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傍観者

「これを見てください」


 レオニートは星見の係が指さした、星振の間の黒光りする床に、色とりどりの細い砂で、複雑な幾何学的模様が描かれている一角をじっと見つめた。


 彼らの頭の上には、大きな振り子がいくつも動いており、その振り子の先端につけられた硝子の容器から、ほんの僅かずつ落ちる砂が描いたものだ。


 レオニートは黄色や緑と言った砂の中に、わずかに血の色の砂が混じっているのを認めた。それはほんの僅かではあったが、確かにそこに存在している。


「他に確認した者は?」


「私だけです。次の者との交代前の確認で見つけました。他の者は『昏き者の御使い』の検知とその後の謎の星振の調査で部屋には私だけでした」


「変化は?」


「特に何もありません。見つけた時からそのままです」


 レオニートは床についていた膝を上げると、腰に手をあてて、背伸びをして見せた。そして星見の係の男に向ってため息をついて見せる。


「おそらく調整の問題か、清掃をさぼった奴がいるのだ。これは懲罰物だよ」


「そうでしょうか?」


「何も変化が無いのがその証拠だ。この件は色々と差しさわりがあるから、不調の原因がはっきりするまでは他言無用だ。どこからか漏れると、ここの清掃係か調整係、下手したら全員の首が飛びかねないからね。それはそれで人が居なくなって困る」


「分かりました」


 男はレオニートに向かって素直に頷いて見せた。この手の話につっこんだ意見は不要だ。だがもしこれが清掃か、機械の調整ミスなら間違いなくそいつの首は飛ぶ。いや首ですめば御の字という所か。本来この色はあってはならないものだ。


「では、交代の時間ですので、私は引継ぎに行かせていただきます」


「良く見つけてくれた。ご苦労さん」


「ありがとうございます。先ほどの謎の星振の件は、またカスティオールなのでしょうか?」


「そうだな。侯爵も戻ってきているという話だし、影で無駄な努力でもごそごそとやっているのだろう。この前の調査の件といい、特権という奴は常に我々の敵だよ」


 男は頷くと、部屋の隅の監視台へと戻って行った。そこには次の時間の担当の者らしい数名が既にいる。彼らはレオニートがここに居る事を不審に思っていたのか、こちらの方を眺めていたが、レオニートの視線に気が付くと、慌てて向こうを見て、壁際にかかっているフードを手にして監視の準備に入った。


 レオニートは監視台へと戻っていく、銀の縁取りがついた黒いフードの後ろ姿を眺めながら、小さく、本当に小さく呟いた。


「カスティオールめ、なんでこうも厄介ごとを持ち込んでくれるんだ」


 レオニートはほんの僅かだけ落ちていた血の色の砂を、スリッパの先でもみ消した。魔族なんてものは、この王都には決していてはならない。


* * *


「うーん」


 ダリアは自分の肩に何かが乗った重みに不満の声を上げた。肩を抱きしめてくれるのはお互いの体を重ねる時と、その後の睦言の時だけでいい。こちらが寝ている時は不要だ。


 そう思いながら、ダリアは薄い掛布を肩へと引き寄せた。だが肩に何かが乗っている感触は消えない。ダリアは肩の先にある腕をわずかに上げた。肩にあった重みは、腕を伝わってダリアの左手の先へと移動する。


『これは隣で寝ている男の腕ではないという事ね』


 ダリアが目を開けると、その先に、カナリアのような橙に近い黄色い姿があった。だがこれは決して鳥などではない。その羽には小さな鉤爪があり、尾羽があるべきところには、長い蜥蜴の様な尻尾が見える。


 ダリアは決められた封印解除の呪文を唱えると、それは銀色に光る円筒を残して、穴の向こうへと帰って行った。残された円筒には王宮魔法庁の、交差した二本の樫の木の杖の紋章がある。


 ダリアは素早くそれを手に取ると、カーテンの隙間からもれてくる日差しで内容を確認した。そして寝台から起き上がると、隣で寝ている男性の肩を揺すった。


「アルベール、起きて」


「なんだい、ダリア。こちらは夜勤明けで、そちらは今日は休みじゃ無かったのか?」


「庁から連絡がきた。また術が発動されたみたい。まだ確定じゃないけど、おそらくカスティオールよ」


「そうかい。ならば誰が行っても、また門前払いだと思うね。それにそれは日勤の担当の仕事で、夜勤開けの俺の仕事ではないな」


 そう言うとアルベールは寝返りをうってみせた。ダリアはその背中に裸の体を重ねると、その耳元でそっと呟いた。


「そうかしら。この件については緊急招集がでると思うけど?」


「緊急招集?」


 アルベールが首だけをダリアの方に向けて聞き返した。


「私が貴方を招集するのよ」


 ダリアがそのはちみつ色の目に、いたずらっ子のような光を宿してアルベールに答えた。


「おい、ダリア。本気かい?」


「もちろんよ。卵とパンで朝食を用意するから、あなたは先に水でも被って眠気を覚ましてきて」


 ダリアはアルベールにそう告げると、傍らのナイトテーブルの上に脱ぎっぱなしになっていた、薄手の寝間着に袖を通した。そしてアルベールの背中を手でパンと叩くと、寝台から起き上がる。


 アルベールは、寝台から上半身を起こすと、横に立つダリアの手を引いて、その唇に軽く口づけをした。そして王宮魔法庁に居るとき同様に背筋を伸ばし、ダリアの執務室で命令を受けた時の様に敬礼をした。


「了解です。ダリア執行官長殿」


 ダリアが敬礼をして見せたアルベールの耳を、思いっきり掴んで引っ張った。


「痛い、痛いよダリア」


「今度それを私の寝室でやったら、あなたのアレを噛み切ってやるわよ」


* * *


「大旦那様!」


 コーンウェル侯爵家当主、エイルマー・コーンウェルが、自分自身で部屋の扉を開けて部屋へと入って来た。その姿に、そこに控えていた侍従頭のハリスンが少しばかり慌てた声を上げた。


「様子はどうだ?」


「今は薬で落ち着かれています」


 ハリスンは部屋の奥にある天蓋付きの寝台を指さすと、エイルマーに対してそう告げた。エイルマーは侍従頭の言葉に頷くと、天蓋付きのベッドの薄布の向こうに横たわっている孫娘の姿を見つめた。その横には、屋敷付きの医師と看護師らしい姿も見える。


 エイルマーは年齢を感じさせない動きで、大股にそこに向かうと、天蓋から降りる薄布を開けて、寝台の上にいる、もうすぐ15歳になる孫娘のイサベルの姿を直接見た。彼女は顔にうっすらと汗をかいてはいるが、それ以外は特に問題は無いように見えた。


「どうなのだ?」


 エイルマーは処方したらしい薬の後片付けをしていた医師に尋ねた。


「身体的には何も問題はありません。精神的な衝撃を受けられて、その驚きにより、ある種の発作のようなものを起こされたのだと思います。何分、体と言うものは精神と密接につながっております。安定剤を処方させていただきましたので、今は落ち着かれています」


「分かった。治療上特に問題が無いのであれば、全員席を外してくれ。少しばかり孫娘と話をしたい」


 その言葉に、医師や看護師が小さく頭を下げると、診察用の鞄を持って扉の外へと出た。最後に侍従長のハリスンが丁寧に頭を下げて扉を閉める。


 エイルマーは歳の割には少し幼く見える孫娘の顔を見つめた。そして孫娘の額の上に掛かっていた透明感のある白い髪、日の光の下では銀色に輝く髪をそっとよけると、その小さな額に手をおいた。


 医師の言う通り熱などはない。先ほどの発作の影響だろう、わずかに汗ばんだ感じがするだけだ。


「おじい様?」


 額から手を除けると、イサベルが薄目を開けてこちらを見た。


「大丈夫かい、イサベル」


「おじい様。ご心配をおかけして申し訳ありません」


 長男夫婦の末娘のイサベルが、とても小さな声で答えた。先ほどの発作と言うか、狂乱状態は既に収まったらしい。


「イサベル、一体何を見たのだね? 儂に教えてもらえるかな?」


「はい、おじい様。黄色く光る眼がありました。口には大きな牙が。赤黒い体で羽が生えていました」


「赤黒い?」


「はい。血と焼けこげた木が混じったかのような体でした。それと長い尻尾もありました」


 イサベルはそれを感じた時の恐怖を思い出したかのように、少しばかり身を震わせる。エイルマーはその小さく白い手を握ってやった。この子に負担を掛けるのは本意ではないが、今は何が起きたのかを知る方が大事だ。


「予兆はあったのかい?」


「ありませんでした。突然現れたので取り乱してしまいました。申し訳ありません」


 イサベルの目から小さい涙がこぼれ落ちる。


「いや、お前が無事で何よりだった。お前は儂の家族、このコーンウェル家の中でもっとも才能にあふれた者だ。お前の無事こそが、コーンウェルにとっての最重要事項なのだよ。そして儂にとっても、お前は大事な孫娘だ」


 エイルマーの最後の言葉に、イサベルが小さく頷いた。


「それで、それはどうなったのだ?」


「突然に消えてしまいました」


「消えた? 魔族が突然にか?」


「はい。それが消える前に一瞬だけ、金色に輝くとてもまぶしい光が見えました。それに()が眩んでしまって、思わず倒れこんでしまったのです。申し訳ありません、その後は何も覚えていません。ただ……」


「ただ、何だね?」


「何か温かいものを感じました。私の心がそこに居た何かに触れたのだと思います。それも何かも分かりませんでした。でももう一度触れられれば、それが何かは分かると思います」


 イサベルが寝台の上でその小さな体をよじる。これ以上何かを聞くと、また発作を起こしかねない。エイルマーは、これ以上何かを聞くことをあきらめた。


「イサベル、落ち着きなさい。大丈夫だ。何も心配することは無い。この家は大勢の人間に守られている。儂もお前を守る。だから今は十分に休養をとって、心の平安を保つことが一番だ。ゆっくりお休みなさい」


「はい、おじい様」


 エイルマーは、イサベルが目をつむって小さな吐息を立てはじめたのを確認すると、ゆっくりと音を立てないように気を使いながら、寝室の扉を開けて外に出た。廊下では侍従長のハリスンが微動だにしない姿勢でエイルマーを待っていた。


「ハリスン」


「はい、大旦那様」


「イサベルの身辺警護は密にしろ。王立上級魔法学校のシモンに連絡を取れ。それとレオニートだ。目立たないようにこちらに来るように伝えろ」


「はい、大旦那様。シモン校長とレオニート宣星官長に連絡の手配をさせて頂きます」


 コーンウェル侯・エイルマーは頭を下げて廊下の先へと去っていくハリスンの後ろ姿を一瞥すると、振り返って孫娘の寝室の扉を見た。そこには常人では分からないが、魔法の術を知る物には明確に刻まれたいくつもの魔法陣がある。本来ここは、この屋敷の中でももっとも厳重に守られていたはずの部屋だ。


 しかし、魔族がこの王都に忍び込んだ上に力を使ったらしい波動は、水面の上の大きな波の様に広がり、様々な防御壁など存在しなかったかのようにすり抜けてこの部屋まで来たのだ。


 例え魔法職だろうが、普通の者はそれを感知することなど出来ない。それは魔力によって開けられた、穴の向こうから呼び出された物ではないからだ。


 イサベルはそれを感じる事が出来る。それは、以前はコーンウェル家の者が持っていたはずの、そしていつしか失われてしまった力だ。それが数百年ぶりに、やっとコーンウェルに戻って来たのだ。コーンウェルの、コーンウェルたる力がだ。


 だがイサベルの力は、まだ固いつぼみだ。これから徐々に力をつけていく必要がある。その前に失われることなど決してあってはならない。


 エイルマーは扉の魔法陣に異常がない事を再度確認すると、廊下を歩み始めた。部屋を囲むように守り役の魔法職達が術を展開しているのが感じられる。


『役立たずめが!』


 エイルマーは心の中でその者達を罵倒した。この者達は何が起きているのかすら気が付いていない。やはり貴族が普通に雇う事ができる魔法職の力など、たかが知れているのだ。


「本物が必要だ」


 エイルマーはそう誰にともなく呟くと、ある人物に対して私信をしたためる為に、自分の執務室へと向かった。

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