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偶然

 事務街の大きな角に設けられた、円環道路(ロータリー)の真ん中にある小さな公園には、一本の大きな楡の木があった。


 昼休み時となれば、涼を求める事務員達がそこでお昼を広げたりするが、昼には少し早いこの時間には、その木陰に置かれた木のテーブルに備え付けられている椅子に座っている者達はほとんど居ない。


 それでも、昼時の担当なのだろうか、早い昼ご飯なのか、いくつかの机でパンに水筒などを広げて、食事をとっている者の姿がある。さらに外回りの休憩中らしい、商会の制服を着た男性の姿などもあった。もっとも事務街の真ん中の上に、周りの石畳の道を馬車がひっきりなしに走っているので、決して静かな場所と言う訳ではない。


 マリアンはテーブルと繫がって据付けられた椅子に腰を掛けると、布でくるんで持って来た固焼きのパンに、ゆで卵、それにお茶が入った水筒などを広げた。傍から見ればマリアンも昼時の受付の担当か何かで、早めのお昼を取りに来た一人にしか見えない。


 マリアンは布の隅に水筒とゆで卵をおいて、吹き抜ける風でそれが飛ばないようにすると、日持ちがするように固く焼かれたパンに手を伸ばして、それの端をゆっくりとちぎった。


「ずいぶん質素なお昼の様だが、それで持つのか?」


 背後から声が掛かった。マリアンの背後には少しばかり背が高い男が、やはり商会の制服の様なものを着て座っている。


「十分です。それに外にいる時に食べ過ぎたりしたら、いざという時に動けなくなるじゃないの。最初に謝っておくけど、私はパンを口にするのと合わせてしゃべるから、はしたないと怒らないでね。それと急がせないで。喉に詰まったら大変でしょう?」


 背後の男から苦笑が漏れた。


「相変わらず用心深いな」


「ロイス、貴方も意外とその制服姿が似合っていると思う。一度まじめにライサで働いてみたら」


「こんな顔に傷がある男が受付なんかに居たら、客は全部帰ってしまうよ。それよりもあんたの方が灰の街に居た時を思い出せないぐらいに、良く似合っていると思うけどね」


「制服は合う合わないじゃなくて、着ている者がそれに合わせる。周りもそうだと思い込む。そう言う物じゃないかしら。だから貴方もその服を着ているのでしょう」


「確かにその通りだ。雑談はここまでにしておくとしよう。ともかく元気そうで何よりだ。あんたの仕える相手のお嬢様はどうなんだ?」


「そんな言い方は止めて頂戴。フレデリカ様は息災よ。だけど私が勤め始めてから一回、その以前にも、どうやら一回は命を狙われている。相手は……」


「グローヴズ伯爵だろう。今朝がた内務省の雀から連絡があった。当主のテオドルスが亡くなったらしいな。理由は階段から足を踏み外したそうで、完全に事故扱いになっている。そこからここまで直行してきた訳じゃないよな」


「私じゃない。私にはそんな腕は無いわ。あの家には少なくとも化け物が二人いる。家庭教師と御者よ。それに侍従長も只者とは思えない」


「本当か? あのカスティオールだぞ。そんな化け物を雇う余裕なんてあるのか?」


「とても金でどうこう出来るような人達じゃない。やっぱり侯爵家ね。間違いなく色々と裏がある。裏と言えば、調べておくようにお願いしていた件は?」


「学園の件か? とりあえずは噂通りだ。もともとは王家が、成人前の貴族の子弟をまるごと人質に取るためのものだったが、ついでにこの国への忠誠心やら礼儀やらを教えて骨抜きにしようというので、子弟学校の体裁をとったものだ。ちょっと前の王の代に平民への人気取りとして、一部の平民も受け入れて学園と言う看板に代わったという話だよ」


「警護は?」


「最初の目的が目的だから、外部からの侵入は難しいぐらいの警護はしているらしい。ただ内部の人間というか、一部の特権階級は侍従やら護衛やらも一緒らしいから、その辺りに対する内部での取り扱いがどうなっているかは良く分からなかった。お付きの者の身元については、各家の保証があっても、一応は内務省で洗われるそうだ」


「それは難題ね」


 身元と言う言葉に、マリアンのパンを口に運ぶ手が一瞬止まった。


「なのであんたについては、灰の街に対する慈善事業の一環で、孤児をライサの養女にしたと言う事で内務省には書類を出しておいた。その証拠の為に、せっせと灰の街の子供達に金をばらまいて、私塾なんぞに行かせているよ。慈善事業がらみだからな、表立って反対は出来ないはずだ」


「ありがとう、ロイス。助かったわ」


「どちらかと言うと礼を言うべきは俺の方だよ。あんたの読み通りだ。バリーは『例の筋』がらみの件で長い手に掛けられた。早めに動いたおかげで、あんたの言う通りに奴のところから色々と火事場泥棒が出来たよ」


「それで金額としてはどのくらい?」


「金について言えば、あいつは仕事中毒だから本当にため込んでいた。隠し持っていた分だけでも、うちの組の扱いの10年どころの騒ぎじゃない」


「では十分ね。番号が古い物だけ持ってきてくれた?」


「あんたの言う通りにしたよ。正直なところ、それがバリーのところから奪ってくるより面倒だったぞ。どう言うつもりだ。そもそもうちや、ライサで使う訳にはいかない。ばれるからな。そう言う意味では裏の俺達でも使えない金だぞ」


「埋蔵金よ。新しい番号の物があったら興ざめでしょう。それに入れる先は国庫だから。どこの筋からも文句なんか出てこない」


「埋蔵金!?」


 ロイスの口から少しばかり大きな声が上った。


「ロイス、声が大きいわよ」


「本当にあんたには驚かされてばかりだ。まあ侯爵家相手に出どころを聞く奴は居ないだろうしな。だが持って帰るには少しばかり重い。誰かに持たせてやるか?」


「屋敷まで一緒に持って行ってくれる人がいるから大丈夫よ。そもそも貴方の組の者に屋敷迄ついて来てもらう訳にはいかないでしょう」


「もしかして、向こうからお前をじっと見ている例の小僧か? 奴に頼んだのか?」


「まさか、これから頼むのよ」


* * *


 とても暑い時期だというのに、マリアンはとても足早に事務街の方へと移動していく。トマスはそれを見失わないように追いついていくので背一杯だった。


 額からは汗が滝の様に流れている。とても声を掛けられるような状況じゃない。それに声をかけてもこんな汗だくの姿だったら、とても爽やかに挨拶なんて出来る訳がない。


 コリンズ夫人がマリアンは商会からの預かりだとか言っていたが、もしかしたらどこかの商会の事務所に入ってしまうのだろうか? そうしたらせっかくの努力が水の泡だ。それにそんなところをうろうろしている理由なんて思い付けそうにもない。偶然の出会いだからこそ理由ぐらいは必要だ。


 トマスが焦燥感をひたすら募らせているうちに、マリアンは多くの道が集まる事務所の中心部にある、道を束ねる円環道路(ロータリー)の一つに出た。


 どこかの道に折れられたら、どこに行ったか分からなくなる。トマスがそう思っていると、マリアンは道を渡って円環道路の真ん中にある、楡の木だろうか、大きな木がある公園の様なところへと入って行った。


 公園には多くは無いが、周りの商会の勤め人らしき人達が、大分早いお昼か、それとも遅い朝食のようなものを取っていたり、休憩していたりする姿が見える。


 向こう側に行かれたら見失う、トマスがそう思って通りを渡りかけた時だった。マリアンがそこに置いてある椅子の一つに座ったのが見えた。そこに座られたらこちら側を見ることになる。トマスは慌てて通りの方へと駆け戻ると、建物の陰に隠れた。あのまま向こうに行っていたら、後をつけて来たのがばればれだった。


 建物の陰から首を伸ばして様子を探ると、彼女は木陰で何やらパンらしきものを出して食事の準備をしている。もしかしたらまだ朝食を食べていなかったんだろうか? どうする事もできずにただじっと見ていると、マリアンは小さくパンをちぎりながら、ゆっくりと食べ始めた。


 その姿を見ながら、トマスは自分がガラムからパンの焼き方を教わって、マリアンと小さなパン屋を始めるのを夢想し始めた。朝早くから起きて仕込みをして、今ぐらいの時間に一緒に遅い朝食を取るなんて事ができたら、なんて素晴らしい人生なんだろう。彼女はきっとパン屋の評判の美人の奥さんに……。


『ん!?』


 トマスは最初にそれを見た時、一体何が起きているのか全く理解できなかった。マリアンが自分に手招きをしたように見えたからだ。彼女がこちらに気が付いているはずはない。もしかしたら、彼女が約束していた商会の誰かが現れたのだろうか?


 トマスは慌てて周囲を見渡した。だが彼女の手招きに応じているような人物は誰もいない。彼女の背後に座っていた背の高い男が、つばの広い帽子を手に向こう側に去って行こうとしているだけだ。それ以外の人達はゆっくりと食事をとっているか、テーブルにうつ伏せになって休んでいる。


『えっ!』


 再びマリアンが手招きをした。そして今度は彼女の視線がばっちりとトマスの視線を捉えている。間違いない。ばれている。ここから覗いていたのがばれてしまっている。トマスは必死に頭の中で言い訳を考えながら、謎の微笑らしきものを浮かべているマリアンの方へ向かって、ぎこちなく道を渡り始めた。

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