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目覚め

「うわーーん!」


 私の前で女の子が目に両手を当てて泣いていた。その泣き声は赤子が母親を求めるような激しく、そして切ない泣き声だった。


「泣かないで」


 私はその子の頭をなでた。だけどその子は泣き止む様子は全くない。


「どうして、どうして泣いているの?」


「あなたは悲しくないの?」


「私が?」


 その子が目に当てていた拳を下ろして私を見た。赤みが強い茶色い目が私をにらみつける。


「あなたは、あなたの母親があなたを殺そうとしたのに悲しくないの?」


「あれは違うの。誰かに操られていただけ。お母さまは本気であなたを殺したりはしない」


「違うわ!あなたは私じゃないから分からないだけよ」


「分からない?」


「そうよ、あなたは私ではない。あなたは私の偽物よ!」


「私は……私は私よ。そうでしょう!?」


「フレア、フレア……。もういつまで寝ているの。いい加減に起きなさい」


 誰かが私の体を揺すった。うっすらと開けた目の前にぼんやりと人の影が写り、夏の実りの時期を迎えた小麦のような色の髪が見えた。


「お母さま!」


 私が寝台から飛び起きると、目の前にはにっこりとほほ笑む、女性の朗らかな笑顔があった。


「もう、フレアったら、アンナお母さまの夢を見ていたの? だから寝ながら涙を流していたのかな?」


 そう言うと目の前の人物が指で私の頬をそっとなでた。私もその反対側を指で触れてみる。確かにそこには涙の流れた跡があった。あの夢の中で泣いていたのは自分なの? だとすれば、それに偽物と言われた自分は?


「どうしたの、ぼっとして。悪い夢でも見た?」


 目の前の人が私にそっと問いかけた。


「ジェシカお姉さま!」


 私は目の前の栗毛の女性に抱き着いた。


「ジェシカお姉さま、ジェシカお姉さま!」


 私は抱き着きながら涙を流した。だけど腕に何か固いものが当たる。


「愛しき我が妹よ。でもフレアさん。お願いちょっと待って、少しばかり痛い……痛い!」


 私はジェシカお姉さまの声に慌てて腕を離した。見るとジェシカお姉さまの右腕は何重にも包帯が巻かれていて、さらに白い布で肩から吊り下げられている。


「ジェシカお姉さま!」


 私は先ほどの感動の叫び声とは違う、驚きの叫び声をあげた。


「あ、これね。ちょっとばかりへまをしちゃって。でも単純な骨折だから大丈夫」


「そんな、骨折だなんて大怪我じゃないですか?」


「すぐにくっつくし直るわよ。それに骨は折れてくっつくと、前より強くなるの? 知っていた? それよりフレア、貴方は大丈夫なの?」


 ジェシカお姉さまが、その黒に近い茶色い目で私をじっと見た。その目はお父様にそっくりな目だ。


「はい。私は大丈夫です」


 私はジェシカお姉さまに頷いて見せた。何も詳しいことを聞いてこないのは、ジェシカお姉さまの私に対する優しさだ。私はそれに答えないといけない。私はとびきりの笑顔に見える事を願いながら、ジェシカお姉さまに向かってにっこりとほほ笑んで見せた。


「それよりも、何でそんな大けがをされたんですか? それにどうして戻ってくるって、事前に教えてくれなかったんですか?」


「だから、腕は大したことないって。大丈夫よ」


 前世の私基準でも、ジェシカお姉さまは腕が立つ。騎士としての訓練を受けてきた人だ。その人が右腕を折るなんてのは、一体どんな状況だったのだろう。


「今回は旦那様も一緒に戻って来たから、色々と差し障りがあってね。事前には教えられなかったの。本当にごめんなさい」


 お父様も戻って来たとなれば、寝台の上に転がっている訳にはいかない。さっさと起きて挨拶に行かないと。それに顔を洗って、少しはましな顔にならないといけない。


「急いで準備しないと!」


「急がなくても大丈夫よ。今はカミラお母さまと話しているわ。それにその後、ライサ商会の新しい代表と客間で話をする予定も入っている。それもあって、今回はこちらまで戻って来たの」


「こちらにはどれぐらい居られるんですか?」


 お父様とジェシカお姉さまがここに戻って来たのはもう一年ぶりぐらいになる。お母さまが亡くなってからはほとんどカスティオールの地に滞在されていた。一年前に戻って来た時だって、この家にまともに居たのは一晩ぐらいだ。


「どうかな、そう長くは居られないと思うけど、色々と支援のお願いもあるから、少しはここに居る事になりそうね。もっともフレアさんが旦那様と一緒に居られる時間がどれだけ取れるかは分からないけど」


 そう言うと少し残念そうな表情をした。ジェシカお姉さまは、私達のお姉さん、長女なのだけど、お父様の若い時の落とし子な為、他家の者扱いになっている。それ故、ジェシカお姉さまはお父様の事を旦那様と呼ぶ。私としては、ジェシカお姉さまがお父様の事をそう呼ぶのはとっても嫌だった。


 できれば私達家族の前では、他に誰も居ないのであれば「お父様」と呼んでほしい。だけどそれを私が言っても仕方がないことだと思ってあきらめていた。でも、本当にあきらめるべきものなのだろうか? お父様がジェシカお姉さまに、「お父様」と呼んでいいと言ってくれれば、それでいいのではないだろうか?


『たとえ怒られようともお父様にお願いする』


 私は心の中でそう決めた。それにもし、ジェシカお姉さまの右腕に何かした奴にあったら、絶対に許さない。私は剣とかはろくに使えないから、この口で噛みついてやる。そうも決心した。


「フレアさん」


「はい、ジェシカお姉さま。何でしょうか?」


「しばらく見ないうちに、顔がずいぶんと大人になりましたね」


「大人ですか?」


「そうです。きっと成長期なんですね」


 いや、それは違うと思います。成長期なら私の胸もジェシカお姉さまの様に成長しているはずです。もし今が成長期だとするととても問題です。私の胸はこのままという事になります。


「そんな事はありません!」


「フフフフ。やっぱり変わりましたね」


「お父様の話は長くなると思うので、焦る必要はないと思います。ゆっくりと支度をしてください。その間に私は、コリンズ夫人やロゼッタに挨拶してきます」


「はい、ジェシカお姉さま」


 私は部屋を出ていくジェシカお姉さまの後姿をうっとりとながめた。


 なんて素敵で、そしてかっこいいお姉さんなんだろう!


* * *


「フレデリカさんには、カスティオールの名を受け継ぐ資格などありません。お披露目でグローヴズ伯爵の子息と殴り合いの喧嘩をするなんて、あり得ません。それにイアン王子と怒鳴り合い迄したと聞き及んでおります。このままでは、当家の存続に関わります!」


 カスティオール侯ロベルトは両手を広げて訴える妻のカミラを見つめた。その姿には熱に浮かされたかのような必死さがある。


 彼女は第一夫人だったアンナが、おおらかで、おっとりとした性格だったのとは反対で、情熱的であり、内に激情を秘めたところがあった。きっと彼女は何か勘違いをしているのだろう。


「カミラ。それは私が聞き及んでいた話とは少し違うような気がするね」


 ロベルトの言葉にカミラは大きく目を見開いた。


「違う、何が違うのですか!? あの子は……」


 ロベルトはカミラが続けて何か訴えようとしたのを制すると、自分が聞いてる話を先に説明することにした。勘違いであるなら、それを正さねばならない。


「私が聞き及んでいる話では、フレデリカはグローヴズ伯爵の三男が、アンジェリカに対して行った狼藉を咎め、さらにフレデリカを殴ろうとした彼を、華麗に投げ飛ばしたという話だったが?」


「投げ飛ばす!? そちらの方が問題ではありませんか? 相手が大怪我をしたらどうするのです!」


 そうだろうか? フレデリカに投げ飛ばされた三男の方こそ、女性に手をあげたのだ。投げ飛ばされて当然という気がするがね。周りにいた男達は一体何をしていたんだろうな。


「いずれにせよ、当家に泥を塗りました」


 カミラがそう断言して見せた。やはりカミラは、侯爵家にとっての名誉が何かは分かっていないな。


「いや、フレデリカは当家の名誉を守ったのだよ」


 伯爵家なんぞに舐められてはいけないのだ。フレデリカが投げ飛ばしたという事の方がびっくりという所だがね。フレデリカもあれの母親に似て来たという事だろうな。アンナも普段はおっとりしていた分、怒った時は本当に怖い女性だった。もっともあれが何かについて怒るときは、それは自分に関する何かでは無かったが……。


「グローヴズ伯爵の子息の件は百歩譲ったとしても、イアン王子といがみ合うなどと言うのは、決してあってはならない事です!」


「それも私が聞き及んでいる話とは違うね」


「どういうお話ですか?」


「フレデリカはイアン王子と、大変仲良く、熱心に踊っていたと聞き及んでいるが」


「まさか!」


「それにソフィア王女とも、一緒に踊って頂いたそうだ」


「ソフィア王女? フレデリカが、ソフィア王女様とお披露目で、しかも女性同士で踊ったのですか!?何て恥知らずな!」


「そうだ。ソフィア王女から誘われたそうだ。なので、お前が聞いた話の方が間違いだと思う。誰かの勘違いだろう」


「勘違い? これは私が親しくしている方々から聞いた話ですので、間違いはありません。ロゼッタさん辺りから嘘の報告を受けたのではありませんか?」


「ロゼッタ? 彼女が私に私信を送ってくれるなど、絶対にあり得ないよ。それに、これは間違いない方々から聞いた話だ」


「では一体どなたから聞いたのですか?」


「国王陛下と、セシリー王妃様からだ。王宮に参内してからこちらに来たのでね」


「陛下からですか!?」


「そうだ。なのでこの件に間違いはない。セシリー王妃様からはフレデリカについて、良くできたお嬢さんだとお褒めの言葉を頂いたよ。なのでこの件について、フレデリカに非があると申し立てる者は誰もいないはずだ。安心し給え」


 セシリー王妃がフレデリカの事を素直に誉め称えているのを聞いた時の、陛下の表情はかなり複雑だったが、それでも陛下も誉めてはいたのだよ。カミラ、お前は知らない事だが、これは王家、ロストガル家とカスティオール家の関係を考えれば、とても特別な事なのだ。


「はい。ですが、このような事が続けば、いつかはこの家に災いをもたらします。旦那様に代わってこの家を守る立場としては、とても責任が持てません。あの子には神殿に行って、カスティオールの為に創世神に祈りを捧げてもらうのが一番ではありませんでしょうか?」


 神殿? カミラは何を言っているのだ?


 フレデリカはカスティオールに300年ぶりに生まれた、赤毛の女の子なのだよ。いくら私が凡庸、いや、それ以下の情けない当主だとしても、フレデリカを神殿なんかに行かせる訳にはいかない。あの子には背負うべき定めがあるのだ。


「お前が心配する必要はない。フレデリカにはこの家を離れて、カスティオールの長女として学園に入学してもらう。それは侯爵家の娘としてのフレデリカの義務でもある」


「あの子を学園にやるなんて、私はとても心配です!」


 お前の心が落ち着くまで、いやフレデリカよりも私を憎む様になるまで、フレデリカをお前からしばらく引き離しておく必要もある。娘達からまた母親を奪う事になるのを避ける為にもだ。


「何はともあれアンジェリカのお披露目も無事に済んだことは何よりだ。父親としては、それを見送ってやれなかったことはとても残念であるし、アンジェリカには申し訳ないと思っている」


「はい」


 アンジェリカにも青い血が流れる者の定めとして、その義務を果たしてもらわねばならない。例えそれによって、お前が私の事を死ぬほど憎んだとしてもだ。


「家族で食事でもと言いたいところだが、間もなく来客がある。残念だが娘達に会うのはその後だな」


「どなたがいらっしゃるのでしょうか?」


「ライサ商会の新代表だ」

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