謝罪
「何でこんな事になったんだ!?」
グローヴズ伯爵、テオドルスは何度目になるか分からない同じ台詞を口にした。あのもじゃもじゃ頭の男も、あれだけの大言壮語を吐きながら、暗殺に失敗したようではないか。それだけじゃない。警備庁から王宮魔法職が、カスティオールの屋敷まで出張って行ったとは、何が暗殺ギルドだ。
王宮内や警備庁に居る金を握らせている奴らから、その情報を得た時には心臓が止まる思いだった。そもそもあのバカ息子、三男坊がお披露目でいたずらをするなどという馬鹿な事をするからこうなる。あれの教育係はみんな首にしてやらねばならない。もう相手に対して長い手をかけるなんて話ではない。こちらの生き残りをどうするか考える段階に来ている。
「相手のところまで出かけていくしかない」
テオドルスは誰に告げるでもなく、そう呟いた。貴族にとって面子を保つことは極めて大事なことだが、生き残りを計ることはそれ以上に大事な事だ。貴族とは生き延びて、家名をつなぐことが最大の目的なのだ。
必要ならばあれの母親が泣こうが喚こうが、三男坊を勘当することすら厭わない。いや、生き残りのためなら首を切り落として生首を持っていくことだってする。それが貴族と言うものだ。テオドルスはそう決意すると、侍従長を呼びだす呼び鈴を鳴らした。
「旦那様、お呼びでしょうか?」
「出かけるぞ。すぐに馬車の用意だ。それと女子供が喜びそうな菓子とか手土産を何か見繕え。なるべく上等な物を用意しろ。金に糸目はつけるな。それらには全てグローヴズの紋章を付けて正式な贈り物とする。プラシドをここまで連れてこい。あれも連れて行く。それとプラシドの教育係共は全員首にしろ」
「かしこまりました。どちらまでおいででしょうか?」
「カスティオールだ」
* * *
トカスは、自分の担当だった男と共に、対岸の堤防に座って足をぶらぶらさせながら、新しくできたその池を眺めていた。周りには自分達だけでなく、大勢の者達がほんの僅かの間に大きく変わってしまった景観に驚き、池を指さしながら大声を上げていた。
「放っておいていいのかい?」
トカスは男に聞いた。
「古い考えしか持てない土竜のような奴らだ。掃除してくれて助かったようなものだよ。それよりも一応はこっちの魔法職も守っては居たんだろう。こうあっさりとやられるもんかね?」
男は四つの橋がつながっていた、かつては中洲だったところを見ながらトカスに答えた。そこから降りる地下水路の先が組織のアジトだった。だがそこはかかっていた4つの橋を含めて何もない。本当に何もない。ほとんど流れの無かった川から僅かに流れ込む水が、小さな池のようになっているだけだった。
「こちらの防御結界の外から丸ごと術を発動させやがった。邪魔も何も結界の中に居たから油断して居たんだな。かけられた時点で相手がそれを上回っていると考えるべきだ。その程度の想像力も無い阿呆共だ。だが組織としての面子はいいのか? 丸つぶれだぞ」
トカスは男に聞いた。暗殺ギルドと言うのは信用第一ではないのだろうか? 暗殺されるようなところに暗殺を頼む奴はいない。
「面子?何だそれは、そんなものにこだわっているから合理的な思考ができないんだよ」
「もとはと言えば、俺が失敗したからじゃないのか?」
これをやった相手は分かっている。あの女に間違いない。つまりこれはあの女の俺に対するお礼という奴だ。
「違うさ。正直なところ、分が悪い仕事だとは思っていた。むしろ相手を本気にさせたのは君の功績だよ」
「功績? 最初から俺が失敗すると思っていたのか?」
「そうは思ってはいないさ。分が悪いと思っていただけだ」
男が顔色一つ変えずに答えた。確かにこれだけの大穴を一人で開けて閉じやがった。化け物そのものだ。魔族が化けて居るんじゃないのか?
この男もそうだ。腹の探り合いを仕事としているトカスから見ても、この男の考えている事は全く読めない。この事態にも全く平気な顔をしている。この男が魔法職だとすれば、トカスが絶対に勝てない相手だ。
「ちっ、世の中嘘つきばかりだな」
男が珍しく口元に笑みを浮かべて苦笑して見せた。
「そうだな。だが君はあの人のような人を相手にするのを望んでいたのではないかな? これは私からの君へのお礼も兼ねているのだよ。そこだけは組織に倣って前払いにさせてもらった」
「受けた仕事はどうするんだ?」
「ほうっておけ。どうせ今頃、床に頭をこすりつけて謝りに行っているさ。それに金を返すと言っても受け取らないと思うしね」
「ちっ、全く以て気に入らない」
「そう怒らないでくれ。これでも私は君の事が大好きなのだよ。そして似た者同士と思っているのさ。掟とか面子なんてものは面倒だしつまらないものだ。人生は楽しくないといけない」
男がトカスの肩に手をやった。
「そう言うものだろう?」
* * *
「今回の件につきましては、全て私共に非があります。大変申し訳ございませんでした」
そう言うと、グローヴズ伯爵は前に座るカミラとアンジェリカに向かって頭を下げた。その横で少年も一緒に頭を下げる。その顔は口元や目の辺りが紫色になっており、とてもひどい顔になっていた。
客間のテーブルの上には、グローヴズ伯爵がお詫びの品として持って来た、王都での有名な菓子店の意匠をこらした箱がいくつも並んでいた。その全てにグローヴズ伯爵家の紋章が入っている。つまりこれはグローヴズ伯爵家からの正式なお詫びの品であることを表していた。
カミラはそれらの品々と、こちらに向かって深々と頭を下げている、グローヴズ伯テオドルスとその三男のプラシドの頭を満足げに眺めた。カスティオールは侯爵家であり、これが本来の姿なのだ。
「グローヴズ伯爵、頭を上げてください。お披露目の場は若者同士の場ですので、このようなお詫びをされますと、むしろ私どもの方が恐縮してしまいます」
「ありがたいお言葉です。プラシドには侯爵家の皆様に敬意をもって接するようによく言い聞かせておきました。二度とこのような事を起こさぬ事をお誓い致します」
「この度は、アンジェリカ様に大変失礼な事をして申し訳ございませんでした」
三男の少年がアンジェリカに向かって、再度深々と頭を下げて見せた。アンジェリカはその姿を見ながら、どのように答えていいか分からないのか、困ったような表情をしている。
「アンジェリカ、貴方からもプラシドさんに対して、この件は水に流すとおっしゃってあげなさい」
アンジェリカの態度に少し苛々しながらカミラは声を掛けた。あなたはこのカスティオール侯爵家を継ぐべき人間なのです。それに恥じぬようにもっと堂々とした態度で臨みなさい。
「はい、私としてはプラシド様には何も含むところはございません。お気になさらないでください。ですが、この件はフレデリカお姉さまこそ……」
「フレデリカは付添人です。関係ありません」
カミラはアンジェリカに向かって反射的に答えた。答えてから少しばかり後悔した顔をすると、グローヴズ伯爵とその息子へと視線を戻した。
「姉のフレデリカは、今は気分が優れずに休んでおります。フレデリカには私の方から伝えておきますので、ご心配なさらないでください。フレデリカについては、むしろフレデリカの方からプラシドさんに謝るべき件の様にも思います。大変申し訳ございませんでした。本人に代わりまして、私の方からお詫び申し上げます」
「いえ、とんでもございません。フレデリカお嬢さんに対しても大変失礼を致しました。そもそも紳士たるもの、女性に向かって手を上げるなどあってはならない事です。そうだろう、プラシド」
「はい、大変申し訳ございませんでした。深く反省しております」
カミラは自分に向かって再び頭を下げる二人を見て、貴族の夫人達の集まりではまるで腫物の様に扱われていたことを思えば、まさに溜飲が下がる思いだった。ましてや、このグローヴズ伯爵は野心家であり、傲慢不羈な態度で知られていた男だ。
これも全てお披露目でアンジェリカがサイモン王子を独占して踊ったからだ。世の貴族達はそれで風向きが変わったことに気が付いたのだ。全ては自分のこれまでの努力の結晶だ。この私がカスティオールを救ってやったのだ。
「本日は菓子等しかお持ちできませんでしたが、後日、正式なお詫びの品をお送りさせていただきます。本日はお時間を頂きまして、ありがとうございました」
そう告げたグローヴズ伯爵の姿を見ながら、カミラはアンジェリカと共に、自分が社交界で取り巻きに囲まれる日が近いことを確信していた。