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召還

「メルヴィ君、先月分として君に払った給金って、まだ残りはあるかな?」


 カスティオール領の領都であるこの港町まで戻ってきていたメルヴィは、港に近い宿の二階の部屋にいた。船が丁度ついたところで宿屋の部屋に空きがないらしく、恐ろしい事に教授と相部屋だ。


 だがこの男が女性の何かに、ましてや自分に興味を持つとは思えない。持つとすれば、女性と男性の骨格の違いとかそういう話だけだろう。着替えや荷物の整理の間、部屋の外へ追い出していたのだが、いつの間にか戻ってきてしまった。どうせなら一晩中外に居てくれてもいいのに。


「はあ?」


 それに宿屋の食堂で船乗りたちが騒ぐ喧騒に背を向けて、微かに聞こえる波の音に耳を傾けていたというのに、何でそれを邪魔するんだろう。自分だってたまには年頃の女の子らしいことをしても、波の調べに自分の境遇を慰める時間を持っても、バチは当たらないと思うのだけど。


「どうして私が教授に、自分の給金の使い方について教えないといけないんですか?」


 この男は私の邪魔をするだけでなく、一体何を聞いているんだ?


「いや、ちょっと色々あってね。でも君の給金だけではとても足りないか……」


 ハッセの言葉にメルヴィは不吉な予感がした。この人が「色々」とか、「あれ?」とか、副詞や感嘆詞を使う時にはその後で必ず碌でもないことが起きる。これは必ず確かめるべきことだ。


「一体何の話です?」


「王都の出資者から便りが届いて、なるべく早く王都に戻らないといけないみたいなんだよ。それにどうやら学園で教鞭を取れとか言っているよ。前は学生に教鞭をとりたいと何度お願いしても、断固拒否されたというのにね。どういう風の吹きまわしかな」


 そう言うとハンスはメルヴィに向かって首をすくめて見せる。


「いいじゃないですか。私だってここよりはもっと安全安心な王都に早く戻りたいです」


 メルヴィは扉の向こうを指さした。そこからは船乗りたちのバカ騒ぎの大音声が響いている。


「え、そうなのかい。こんな興味深いところだというのに?」


「それに教鞭って、もしかしたら()教授から、教授に戻れるかもしれないということじゃないですか? もしかして、自分も研究職に戻れるとか?」


 メルヴィはハッセの言葉に目を輝かせた。


「僕としてはまだこの地で研究を続けたかったんだけど、どうやらこっそりカスティオール領に来ている事が出資者にばれてしまったらしいんだよ」


「えっ!もしかして勝手にここに来ていたんですか?」


「勝手と言うのは言葉が悪いね。己が探求心の導きと言う崇高な理由があってのことだよ」


「それを、勝手と言うんです」


 だめだ。この人の行動は全て確認しないと危険でしょうがない。というか、それが危険だとか、やってはいけないという自覚が全くない!


「でもお金だけはあったんじゃなかったんですか? それで捕虜がどうのこうのという話をしていましたよね」


「ああ、その話か、その話には続きがあってね、物資の供給量が減ったとたんに……」


「教授!」


「お金か。さっきまではあったんだけどね」


「さっきまで?」


「確率論について論じている内にどういう訳か全て無くなってしまったんだよ」


「確率論?」


「メルヴィ君、君もよく知っていると思うけど、確率というのは独立試行だ。だけど回数を繰り返せば基本的には収束するはずなんだけどね。どうも手持ちの金では収束に足りなかったらしいんだよ」


「ちょっと待ってください。その確率を論じたというのは、下に居る船乗り達と論じたわけではないですよね?」


「え!メルヴィ君、君はもしかして使い魔か何かを使って僕の事を監視していたのか? 一応これでも紳士のつもりだから、君の着替えを覗いたりは……」


「余計な事をしゃべるな!」


「はい」


「もしかしてさいころか何かで論じました?」


「はい」


「教授、それはいかさまです。全ての目が均等な確率で発生するものではありません」


「メルヴィ君、君はやっぱり優秀だな。確かに完全なサイコロというのは存在しないから、全ての目が等しい確率というのは成立しないのは確かだ。だがその不均等さが与える影響と言うのは無視できるものだと僕は思ったのだけどね」


「全然、無視などできません。いかさまは恣意的なものですから、そもそも確率で議論はできません」


「え、そうなの。困ったな。お金がないと王都迄戻れないし。首かな?」


「そうなったら私達はどうなるのでしょうか?」


「当分はここに居る事になるね」


「え!!こんなところに居る事になるのですか?」


「メルヴィ君、声が大きいよ。地元の人たちが気分を害するじゃないか。ただでさえ、僕達王都から来た者達は肩身が狭いんだから」


「肩身が広いとか狭いとか言う話じゃないです。ここでどうやって生きていくんです」


「その件だけど、一つだけいい話があってね」


「何ですか?」


「その確率を論じた相手、明日ここから出向する船の船員たちなんだけどね。メルビィ君がお相手をしてくれるなら船に乗せてくれるという話なんだよ」


「教授、そのお相手って、どんな意味か分かっています?」


「食堂の給仕さんと同じだろう。ご飯とお酒を持っていくとか?」


 メルヴィはまだ何か論じたげなハッセを無視すると、自分の寝台の横に立てかけておいた杖を手にした。そして、魔力を集中して、自分の目標を探す。扉など関係ない。階下にいる邪悪な魂の存在が手に取るように分かった。


「あいつらか」


 メルヴィはそう一言漏らすと、杖の先で床に陣を描き始めた。


 あいつらが私が研究職に戻れるかも知れない機会の邪魔を、私の人生がまともに戻れるかも知れない邪魔をしたんだな。お相手だって?


「死ね!死んで私に詫びろ!」


「メルビィ君、まさかとは思うけど、『昏き者の御使い』を呼び出そうとかしていないかな? メルビィ君。ここは街中で、そんな大それた術はバレバレだよ。それに術で人を殺したりしたら、僕らは桟橋にある絞首台で吊るされる事に……」


「黙れダメ男。術の途中で声を掛けるな」


「いや、さすがにそれはまず、まずいよメルヴィ君!」


 だがハッセの焦りの言葉とは裏腹に、メルビィが書いた陣の上には黒い粉の様な泥の様な何かが渦巻き始めている。


「まずい。まずいな……これは」


 ハッセはこの世の場所のどこかではないところに視線を向けているメルビィを残して、階下の食堂へと、まるで丸太が転がり落ちるように降りて行った。


* * *


「あれ、教授。船酔いですか?」


 メルヴィは王都へと戻る船便の甲板の上で青い顔をしているハッセに声を掛けた。昨日の夜は船員たちへの脅しが十分に効いたらしい。基本的に魔法職と言うのは敵に回してはいけない職業だ。後でどのようなやり方で仕返しされるか分かったものではない。ともかく陰険そのものの職業なのだから、恨みを買うぐらいならその場で殺すべき相手だ。


 船員たちはハッセとメルビィが魔法職であることに気が付いた時点で酔いが醒め、メルヴィが呼び出した『昏き者の御使い』の気配を感じ取った時には大恐慌に陥り、ハッセとメルヴィに対して、床に平伏して許しを請うた。その結果、ハッセが確率を論じて失われたお金も手元に戻ることとなった。全てはめでたしめでたしだ。


 メルヴィとしては残念な事に、呼び出した『昏き者の御使い』は邪悪なるものたちを穴の奥へと引き込む前に、ハッセが辛うじて展開した、反魂封印によって穴の向こうへと送り返されてしまった。だが、その後で外が騒がしかったのはメルビィが穴を開けて、とんでもないものを呼び出したからに間違いない。


「船酔い。ああ、船酔いもあるけどね。もう本当に死にそうだよ。ただでさえ魔力がほとんど空だったところに、君の呼び出した『昏き者の御使い』に対する反魂封印を仕掛けたんだよ。多分、魔力じゃ無くて僕の生命力迄ごっそりと持っていかれたと思うね。寿命が間違いなく縮んだよ」


 そう告げると、げっそりとした顔をメルヴィに向けた。


「でもメルビィ君、君も研究所に採用されるだけあって、なかなかのものだね。『昏き者の御使い』を呼び出せるなんてのは只者じゃない」


「私も呼び出せるとは思っていませんでした」


「え!」「えっ!」


「もしかして、私の心の声って教授に漏れていました?」


「もしかして、君はあれを初めて呼び出したのかい?」


 ハッセが震える手でメルビィを指さす。


「いや、あのですね。昔、呼び出したことがあるような……そんな気がします」


「メルヴィ君、あれは呼び出すより、呼び出した後が大変な奴だという事は、よく分かっているよね?」


 今やハッセの顔は青いというより、火鉢の灰の様な色をしている。


「そうでしたっけ? ほほほほ……記憶にございません。そんな事より教授、甲板に尻餅なんてついていないで、周りを見てください。ほら空も海も青いですよ。気分だって晴れます」


「そうかな?」


 ハッセはメルビィの言葉に、何かを諦めたようによろよろと立ち上がると、船べりの手すりに手をついた。だが急に船が大きく揺れて、ハッセもメルヴィも手すりにしがみついた。


「メルヴィ君、僕の気のせいかな?」


 ハッセが怪訝そうな顔をして水平線の先を見ている。


「何です? 人魚とか変な物でも見えました?」


「いや、君は青空と言ったけど、向こうにどう見ても暗雲にしか見えないものがあるのだけど?」


 再び船が大きく揺れた。メルヴィが慌てて辺りを見渡すと、船員たちが慌ただしく動いている。あるものは帆柱へと駆け登り、あるものはそこから帆を下ろす準備をするために、縄をもって待機している。そして船尾の方に見える、舵輪の位置では船長が直にそれを握りながら大声を上げていた。


「もしかして、これって嵐に巻き込まれます?」


「この時期には珍しい。でもこれは相当に酷い嵐になるだろうね。大陸の東側の海は……」


「そんな説明は後にしてください!教授、すぐに四界の守護者を召喚してください。東に座す雲海の奏者です。それで風を起こして逃げるんです!」


「メルヴィ君、僕に死ねといっているのかい!? それにそんな術はとても一人では無理だよ」


「このダメ男の役立たず!」


 だがメルヴィの叫びは近づく嵐の風に、周りの船員達の耳に届く事なくかき消された。

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