぐらいはしないといけない。挨拶とお礼は乾杯と同じくらい大事ですからね。
「イアン王子様、大変失礼致しました。救って頂きまして、感謝の言葉もございません」
「ここは学園だから、『王子』は無しにしてもらえないだろうか? それに君から王子と言われると、なぜか馬鹿にされているような気がする」
はあ? こっちが素直に礼をしたというのに、一言多くありませんか?
「それは貴方の気のせいだと思います。では改めましてイアンさん、救って頂きまして大変ありがとうございました」
私は彼にそう告ると、スカートの裾を軽く上げて見せた。どうだ、これで文句はないでしょう。
「満足していただけましたでしょうか?」
貴方の一言多かった分、こちらも一言多めに返させて頂きます。
「おい、人が丁寧に相手をしているからと言って、つけあがるのもいいかげんにしてくれないか?」
「そうですね。仮にも一国の王子ですから、不敬罪にあたりますでしょうか?」
何でだろう? この人と話しをしていると、なぜかとってもイライラする。子供っぽい態度と言うことは分かっているのだけど、どうにもそれを止めることが出来ない。
「もういい。こちらも言葉が過ぎた。君とやりあうのはソフィア姉さんとやりあうのと同じぐらいに不毛な事のようだ」
「ではせっかく救って頂きましたので、教室に戻ってお昼ご飯を食べたいと思います。こちらで失礼させていただきます」
「そうだな。もう昼も大分すぎた」
「イアンさん、ではご機嫌よう」
「あ、ちょっと待て、まだ用事が!」
誰が待ってなんてあげるもんですか!