過ち
「マリ、やっぱり近道はやめておいた方が良かったかな?」
ともかく急がなくてはいけない自分達に、黒いドレスを着た親切でとっても美人な女性が、有り難い事に中庭を回った方が早いし、講堂まで迷えずに行けると教えてくれた。このやたらと沢山ある建物の中を行ったら、間違いなく迷う自信があったので本当に助かった。
「いえ、すでに開始の時間を大分過ぎていますし、受付でもこちらの方が早いと言われましたから、こちらで良かったと思います」
「でも、このドレスで走るのはやっぱり無理」
そもそも、ドレスで外を走っている時点で私は間違いなく負け組です。
「裾をもう少し高く上げて持った方がいいでしょうか?」
背後でドレスの裾を持って小走りに掛けているマリが私に声を掛けた。
「いや、そう言う問題じゃ無くて、腰回りを締め付けすぎです。これでは息が、息が出来ません」
要望はありませんかと言う言葉に、ともかく早く終わってほしい一心で、「ありません」と答えた私が愚かでした。最初から、「腰回りに余裕を持たせてください」とはっきり伝えておくべきでした。私は腰回りがちょっとばかり細く見えたぐらいで、良く見えるような体形じゃないんです。それは二年後のアンに対してこそ、やってあげて下さい。
これだからニホンジンは……あれ? ニホンジンって何だろう。やっぱり私には色々と変なものが混じっているらしい。
「フレアさん、足が止まっています!」
「は……はい」
マリはいつもの侍従服ですからいいですけどね、これで走るのは本当にしんどいんですよ。
「あれ?」
「フレアさん!」
急に止まった私に後ろからついてきたマリがぶつかりそうになった。
「マリ、あそこに誰かいるのだけど」
私の言葉に、マリが私が指さした先を背後からのぞき込んだ。
「車いすですね」
「そうだよね。私の見間違いじゃないよね。それも誰か乗っている。こんなところに一人なんて何かおかしい。行くよマリ!」
「はい!」
私は入学式が行われている講堂へと向かう庭の小道に、ぽつんとあった車いすのところまで駆け寄った。
「あの、どうかされましたか?」
見ると革張りの立派な車いすの上には痩せ気味、いやかなり細い女性が白いドレスを着て座っている。ドレスを着ているという事は私と同じ新入生のはずだ。辺りを見回してみたがやはりこの女性以外の姿はない。
「あ……新入生の、オリヴィア・フェリエと申します。付き添いの者がお手洗いに行って戻ってこなくて……。すぐに戻ってくると思いますので、大丈夫です」
女性が少し慌てた様子で私に向かって小さく答えた。
「お手洗いって、どちらまで行かれたのですか?」
「よくは分かりませんが、庭の向こうに見える東屋の先へいったと思います。でももう大分たつので、すぐに戻ってくると思います」
彼女の答えにマリと顔を見合わせた。
「マリアンさん」
「はい、フレデリカ様」
「すいませんが、その東屋の向こうの方へその方を探しにいってもらってもいいですか?」
「はい。承知いたしました」
「私はオリヴィアさんを押して先に講堂へ行きます。どのみちお付の人は中へは入れないそうなので、私とオリヴィアさんで先に式に出ています。マリアンさんは、お付きの方へその旨、伝えておいてください」
「ですが裾が汚れてしまいませんでしょうか?」
マリが手にした裾を私に差し出して見せた。
「裾なんて気にしなくていいと思います。もったいないですが、どうせこの服を着るのも今日だけです。来年は絶対に着れない自信があります」
「それでしたら、私がこちらの車いすを押せば……」
「マリ、だめよ。その人に何かあったのかもしれない。何も無くてもオリヴィアさんが見つからなければその方が困ると思います。なのでマリはその侍従の方……。オリヴィアさん、その方の名前を教えてもらってもいいですか?」
「イエルチェです。ですが……」
「紹介が遅れてすいません。フレデリカ・カスティオールと申します。こちらで遅刻してきた私がオリヴィアさんに会ったのも何かの縁です。なので、私にオリヴィアさんの椅子を押させてください」
オリヴィアさんをここに置いていく方が私としては心苦しいのです。それに絶対に後悔します。うだうだ言わないで「はい」と言ってください。もっとも言わなくても勝手に押させてもらいます。
「オリヴィア様、フレデリカ様の侍従をさせて頂いております、マリアンと申します。フレデリカ様。承知しました。私はここで失礼させていただきます」
オリヴィアさんが丁寧に挨拶したマリを見て、少し驚いた様な、ぼっとした様な顔をしている。マリ、面と向かってははっきりとは言いませんけど、凛々しい貴方が私の侍従なのは私にはとても、とても自慢なのです。
「ではオリヴィアさん、行きましょうか?」
「はい、フレデリカ様。よろしくお願い致します。ですがここは道が悪くて、イエルチェの方でも苦労していましたけど、大丈夫でしょうか?」
何をおっしゃいますかオリヴィアさん。これでも前世では荷車を引いて、毎朝行商に言っていたのですよ。白菜や大根と言った重量物に比べたら、貴方一人なんて軽いものです。それに集中授業前はマリアンさんに庭の隅で少し鍛えられもしたんです。だから任せてください。もっとも筋肉痛で動けなくなりそうでしたけど。
「大丈夫……」
あれ? 進みませんね。そうですね。そうでした。前世で荷車を引っ張っていたのは現生では何の関係もないですね。それでもまあ、体重の使い方ぐらいは分かりますからなんとかなるはずです。でも引くのと押すのはちがうのかな?
「だ、大丈夫です」
思ったよりはるかに全身の力を込めて、やっと車いすが動き始めた。誤算だった。この細い車輪だとこの砂地の上は思ったより力が必要らしい。
「ビリ!」
私の耳になにやら不吉な音が響いた。自分の腿のあたりだ。大股にしないといけないからどうやらドレスの腿のあたりが破けてしまったらしい。ドレスの間から肌着と共に自分の太ももがあらわになっている。
何で体にピッタリな形にしたんだろう!少し大人っぽい方がいいですかと聞かれた時に「はい」なんて答えるんじゃなかった。これでは、もういかがわしい酒場のお姉さんもびっくりですよ。まあ、私の太ももは健康だけが取り柄で、なんの色気もありませんけどね。
「あの、やはりご迷惑ではないでしょうか?」
「いえ、そんなことは全くありません!」
なってしまったものは仕方がありません。もともとこういうものだったという事で押し通します。それにこれでこの服を二度と着なくていい理由が出来ました。
「フレデリカ様は……」
「オリヴィアさん、私もさん付けで呼ばせてもらうので、『様』はやめてください」
「はい、承知いたしました。フレデリカさんはどうしてあのような場所に?」
「私ですか? 恥ずかしながらお金が無かったり、宿舎に空きがなかったりで、ぎりぎりまで入学できるかどうか怪しかったので、本日の入学式に遅刻してしまいました」
「お金ですか?」
「すいません。その部分は忘れてください」
うっかり口が滑りました。きっと普通の家では困っていたりしないんですよね。
「は……はい。私は世間にとても疎いもので、色々よく分からなくて申し訳ありません」
「いえ、オリヴィアさんが謝ることではありません。それよりもオリヴィアさんこそ、どうしてこんな時間に、こちらを通っていたのですか? 私の様に遅刻したわけではないですよね?」
「私も幼い時からずっと病気で家にこもりっきりで、直前まで入学できるかどうか分かリませんでした。そのため色々と準備が滞っておりまして、それで宿舎を出るのが遅れてしまいました」
なるほど、それでこんなに細い上に色白な訳ですね。私はというと前世ほどではないですが、少し焼けていますね。まあ庭に結構出ていましたし、帽子とかをよく忘れて、ロゼッタさんに怒られまくりでしたからね。
「そうなのですね。それで車いすで来られたということなのですね。でもお体の方はもう大丈夫なのでしょうか?」
「はい。お陰様で車いすでなら何とか通えそうですし、きっと時間がたてばもっと良くなると思います」
「それは良かったですね。でも男性の方とか、侍従さん以外に手伝って頂ける方はいないのでしょうか?」
「護衛役の者が一人おりますが、こちらについてすぐに具合が悪いとかでどこかにいってしまって、それで建物の中ですと段差があるので、イエルチェと庭を回ることにしたんですが……」
オリヴィアさんの言葉に、思わず前世での適当話男の事が脳裏に浮かんだ。
「口だけの適当男ですか?」
「いえ、トカスさんは決してその様な方ではありません!」
オリヴィアさんが少しばかり声を荒らげて私に叫んだ。
「ごめんなさい。その方に悪気はないんです。私の知り合いのある男性を思い出してしまって、つい心の声が漏れてしまいました」
「いえ、こちらこそ声を上げてしまってすいませんでした。そう思われても仕方がないですよね。でもその方は私に自分で何かを為すことを教えてくれました。きっとこの件でも私のことを試されているのだと思います」
オリヴィアさんはなんて素晴らしい心の持ち主なのだろう。私なら間違いなくその男性に向かって、呪詛の言葉を吐き続けます。
「オリヴィアさんは、頑張り屋さんですね」
「頑張り屋ですか? 家の中に居ただけなので、よく分かりませんが……」
「はい。私にはアンジェリカさんという妹がいるのですが、オリヴィアさんを見ているとその妹を思い出します」
確かにこの人はアンに似ている。私の頭の中にお披露目のときのアンの必死な表情が浮かんだ。
「それにオリヴィアさん、私は病気ではありませんでしたが、オリヴィアさんと同じです。ほとんど屋敷を出たことがありません。なので同じ年頃のお友達はもちろん、知り合いすらいません。ですので、ここでこうして会ったのも何かの縁です。ぜひ私とお友達になってください」
「私がですか? もちろんです。でも私のようなものが側にいるとご迷惑に……」
「オリヴィアさん、何を言っているんですか? お友達というのは迷惑をかけるものです。お互いが迷惑をかけあえるから、それが許されるからこそお友達なんです」
「そうなんですね!はい。フレデリカさん、よろしくお願いします!」
「オリヴィアさん、こちらこそよろしくお願いします」
「ふふふふ、フレデリカさんは面白い方ですね」
「えっ、そうですかね?」
何だろう。小さく含み笑いをするオリヴィアさんはさっきまでと少し違う感じがする。
「君達、一体こんなところで何をしているのだ?」
講堂の出入り口らしき所で私達に声がかかった。
「新入生のオリヴィア・フェリエと申します。参加するために、車いすの身にて庭の方を回らせていただきました。こちらも参加者の……」
「貴方までこちらに来る必要はない。参加する者だけ来てもらえばよかったんだ」
「君が参加者だね」
「はい、私も参加者です。フレデリカ……」
「名前は後で確認するから、早く向こうへ行って準備をしてくれ。ただでさえイアン王子が急遽出れないとかで時間が押しているんだ」
「あ、はい」
「おい、車いすの子を向こうに連れて行くから手を貸してくれ」
「あの、私は何処に?」
「入り口はその扉の向こうだ。後はそこに居る担当の言う通りに従ってもらえばいい。いいな、持ち上げるぞ」
「フレデリカさん」
だがオリヴィアさんがその先を言う前に、私一人を残して、オリヴィアさんは車いすごと奥の階段の方へと担がれて行ってしまった。よく分からないけど、ともかく扉を開けて中に入るしかない。遅刻しているからきっと目立つだろうが、それについてはもう取り返しようがないのであきらめるしかない。せめて偉い人が話している途中でないことを願うだけだ。
一応扉に耳を宛てて音を確認する。何か動きはあるが、誰かが発言しているような声はしない。それに微かにざわめきの様なものも聞こえる。もしかしたら、これは丁度休憩時間とかにあたったのではないだろうか? ならば善は急げだ。
私はその扉を押した。それなりに厚みがあって重い扉らしく、全体重をかけないと開ける事すら難しい感じだった。きっと敏感な私の耳で無かったら、扉の向こうの音はとらえられなかったかもしれない。
扉の先は小さな通路のようになっていた。その先にはとても広い床が広がっている様に見える。そして私の予想に反してそこは閑散としていた。何人かの動きやすい格好の服装の男性がいるだけだ。上級生だろうか? 新入生はどこに行ってしまったのだろう?
「君、名前は?」
「は、はい。フレデリカ・カスティオールです」
「本当にそのかっこうでいいのか?」
「え!? ちょっとよごれてますかね?」
足が出ているのは、最初からこうだったという事にしておいてください!
「規則上は問題ないといえば問題なしか。なるほど考えたな、王子が出れないなら女性で茶番にすると言う事か」
係員は頷くと、私についてくるように合図した。通路の先を抜けるとやはりそこは天井の高い、とても広い部屋だった。天井にはいくつものシャンデリアがあり、その明かりで部屋の床がとても明るく光っている。見渡すと部屋を取り囲むように二階席があり、そこに色とりどりの服に身を包んだ、私と同じぐらいの年の男女が座っていた。
やっぱり皆さん、ここにいたんですね。
「最後の一人だ。フレデリカ・カスティオール嬢だ」
係員が広間に居た男性達に向かって叫んだ。その声に二階席から大きなざわめきが起きた。
「では、最初の組だ。エルヴィン・トルレス君前へ」
「これを持って」
私の手に比較的軽めの木で作られた短めの剣が渡された。私だけでは無かった。向かい側に進み出た屈強そうな少年の手にも同じものが渡されている。
「始め!」
『どういう事!?』
これは間違いなく何かの試合だ。あきらかに私はその参加者に間違えられている。どうやら私は前世で犯したのと同じ過ちをもう一度やろうとしているらしい。状況が分からないところでの軽率な行動が、どれだけの惨劇を引き起こすか、身をもって知っていたはずなのに……。
「ま、待ってください!」
だが私の言葉より早く、木剣が迫る風切り音が私の耳に響いた。