見送り
「忘れ物は大丈夫でしょうか?」
「忘れ物があったら、後でお送りしますので、ともかく急いでください」
コリンズ夫人が私の手を引きながら廊下を駆けて行く。その力の強さに腕が抜けそうなくらいだ。
「マリアンさん、フレデリカ様の髪の支度は馬車の中でお願いします。ともかくまとめて上へ上げてください」
「はい、コリンズ夫人!」
「ハンスさん。ともかく急いでください。もう間もなく入学式がはじまってしまう時間です」
「了解です」
馬を馬車の所まで連れてきたハンスさんが答えた。そう答えるハンスさんの顔にも汗が浮かんでいる。
私が何をしているかと言うと、学園に行くための準備だ。本当は今日が入学式だったのだけど、宿舎に関する連絡がまだ来ていなかったので、余裕をこいていたら、何と言う事か入学式の当日になって、宿舎の用意が出来た旨の連絡が学園から来たのだ。
コリンズ夫人は密かに私が学園に行くための準備を整えていたらしく、その連絡が来るや否や、カミラお母さまに有無を言わせぬ勢いで学園に入学する旨の承諾を取り、私は入学式のドレスを着て馬車に乗ろうとしている。
いや、正しく言うとドレスだけは辛うじて着てると言うべきだろう。髪とか化粧とか、一部の小物などはもう馬車で付けろと言うコリンズ夫人のお達しである。いくらマリの手際がいいと言っても、揺れる馬車の中で化粧など出来るのだろうか? 下手をすると、私は人ではない別の何かに変ってしまいそうな気がする。
本当は午前中に、入学式の前に親を交えての説明会だか、懇親会だかなるものがあったらしいが、たどり着く前に間違いなく終わっているだろう。ただ、名目上は身分の差はそこからは関係ないという事で、午後からは親とかの参加はない。関係があったらカミラお母さまの準備もあるから、絶対に間に合わなかった。
それでもカスティオールの屋敷は王都の中心部からは離れた郊外と言ってもいいところにあるので、入学式の終わりに間に合うかどうかも怪しいところだ。
本当だったら荷物も先に宿舎に運び込んでおいて、そこから入学式に出るのだけど、最低限のものだけ馬車に積んでの出発だ。着替えとかは大丈夫だろうか? 明日からの授業とかいうものを、ひたすら腰回りを締め付けられるだけのこのドレスで受けさせられたら間違いなく気絶する。
「マリアンさん、ハンスは宿舎の中へは入れませんから、荷物の運び込みは一人でやることになりますが、大丈夫ですか?」
「はい、コリンズ夫人。この程度の荷物なら何とかして見せます」
最低限の荷物と言っても、本当は屋根には何も乗せるようになっていない貴族向けの馬車、それも相当に年代物の上には、まるで夜逃げのような荷物が乗っている。本気でマリは大丈夫と言っているのだろうか? それ以前にこの夜逃げ状態の馬車で学園への最初の一歩を記す時点で、私はかなりの負け組のような気がする。
まあ、埋蔵金とやらが見つからなければ、お金が無くて入れなかったぐらいだから、この程度の事を気にしてはいけないのだろう。
「フレデリカ様、お急ぎください。もう時間がギリギリです」
「はい、コリンズ夫人」
「マ、マリ、すいませんが、裾を、裾をもってもらってもいいですか?」
誰だ。こんな長い裾にしたのは、学園にいくまえにこんなもので馬車迄歩いて行ったら、その時点で泥だらけではないか? そうか、普通は入学式に出る前に走ったり、馬車に乗ったりはしないのか……。
「はい、フレデリカ様」
もう気分は戦争です。前世でマ者相手に森でやりあっていた時の気分です。皆さんが私に続いて屋敷の玄関の前まで出ていくのが見えた。カミラお母さまにアンジェリカさんも玄関口まで出てきてくれていた。
「カミラお母さま、アンジェリカさん。行ってまいります」
「フレデリカさん、カスティオールの威厳と名誉を決して損なう事が無いようにしてください。二年後にはアンジェリカさんも入学するのですから、絶対にお願いします」
カミラお母さまが本当に心配そうな顔をして私を見る。
「はい、カミラお母さま。気を付けます」
どこまでやれるか分かりませんが、ともかくがんばります。
「フレデリカお姉さま、どうかお気をつけて」
「はい、アンジェリカさん。二年後にアンジェリカさんが学園に来るのを待っています」
本当に待っています。そして残念な私と大違いのアンのことを、ご学友とか言うのに自慢しまくってやります。
「フレデリカ様、行ってらっしゃいませ」
コリンズ夫人の言葉に続いて、この家で働く皆さんが私に一斉に頭を下げた。なんか自分がお父様にでもなったみたいで、とても面映ゆく感じる。多くは西棟を主に働く皆さんだが、東棟で働くガラムさんにトマスさん、それにモニカさんの姿も見える。
モニカさんは少し涙ぐんでいる様に見えた。ああそうか、マリと会えなくなるのが辛いんですね。分かります、その気持ち。でも私の着替とかもあるので、マリにはちょくちょく帰ってもらうようにしますね。
トマスさんは私のドレス姿が珍しいのか、少しはにかんだような顔をしてこちらに直接目を合わそうとはしない。ちょっと待て、どうして君が恥ずかしがるんだ? そんなに私のドレス姿が似合っていないんですかね? だけどそんなことは、私のドレスが似合っているかどうかなんてのはどうでもいい。私は居並ぶ列の中にある人の姿を探した。
『やっぱりいない』
そこにロゼッタさんの姿はない。昨日ロゼッタさんから見せられた、先日受けた確認試験の出来は本当に最悪だった。むしろ最初に受けた時より悪化していた。ともかく疲れもあって集中できていなかったのだ。ロゼッタさんはその結果を私に指し示しながら嘆息した。
「これは、私の力不足としか言えませんね」
その時のロゼッタさんの台詞だ。私はロゼッタさんに申し訳ない気持ちで一杯だった。私はそれは決してロゼッタさんのせいなんかではなく、私のせいだと言いたかったが、あまりの出来の悪さに何も答える事は出来なかった。
ロゼッタさんは私に絶望してしまったに違いない。それでこの見送りにも出てきてくれていないのだろう。きっと、私がこの家を離れるや否や、ここを辞めてしまうかもしれない。私は一体今迄何をやっていたのだろう。思わず涙が流れそうになる。
「フレデリカ様。名残惜しいのは分かりますが、時間がありません。馬車の中へお入りください」
私はコリンズ夫人にせかされるように馬車の昇降台に足を掛けた。背後で一緒に学園迄行ってくれるマリが私のドレスの裾を持ち上げている。
「コリンズ夫人、カミラお母さまと、アンジェリカの事をよろしくお願いします」
「はい、フレデリカ様。承知いたしました」
私はコリンズ夫人が言う通り、後ろ髪を引かれる思いで馬車の中へと進んだ。
『あれ?』
乗りなれた馬車の乗りなれた座席の前に、やはり見慣れた人影がある。
「ロゼッタさん!」
「フレデリカさん、時間がありません。早く席に着きなさい」
「あの、ロゼッタさん?」
「フレア、あなたの試験の結果を見る限り、やはり学園での授業についていけるかについては、かなり心もとないとしか言えません。あなたの成長を考えればあまりいいことではありませんが、この家の特権の一つを使わせていただいて、学園においても貴方の学習の補助をさせていただくことにしました」
「はい、ロゼッタさん。あ……あ……ありがとう、ありがとうございます!」
「ただし、私がカスティオールの家のものとして恥ずかしくない成績を取れると確信出来るまでは、貴方に寝る時間があるとは思わないでください」
「はい、ロゼッタさん!頑張ります!」
「ハンス、馬車を出してください。そして少し急ぎでお願いします」
「はい、ロゼッタさん、了解しました」
ハンスさんのいつも通りの声に合わせて馬車は小さく揺れると、玄関前から石畳の道の上を、門へ向かって動き始めた。私はロゼッタさんに抱き着いた。
「フレア、何をしているのです。ドレスが崩れます!」
ドレスなんかどうでもいい。化粧も髪もこのままだっていい。そんなものは気にしない。どうかもう少し、もう少し私に貴方を抱きしめさせてください。
これにて第三章終了になります。