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課題

「スープと固焼きのパンをもらってきたよ」


 ハッセは両手で盆を持ったまま、足で器用に扉を開けて閉めると、農家の納屋で、寝台代わりの藁の上で休んでいたメルヴィに声を掛けた。


「もっともこれをスープと呼ぶには、スープの定義に関する境界条件に対して大分修正が必要な代物だけどね。それでも塩分と水分の補給はできる」


 そう言うと、傍らの樽の上に盆を置いて、メルヴィが起き上がるのを手伝った。昼間の恐怖の為か、メルヴィは未だに体が言うことを聞かない。身体的には単に砂を被りまくっただけなので、精神的なものなのだとメルヴィは感じていた。何せ生まれて初めて、本当の死の恐怖というのを味わったのだ。


「金があっても物がないんじゃ意味がないよな。メルヴィ君、知っているかい、戦争で大量の捕虜が出たときに捕虜同士の支給品の物々交換の代わりに、たばこが使われて、まるでそれがお金のように扱われていたということがあるのを。つまり、貨幣というのは交換すべき物があってはじめて……」


「教授」


 ハッセはメルヴィの普段とは違う、少しばかり落ち着いた声に、自分の話を止めた。


「さっきのは何だったんですか?」


「何って何だい?」


「ごまかさないでください。これでも私も魔法職であり、元研究員です。あれが何らかの術でないのは私でも分かります。それに教授は最初に『暁の大鳳』をしかけた時に、比較実験だと言いました。何と何を比較しようとしたんですか?」


 ハッセは、メルヴィに対して小さくため息をつくと、樽の上の盆からスープをとってメルヴィに渡した。


「教授!」


「メルヴィ君、ちょっとばかりややこしい話だからね。それでも飲みながら聞き給え。それに冷めてしまったら、本当に味が残念になるよ」

 

 どうやら少しは説明をしてくれるつもりはあるらしい。メルヴィは素直にスープを受け取ると、ほんの小さな油灯の炎に照らし出された、少し痩せ気味の男を見つめた。そして自分がこの男に対して、少し勘違いをしていたのではないかと思っていた。いくら自分が小柄とはいえ、この街から少し離れた農家の納屋まで、自分を背負って連れてきてくれたのだ。単なる研究員の体力では到底できないことだ。


「まあ下っ端ではあるが、あれが魔族の一員であることは君も分かっているよね」


「はい」


「だが、僕が仕掛けた『暁の大鳳』でもほとんど打撃を与えられなかった。せいぜいやつが体力を取り戻すまでの間の時間稼ぎにしかならなかったね。まあ一人だけで、しかも短時間で仕掛けた奴だから威力は大したことは無いんだけど、これでもけっこうがんばって穴を開けたつもりだったんだけどな。おかげで当分は何も呼び出せそうにないよ」


 そう言うとハッセはメルヴィに向かって両肩をすくめてみせた。


「メルヴィ君、もし君が釘をうたなくてはいけないときに、君は何を使う?」


「もちろん金槌を使いますが?」


「そうだな。それが一番だ。だがそれが無かったらどうする?」


「そうですね。金属の板か何か、平面があって重さがあるものを使います」


「その通りだ。効率は悪くなるが他のものでもなんとかならないことはない。平面でかつ強度がある物であれば何とかなる。今我々がやっているのは、釘の頭を打つのに、金槌じゃなくて、柔らかいものをわざわざ凍らせて、溶ける前に必死に打っている様なものなのだよ。それも、もしかしたら横に金槌が転がっているかもしれないのにだ」


「どういう事でしょうか?」


「今日の『アルストロメリア』一匹相手だって、こちらが何人もの魔法職で用意した罠に引き込んで、山ほどつぶてやら、雷やらをぶつけてやって、弱ったところをやっとの思いで穴の向こうに送っているんだ。それよりはまだ犠牲者は山ほど出るが、騎士団辺りが槍を片手に突撃したほうが遥かにましだ。実際そちらで倒している事例の方が多い」


「そうなんですね」


「奴ら相手でも魔法職相手同様、一番良いのは弩での奇襲だ。僕らと魔族は意外と似た者同士だな。だが、あの『アルストロメリア』の厄介なところは、次々と人間に憑りついて姿をくらまそうとする。だから物理的な力以上に厄介な相手なんだ」


「憑依については聞いたことがあります。ですが魔族の直接的な研究は禁忌なのではなかったのですか?」


「禁忌? 目の前に直接的な脅威があるというのに、全く持って愚かな話だよ。そもそもそれは魔族がおとぎ話の中だけの話だった頃の決まりだったんだと思う。きっと刺激しないようにする為だったんだろうな。寝た子は起こすなだ」


 そう言うと、ハッセは自分で自分の言葉にうけたのか、くぐもった笑いを上げた。そして少しばかり意地悪そうな顔をして、メルヴィに向って問いかけた。


「そもそもやつらはどうやってこちらの世界に来ているのかな?」


「開きっぱなしの穴からではないのですか?」


「誰かそれを実際に観測したのかな? だとすれば、そこに送り込んでやっても意味はないのではないかな?」


「違うんですか?」


「誰かが根拠も無く最初に言った事をそのまま鵜呑みにする典型的な例だと思うね。我々はその力と見かけが同じだからと言って、我々が使役する使い魔と魔族を同じものだと思う間違いを犯してはいないだろうか? あれは全くの別物と考えたほうがいいのではないかな?」


「そ、そうなのですか?」


「そうだ。禁書庫に忍び込んでも直接的な証拠は無かった。今日の比較実験で分かっただろう。魔法職として使える上位の力でもほとんど効かなかったというのに、実験で使った、退魔印ではあれはあっさりと固定化された。つまり我々はそもそもやり方を間違っているんだ」


「その違うやり方というのは、いったい何だったんですか? 私には何も感じられませんでした」


「僕もだよ」


「だって、教授は!?」


「あれは、ある場所から僕がこっそり持ち出したものだ。何百年も前に用意されて、そのままある場所で眠りについていたものだよ」


「ある場所!それってもしかして王宮の!?」


「しっ、メルヴィ君、声が大きすぎるよ。今では失われてしまったものだ。だけどどうして失われてしまったんだろうね。こんなに便利な物なのに。この大陸では魔族とまともにやりあっているのは、ここカスティオールだけだ。他はどうしているんだろうね。魔族が居ないことにでもしているのかな? それも不思議だとは思わないかい?」


 メルヴィはハッセの声が変わったのに気が付いた。いやいつもの声と態度に戻ったというべきかもしれない。肝心なことをわざと隠すような、相手に対して自分の言っていることがどこまで分かっているか、値踏みしているとでも言うべきだろうか。


「そもそも、この世界自体が少しばかりおかしすぎじゃないだろうか?」


「おかしいですか?」


「そうだよ。仮にも世界だ。それが僕らのような魔法職如きが穴を開けることが、他の世界に手を伸ばすことができるんだよ。そんな不安定な世界なんてあるだろうか? しかもそれが継続しているんだ」


 メルヴィはハッセの言葉に衝撃を受けた。魔法職として自分が力を、他の世界から使い魔を呼び出すこと自体には何の疑問も感じていなかったからだ。その技術自体は、「クリュオネル」がすべての大陸に覇を唱えていた時代から何も変わっていない。いや、「クリュオネル」の時代の方が今よりも洗練されていて強力だった。


 世界に開いている、まだとても塞ぐ事が出来ない大穴は、「クリュオネル」時代の末期にその滅亡戦で開けられた物だ。幸か不幸か今の時代では魔法職がどんなに集まっても、そんな大穴を開ける事など出来ない。それが大陸内の国家間の戦争の抑止力になっていることも皮肉だ。誰も余計な厄介事など増やしたくはない。


「ともかく色々な物の辻褄が合わないんだ。穴を開けるのに魂は要らないのに、使い魔を送り返した後の穴を塞ぐのには、どうして魂なんて物が必要なのかな? 僕たちは同じ物で塞いでいないのだよ」


「それは、開けるときと送り返す時には魔力を魂の代わりに……」


 メルヴィはそこまで言ってから言葉を飲みこんだ。確かにそうだ。そこには対称性は存在しない。もしそうなら、開きっぱなしの穴も魔力で閉じれるはずだ。


「王立上級魔法学校付属研究所、あそこは何を目的に一体何をやっている所なんだろうね? この世の()に目を向けることなく、目の前にある脅威や、未解明なものを禁忌とか言って無かったことにして、ただひたすらに使い魔の呼び出し方だけに目を向けている。それを研究なんて呼べるだろうか?」


「私は魔法職としては駆け出し、研究者としても半人前ですが、私から見る限り、魔法職を育てるための研究としては成果を上げて居るのではないでしょうか?」


 メルヴィは自分の憧れていた場所が貶された様な気がして、ハッセに反論を試みた。だが、ハッセはメルヴィに対して、潰される前の子羊か何かを見るような表情を浮かべると先を続けた。


「そうかな? 僕から言わせれば職人、単なる徒弟制度のようなものだ。いやそれでは世の職人の皆様に失礼だな。彼らの方がよほど技術の改善にまじめに取り組んで成果を出している」


 そう言うとハッセは、手にしたスープの器を樽の上において、メルヴィの方へ顔を近づけた。メルヴィはその珍しい黒い瞳に見つめられながら、自分の心臓の鼓動が少しずつ早まっていくのを感じた。


「それにメルヴィ君、君はどうして僕のところなんかに助手に来たのかな?」


『えっ、今それを聞く? それにもしかして、私の事を疑っています?』


 メルヴィはさっき感じたトキメキらしきものが、単なる勘違いだった事を悟った。そして今度は腹の奥底から怒りが湧き上がって来るのを感じる。


「教授が助手を希望したんじゃ無いんですか? 私は採用されてすぐに教授のところに連れていかれただけで、特に理由は何も言われませんでした」


「なるほどね。理由を言わないのが理由だったんだな」


 ハッセは一人で納得した様な顔をしている。


「何ですかそれ!?」


「おや、メルヴィ君。どうやら君は体が自由に動かせるようになったみたいじゃないか? 『アルストロメリア』の瞳の呪いもとけたみたいだね。やはり精神と体というのは密接に繋がっているんだな」


「呪い? 呪いって何ですか?」


「あの瞳をまともに見た人間の何割かは後遺症が出ることがあってね」


「それを先に教えてください!そしたら絶対に見ませんでした!」


「言ってなかったっけ?」


「言ってません!」


「言っていないと言えば、僕は君に対して研究課題も出していなかったね」


「今さら課題ですか?」


「そうだよ。仮にも研究者たる者、常に何か課題を持つべきだ。本来は自分で探すべきものだけど、最初は先達の身として僕から君に出すことにしよう」


「何を研究すればいいんですか?」


「研究というより哲学的な命題というべきものかもしれないが、おもしろい課題だよ」


「もったいぶらないでさっさと言ってください。スープが冷めます」


「そうだった。冷めると最悪だよ。この世界は本当に僕らのものなんだろうかね? 僕らのものというならその証拠を、違うというのなら誰のものなのかを答えてくれ給え」


「はっ?」


「それが僕から君への課題だ」

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