同志
「ここにいる諸卿は私と志を同じくする者達と思っているが、それに間違いはないだろうね」
コーンウェル候エイルマーは部屋に入ると、従う侍従に上着を任せつつ、居並ぶ者達にそう声を掛けた。その声に豪華ではあるが、落ち着いた色の絨毯や調度類に囲まれた部屋の長椅子に腰を掛けていた二人の男性が、慌てて立ちあがる。二人はエイルマーに向かって挨拶をしつつ、頷いて見せた。
「ともかく座り給え、私も座らせてもらう」
そう言うと、エイルマーは座の中央の長椅子に腰を掛けて、侍従から井戸水で冷やされた琥珀色の液体を受け取った。
「コーンウェル候、もちろんでございます。それゆえ、我々がこうして直に顔を合わせるのは避けるべきかとも愚考しますが?」
エイルマーの左の肘掛椅子に腰を下ろした人物が、長く白い顎髭に手をやりながら、エイルマーに向かって口を開いた。
この場に秘密裏に来るためか、今はどこかの店の隠居のような姿をしているが、この男が普段好む長くゆったりとした服を着て杖を手にすれば、子供向けの絵本に出てくる古の魔法職そのものに見える老人だ。
「シモン卿、それは事と次第による。我々の目的はその崇高さ故、多くの者達には理解されないだろうし、その様な者の目につく何かを為すべきではない。だが我々の目的の遂行に疑義や重大な動きがある場合、それを共有するのは有意義なことだと儂は思っている」
「何か問題でも起こりましたでしょうか?」
「それについて、卿の方から何か心当たりはないだろうか?」
「はて、私のところでは特に思い当たるような事は何もありませんが?」
シモンがエイルマーに向かって、髭をしごきながらわずかに首を傾けて見せた。
「レオニート、卿の方では特に心当たりはないだろうか?」
エイルマーは今度は目の前に座っているレオニートの方に視線を向けると、顎をしゃくって見せた。その視線に、レオニートの体が本の僅かだけ震えたのをエイルマーは見逃さない。
「私の方でも特に何もご報告するような事はありませんが」
レオニートの言葉に、エイルマーはレオニートの方へ僅かばかり身を乗り出した。
「レオニート、お前が己の保身の為に王宮魔法庁内でその台詞を吐くのであれば、特に咎めはしない。儂としてはお前が今の役職を失うのは色々と差しさわりもあるから、それを支援してやるのとてやぶさかではない。だが志を同じくするはずの私に向かって、その台詞を吐くというのはとても問題だと儂は思うのだがな?」
エイルマーの言葉に、レオニートの顔が蒼白になった。
「まだ、確認がとれておりませんので、確認がとれてからご報告すべきと考えておりました」
「なぜ、最初からそう言わない?」
「ひっ!」
エイルマーの手にしたグラスから飛んだ液体を顔に受けて、レオニートが小さく声をもらした。音もせずに現れた侍従が、新しいグラスをエイルマーの前に置き、卓に飛び散った液体を素早く拭った。そしてレオニートに乾いた布を渡して、部屋の隅へと引き下がって行く。
「詳しく話せ」
侍従から受け取った布を見ながらぼっとしていたレオニートが、慌ててそれで顔を拭くと、エイルマーに向かって頷いた。
「昨日、ほんの僅か、見逃してもおかしくないほどの量ですが、血の赤が検出されました」
「血の赤!?」
その言葉に、エイルマーとレオニートとのやり取りを無言で聞いていたシモンが腰を浮かせかけた。
「ですが、あまりに少量かつその後は何も変化が無かったので、星振器の掃除時または、調整時に誤って漏れ出たものかと思います。それゆえ、特にご報告する様なものではないかと思った次第です」
そう答えると、顔から丸く小さな眼鏡を外して、侍従から受け取った布で神経質そうにそれを拭いて見せた。それなりに有能ではあるが、相変わらず肝の小さな男だ。エイルマーはそう思いながらその姿を眺めた。
「レオニート卿、だが掃除で漏れたような例は過去にはない。それだけ慎重に扱っている物なのだ」
「今までなかったからと言って、間違いが起きないという訳ではない。そもそも、シモン卿の方では何も感知していないのだろう。そちらから何か上がってくれば、私としてもこの件を軽視したりはしなかった」
レオニートの言葉に、シモンは小さくため息を吐くと、口をつぐんだ。レオニートは不誠実だったが、シモンは無能だった。ある意味、不誠実以下の存在だ。エイルマーはその姿を見ながら、新しくおかれたグラスの中身をこの無能者に浴びせるのをぐっと堪えた。この男は無能であるが故に、政治的な影響力はそれなりにあるのだ。それにお互いの足の引っ張り合いなどしている場合ではない。
「イサベルが発作を起こした」
エイルマーの言葉に、シモンもレオニートも驚いた表情でエイルマーを見つめると、次にお互いに顔を見合わせた。
「イサベル様のご容態は?」
無言のエイルマーに対して、しばし間をおいた後に、シモンがおそるおそる問い掛けた。
「安定している」
「何を、何を見られたのでしょうか?」
レオニートもその顔に恐れの表情を浮かべながらも、エイルマーに対して問いかけた。
「もちろん啓示などではない。赤い血だ。つまりレオニート卿、そなたが見つけたものは間違いなく本物なのだ」
「そ、そうだったのですね」
「カスティオールの地で封印されていたものが這い出て来ただけではないという事だ。それはこの王都の地にさえも足を運べるようになってきている。諸卿はこれが何を表しているかは、十分に理解しているだろう」
エイルマーの言葉に二人とも深く頷いて見せた。
「間違いなく赤い月の封印は弱まっている。それがなくなってしまえば、再びこの地の魂はあるべきところへと戻れるようになる。古き書が伝える限り、イサベルは間違いなく器であり、我々の希望だ。この地でただ朽ち果てたり、贄としてではなく、本来あるべきところへ、あるべき世界へと戻れる為の鍵だ」
「エイルマー侯、その通りでございます」
シモンがエイルマーの言葉に、恍惚の表情で答えた。
「この件は間違ってもロストガルに漏れてはならない。レオニート、お前の手腕にかかっている。やつらは自分たちが古の盟約とかで、未来永劫安泰だという妄想を抱き続けてもらう必要がある」
「おまかせください」
エイルマーの言葉にレオニートも頷いて見せた。その態度には既に先ほどの怯えはなかった。
「これは我々が待ち望んでいたことが始まったことの知らせであると同時に、乗り越えなければならない試練だ。それにこれと関連しているかどうかは分からないが、神殿の先の海の霧が後退しているという報告もある。我々には残された時間がどれだけあるかも分からない。我々は約束の日まで、イサベルがその器としてその啓示を受ける日まで、その身を守り通す必要がある」
「おっしゃる通りです」
「シモン卿、王家の手前、イサベルを学園に入れるのを止めるわけにはいかない。それに間の悪いことに今年は選抜が行われる年だ」
「イサベル様の安全については、ありとあらゆる手段を使って、万全を期させていただきます。近年の選抜は一代貴族を餌に集めた平民の者から供されることがほとんどです。持病の為とか理由をつけて、私の方でイサベル様が選抜にはかからないように、密かに手配させていただきます」
「私の方としましても、イサベル様につきましては専用の星振を割り当てて、私の腹心のものを使って常に見張らせていただきます」
「頼んだぞ」
「はい」
レオニートの自信に満ちた声が響いた。
「学園での護衛については儂の方でも少しばかり考えがある」
「コーンウェル候の目に適う者であれば問題はないかと思います」
だが、エイルマーはシモンの言葉に首を振って見せた。
「いや、問題があるのだ。それについても卿らの協力が必要だ。詳細は別途連絡する。いずれにせよ用心するに越したことはない」
いつの間にか盆を手に姿を表した侍従が、二人に琥珀色の液体が入ったグラスを手渡した。
「では同志諸卿、我々の未来とその福音に乾杯だ」
部屋の中にグラスが触れる音が響いた。