担任
「ここですね」
イエルチェさんが私達に告げた。イエルチェさんは方向感覚と言うか、複雑怪奇な建物案内図を読み解く能力に長けているのか、迷うことなく私達を教室の前まで連れてきてくれた。入り口には間違いなく橙色の板がある。
ありがたいことにオリヴィアさんも私と同じ教室らしい。これは本当に助かった。引きこもりだった身としては誰も知り合いがいないと気後れする。やっぱり持つべきものは友だ。
それに教室の中からはざわめきの様なものも聞こえて来た。どうやら先生はまだ来ていないらしい。こちらも助かった。いきなり試合で恥をかいた上に遅刻ではあまりに酷すぎる。
「失礼します」
私は教室の入り口の扉を開けると、中に向かって声をかけた。そして先にオリヴィアさんを通すと、イエルチェさんの後から教室に入った。私達が入ると教室の中のざわめきが消える。教室の中で知り合い同士で固まって話をしていたらしい人達が、こちらをじっと見つめた。まあ、車いすの人は珍しいですからね、注目を集めるのは仕方がないですかね。
『あれ?』
どうやら教室の皆さんはオリヴィアさんではなく、私の一挙一動を注目している。思わず周りを見渡すと、皆さん見事なぐらいに慌てて明後日の方を向く。つまり誰も私と視線を合わせようとしない。これはまずいです。明らかに皆さん私の事を恐れています。もしかしたら、もしかしなくても、昨日の試合のせいですか?
「あ、あの方よ」
「昨日裸になっていた方ですよね」
「し、聞こえますわよ。殺されてしまいます」
誰かが小声で小さくしゃべったのが聞こえた。シーンと静まり返った教室に、その声は思ったより大きく響き渡った。ちょっと待って下さい。一体誰が裸になりました!?
皆さん、木剣とはいえ、私だっていきなり問答無用で切りかかって来られたりしなかったら、あんなことはしません。こっちだって命がけだったのですから、許してください。
それに見てください。スカートだって普通の長さですよ。ましてやヨーヨーなんかは持っていません。あれ、ヨーヨーって何だろ? やっぱり私には前世の記憶だけでなく、色々と変なものが混じっているような気がする。
「フレデリカさん、私の席はこちらの様です。フレデリカさんの席はどちらでしょうか?」
途方にくれる私に、オリヴィアさんが声をかけてくれた。ありがとうございます。ここでオリヴィアさんにも避けられたら、とても生きていけません。泣いてしまいます。
車いすのせいもあるのか、オリヴィアさんの机は教室の窓際に近い一番後ろの席だった。見ると教室の中には質素な一人掛けの机と椅子が並べられている。そして机の上には名札が置いてあった。何に使うのかは分からないが、教室の後ろにはいくつか椅子だけも置いてある。机は20以上もあるから、これは自分の席を見つけるのはちょっと大変そうだ。
私が席を探すために移動すると、まるで何かを避けるかのように人が動いて道が開けられる。あのですね、私はそこまでの危険物ではないです。それに皆さんは本当の危険人物というのをまだ知らないと思います。私の前世では本物が居ましてね。とてもでかい奴で、嫌味を言わないと生きていけない……
「フレデリカ・カスティオールさんですね。席はこちらです」
黄金色の髪と、青空のようなきれいな水色の目をした女性がこちらを見ていた。間違いなく美少女だ。そしてその美少女は自分の隣の席を指し示している。その席は、オリヴィアさんの前の窓際の席で、彼女の横の席だった。
「あ、ありがとうございます」
「始めまして、私はイサベル・コーンウェルと申します。よろしくお願いします」
鈴の音の様な声だ。前世でもそうでしたが、やっぱり美少女は声も美少女ですね。コーンウェル?どこかで聞いたことがあるような……ああ、私と同じ侯爵家だ。でも落ちぶれまくっているカスティオールと違って、侯爵家の筆頭の家柄のはず。
だからでしょうか、こんな美少女が生まれて来るのは。でも大丈夫です、私はかなり残念ですが、二年後に入ってくるアンは違います。イサベルさんにも決して引けは取りません!
「フレデリカ・カスティオールです。こちらこそよろしくお願いします」
私は彼女に向かって深く頭を下げた。やはり挨拶は大事です!
「でも、どうして私の名前をご存じなのでしょうか?」
「それはもちろん、フレデリカさんは有名人ですから」
そう言うと、彼女はにっこりと微笑んで教室の中の方を指し示した。教室にいたほぼ全員がこちらを見ている。そして私の視線に慌てて背を向けた。
「やっぱり、昨日の新人戦ですかね」
「もちろんです。女性で、しかもドレス姿で出られて、優勝候補の殿方に勝利されたのですから、皆さんフレデリカさんの事はご存じだと思います」
「いや、あれはですね。たまたまというか、相手が油断していただけでして……」
「それに、ドレスを脱がれて応戦されるなんて、まるで絵物語の中のようでした」
できればすべて無かったことにしたいぐらいなのですが、駄目でしょうか?
「あれは、脱いだわけではなくて、破れただけでして……」
健康的な足ぐらいは見えたかもしれませんけど、決して裸になどなっていません。ちゃんと見ていました? 暑くても肌着をちゃんと着ていました。私は思わず、背後を振り返った。やっぱり皆さんこちらを注目していて、さっきと同じ事の繰り返しになる。
「やっぱりドレスを破いたのはまずかったですかね?」
「さあ、どうでしょうか? それにフレデリカさんには生徒だけでなく、学園の職員の方々も注目しているように思います」
あれ、何だろう。この方の私に対する視線には、単なる興味以上の何かを含んでいるような気がする。だけど今日はじめて会ったはずだ。きっと私の気のせいだろう。
「イサベルさんは、もしかして以前どこかでお会いしたことがありましたでしょうか?」
「いえ、ほとんど屋敷を出たことがありませんので、ないと思います。もしかしたらお披露目の時にお会いしたかも知れませんが、ともかく俯いて座っていただけで、ほとんど何も覚えておりません。申し訳ありません」
イサベルさんが私に向かって首を振って見せた。その姿に私はとても親近感を覚えた。
「私と同じですね。私もほとんど屋敷を出たことがありません。是非、私とそしてオリヴィアさんとお友達になっていただけませんでしょうか?」
「お友達ですか?」
イサベルさんが私と、その後ろの席に座るオリヴィアさんの方を驚いた顔をして見る。
「はい。オリヴィアさんもお病気で、お家を出たことが無かったそうです。昨日こちらに来て初めてお会いしました。そしてお友達になって頂きました。そうですよね、オリヴィアさん」
「は、はい」
私の急な振りに、オリヴィアさんが慌てて答えた。
「イサベルさんと席が隣同士なのもなにかの縁です。どうか私達とお友達になって下さい。お願いします」
「あ、あの、私の様な者で良ければ、こちらこそよろしくお願い致します」
そう言うと、イサベルさんが私に向かって手を差し出してくれた。私は喜んでその手を握り返した。
「よろしくお願いします。でもイサベルさんはとっても美しい方なのに、お知り合いがほとんどいないと言うのは意外ですね」
「美しい……ですか?」
私の言葉にイサベルさんがキョトンとした顔をしている。でも美少女はどんな表情をしても、やっぱり美少女ですね。
「はい。とっても美しくて、女性の私から見ても羨ましい限りです。絶対に殿方が振り返って見ると思います」
「そ、そんな事はありません。私は、」
「遅くなって申し訳ない」
イサベルさんが私に何かを答えようとしたが、教室の前の扉が開くと同時に、男性の声が教室の中に響き渡ってそれを遮った。そして声に続いて、街の住人のような裾が短い上着を着た、黒髪の少し線が細い男性が教室の中へと入って来た。
「全員着席してもらえないだろうか」
私はイサベルさんに軽く手を振ると、慌てて自分の席に着席した。
「教授、入り口で立ち止まらないで下さい!」
続いて私達と同じ年頃の女性も教室に入ってきた。新入生の一人だろうか、その子は手に書類の束の様なものを抱えている。先に教室に来ていて先生の手伝いをお願いされた? それにしては先生に対する態度が少しばかりでかい様な気がする。
「あ、君達は、新入生の訳だから色々と分からないこともあると思うが、私も……」
「教授。自己紹介を先にしてください」
「そうだった。忘れていたよ」
「淑女の皆さん」
「生徒です!」
「ああ、そうか。生徒諸君、はじめまして私は『ハッセ』と言うもので、ここにいる諸君のクラスの担任です。こちらはメルヴィ君で、私の助教を務めてもらいます」
「メルヴィです。これから一年間、よろしくお願い致します」
「じょ、助教?」
思わず口から声が漏れた。だが驚いたのは自分だけではなかったらしい。周りの人達からもざわめきがあがった。だが、メルヴィさんが鋭い視線で教室の中をぐるりと見渡すと、教室の中は再び静寂に包まれた。私以外の人にも理解出来たらしい。この人は明らかに逆らってはいけない種類の人だ。
「では、自己紹介も終わったことだし、さっそく今日の午前中にやる内容について説明させてもらおう。君達には試験をうけてもらう」
教室の中に再びざわめきが漏れた。え!いきなり試験ですか? 聞いていないんですけど!
「これは一部の授業については学習の進捗度合いに応じて振り分けを行うので、その判断の基準にさせてもらうためのものだ。それと同時に君達の得手不得手など、今後の学習指導の参考にもさせてもらう。なお、明日は体力測定があるので、運動着の持参を忘れないように」
そう告げると先生は背後にいるメルヴィさんの方を振り返った。
「では、メルヴィ君、問題の配布と試験内容の説明を頼む」
「はい、教授。これから試験問題を配ります。私語は謹んでください。奥の付き人の方は、生徒から離れて教室の奥の椅子に着席をお願いします」
そう告げると、メルヴィさんが手元の書類をもって教壇の上へと上がった。そしてその紙を一枚取り出したところで怪訝そうな顔をする。
「教授?」
だがメルヴィさんの呼びかけに対して、ハッセ先生は教室の壁やら、天井の模様を眺めていて上の空だ。
「教授!」
「あ、なんだねメルヴィ君。急いで始めないと時間が無くなるよ」
「これって、学園の方から配布された問題と違うような気がするのですが?」
「あ、ばれたかい。流石するどいね。渡された問題は学力の判断材料としては不適切かつ、極めて退屈な問題だったので、僕の方で差し替えさせてもらった。こちらの方が確実に参考になるはずだ」
「そう言う問題じゃないです!勝手に問題を差し替えるなんて、またいきなり首になる気ですか?」
「まさか、これは改善というべきものだよ」
「皆さん、ちょっと待っていてくださいね」
そう私達に告げると、メルヴィさんは慌てて教室から出て行った。
「相変わらず忙しい人だね。もとの問題は僕の方で廃棄したので、探しに行っても無駄なのだけど」
ハッセ先生は心の声としか思えない発言を呟くと、出ていった扉の方を見ながら頭をかいて見せた。
「では時間も無いので、僕の方から問題を配らせてもらう。国語、理科社会、数学の四科目、3コマだ。試験時間は一時間。途中の休憩を15分とする。では、生徒諸君の検討を祈る!」
そう言うとハッセ先生は私達に向かって、まるでいたずらっ子がいたずらを仕掛けた後の様な、意地の悪い微笑を浮かべてみせた。