ピクニック
「本当に護衛の者はよろしいのでしょうか?」
「不要だ。たまには家族水入らずという時間があってもいい」
「ですが、最近この狩場に匪賊が入り込んでいるという話があります。警備長が是非に先に安全を確保してからと言っております」
そう言うと侍従長のオルガは背後に控える槍と弩弓を持つ、銀色の鎧に身を包む者達を指し示した。
「自分の領地に出没した匪賊に襲われるのであれば、それは自業自得とでもいうものだろう。心配は無用だ」
貴族にしてはとても質素に見える、黒い服に身を包んだ男性は心配する侍従長に向かって、軽く手を振って見せた。
「そうよ。無用、無用!」
その横で小さなバスケットを持つ少女が、まるで小さな子供の様な声を上げる。それを見ていた少年が侍従の女性に向かって肩をすくめると口を開いた。
「オルガは心配しすぎだよ。僕とサンドラがついているから大丈夫。それより匪賊がいるなら自分の身の方を先に心配した方がいいと思うよ。オルガだって女性だしね」
「ニコライ、いやらしい」
「いや、サンドラ。そういう意味ではなくてね……」
少女の口を塞ごうとした少年の手を掻い潜って、少女は彼女の父親である、ウオーレス侯ローレンスの背後へと隠れた。
「お前達、ふざけていないでいくよ。日が暮れる前には別邸に戻りたい」
「はい、お父様」
ローレンスの言葉に、ニコライが素直に返事をした。その態度に、隠れているサンドラが顔をしかめて見せる。
「ニコライはいい子しすぎ」
「お前たち、遊ぶのは目的地についてからにしてくれ」
そう告げると、これと言って特徴らしい特徴がない黒髪の男性、ウォーリス候ローレンスは双子の子供、サンドラとニコライを伴って坂道を登り始めた。その先には王都からそれほど遠くはない郊外にある、ウォーリス家の狩場の門がある。三人はその門ををくぐると、その先にある丘陵地へ足を進めた。
真夏の猛暑の季節はとうに過ぎて、丘の間を通る風にはすでに秋の気配があったが、昼の陽ざしにはまだ十分に暑さも感じられる。三人とも真っ黒な服に身を包んでいるにも関わらず、ローレンス達は足早に次々と丘を上っては下りていく。
「この辺りに居るはずなのだが……。お前達は何か感じるかい?」
「感じるも何も、血の匂いがする。近いと思うよ」
ニコライが顔を風上に向けながら答えた。
「ローレンス、鈍すぎ」
サンドラも鼻をひくひくさせながら答える。
「そうだな。長くこの役をやっているせいか、色々と鈍っているのは確かだな」
「いた、いた。あそこ!」
サンドラが丘の下にぽつんとある、大きな欅の木を指さした。その日影に何かが横たわっているのも見える。そちらに向かって双子が走り出すと、ローレンスもその後を大股に追いかけた。
三人が欅の木の下に着くと、その横にある少しばかり大きな岩の上に、男が膝に頬杖をついて座っている。そしてその岩の周りには10体以上の、かつては人だったものが横たわっていた。
「オルガがうるさくて、遅れましたすいません」
ニコライが、岩の上の人物に向かって声をかけた。
「オルガは、うるさい、うるさい!」
「しょうがないよ。オルガはローレンスに惚れているからね」
「オルガもいやらしい。ローレンスもいやらしい」
「違うよ。これには何と言ったらいいかな、敬愛、いや尊敬の念も……」
「お待たせしました」
双子にやっと追いついたウォーリス候も男に声を掛けた。
「いや、そんなに待ってはいない。それに客がいたから退屈もしなかった。再び眠りについたあの子への手向けのようなものだな」
「何者ですかね?」
ローレンスが男に問いかけた。
「さあね。ここは誰かがほとんど狩りになんてこないせいか、どこかからの流民が入り込んでいたみたいだな。無視すればいいのに、のこのこと出てくるからこんな目にあう」
「目撃者がいると困ると思ったのでしょうね。何より一人だと思って侮ったのでしょう」
「ウォーリス、君の言葉は丁寧すぎるな。肩がこらないか?」
「昔のあなたと同じでないと困りますからね。仕方がないと思います。それに偽物の立場としては、本物からもっと偽物らしくしろと言われると、身も蓋もないのですが」
ウオーリス侯が男に向かって肩をすくめて見せる。男はその仕草に苦笑いを浮かべた。
「昔の自分ね。もう遥かに昔の事だから、どういう設定だったかを含めて、全部忘れてしまったよ」
「そうかしら。ダチュラが演じている姿は昔の貴方そっくりだと思うけど」
男の背後から女性の声があがった。そこには黒いドレスを着た絶世の美女が立っている。
「ブリエッタ。意外と早かったな」
「並行思考の残留体だけですからね。風に吹かれるまま、あなたの寝所でも何処へでも行けるわよ」
そう答えると、ブリエッタと呼ばれた女性が妖艶な笑みを浮かべた。その笑みにはどこか傾国の色が感じられる。
「それで依頼した件はどうだった。あの子は彼の事を気に入ってくれたかい?」
「もちろんよ。私が操るまでもなく、大のお気に入りになったみたい」
「それは良かった。振られたらどうしようかと心配だったよ」
「あっ、おばさんも起きてた」
そう言うと、バスケットを持ったサンドラが黒いドレスの女性、ブリエッタを指さした。
「カルミア、あんたは私に消し炭にされたいの?」
少女は女性の手から逃れると、少年の背後に身を隠した。
「キャー怖い。お兄様助けて」
「カルミア、こういう時だけお兄様扱いかい? 今の私はカルミアじゃなくて、サンドラよ!」
少女が少年に対して口を尖らせて見せる。
「そこをどけなさい、ロベリア」
ブリエッタが人差し指をくるくると回しながらニコライへ向ける。その指先には黒い瘴気の様な物が集まって来ているのが見えた。
「ブリエッタさんも大人げないですよ。ローレンスが呆れている」
ローレンスが皆に声を掛けた。だが瓜二つの男、本物のローレンスは自分の偽物へ首を横に振って見せた。
「呆れてなどいないよ。この騒がしさをあの子も懐かしく思っているだろう。あの子が再び目覚めてくれる日を、そして君達の主人が、私の魂の伴侶が、私達の下へ戻ってきてくれる日を祈ろうではないか」
「はい」「は~い!」
双子が元気よく答える。ブリエッタも指先に灯した瘴気を払うと、小さくうなずいて見せた。
「ささやかながら酒とグラスを用意した。あの子の貢献と献身に杯を掲げたいのだが?」
「お酒? そんなのつまんない。そうよね、ロベリア」
サンドラがニコライに本来の名前で声をかけた。
「あ、いや、別に僕は……」
少女から同意を求められたニコライが、男の方を見ながら首を横に振って見せる。
「やっぱりお前達はまだまだ子供の様だな」
二人の姿を見た男が、子供達に向かって笑みを浮かべて見せた。
「あたしはお酒でお相手させて頂いてもよろしいでしょうか、ウォーリス候?」
「さて、それはどちらに向かって言っているのかな?」
ウォーレス候と呼ばれている男が、黒いドレスを纏った女性に向けて声を掛けた。
「もちろん本物に対してですよ。どうして私が偽物の相手をしないといけないの?」
「いや、彼の方が本物だよ。もう何代も続けて私の代わりをやってもらっているのだからね」
男はブリエッタにそう答えると、ウォーリス候と呼ばれる存在の肩を抱いて苦笑いをして見せた。
「ねえローレンス、お酒の代わりにキャンディをもらってもいい?」
サンドラが、男の上着の裾を引いた。
「好きにしなさい」
「は~い!」
サンドラは男の言葉に元気よく返事をすると、あたりに横たわっていた死体の目におもむろに指を入れる。そしてそれを引きずり出した。そして赤い紐のような視神経が付いたままの眼球を、おもむろに口の中へ放り込む。
その横ではニコライが眼球を取り出して視神経を抜き取るとそれを空に放り投げた。そして口でそれを受け止めて見せる。そしてサンドラの方を向くと、勝ち誇った顔をして見せた。
それを見たサンドラはとてつもなく悔しそうな顔をすると、もう片方の目を取り出して、空に浮かぶ羊雲まで届きそうなぐらいに空高く放り投げた。
男は二人の子供達の姿を見ながら、自分とそっくりな男と妖艶な若い女性に向かって、グラスを差し出した。
「君達の主にして私の魂の伴侶に、そしてあの子のしばしの休息に敬意をこめて。それにブリエッタ、君が私達の下へと帰って来てくれた事にもだ」
二人の子供らしきもののはしゃぐ姿を背景に、3つのグラスが触れる。それは澄んだ鈴の音のような音を辺りに響かせた。