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横紙破り

 トカスはいくつかの平行思考で用意していた術のうち、どれを使うべきかを必死に考えた。相手は明らかに術の準備を終えている上に、既に同じ状況を経験している。その有利さは計り知れない。


 そもそも、魔法職同士の戦いは、いかに相手よりも有利な状況を作るかにかかっている。術を唱えるのは最後の仕上げに過ぎない。


『侍女を人質に取るべきか?』


 トカスはマリアンに視線を向けた。だがトカスが唱えた『彷徨る魂の右手』は、いつの間にかどこかへ消えている。


『反魂封印?』


 トカスはロゼッタが、こちらの術を解除したのだと考えた。だがそれを唱えた気配はない。代わりに、もっと別な物がこの世界へ現れようとしている。経験したこともない巨大な穴だ。トカスの唱えた『彷徨る魂の右手』は、開いた穴に吸い込まれ、その効力を失っていた。


 トカスは目の前で起きていることに戦慄する。術を飲み込むような穴など聞いたこともない。穴はロゼッタを中心に、さらに大きさを増しつつ開いていく。


 ロゼッタが唱えようとしているのは、間違いなく贄を使った術だ。だがどこから贄を得たのだろう。気づけば、侍女の気配は消えている。


『まさか、あの侍女の魂を使った……?』


 だがロゼッタが開いた穴は、一人の魂で開けられるような穴ではない。トカスは自分の横にある重厚な扉を見上げた。そこには、「魂を捧げし者のみに扉は開かれる」と、クリュオネルの神聖文字で書かれている。


 ロゼッタはここの卒業生だと自分に告げた。以前、この扉に誰かの魂を捧げたはずだ。その時の贄は……?。言葉にならない恐怖がトカスを襲う。


『贄を捧げたふりだけをしたのか!?』


 魔法職は自分の魂を餌に、穴の向こうから力を呼び出す。だが魂を奪われる前に、穴を閉じることで力だけを得る。それでは足りない時、あるいは開きっぱなしの穴を閉じる場合は、魂を『贄』として捧げる。


 ロゼッタは魂をささげたふりだけをして、この扉を抜けたのだ。さらに本来捧げるべき魂をこの場に定着させ、今それを使おうとしている。それが目の前に現れた大穴だ。


 魂を定着させるという術は、クリュオネル時代に編み出されたと言われていたが、禁忌中の禁忌だ。定着された魂は、最後の時のまま、ゆく当てもなく、永遠の時を過ごすことになる。それに比べれば、単なる死など、比べようもないほど幸福な終わり方だ。


「名もなき者にして、全ての力の根源たる者よ――」


 術の最後の一説を唱えるのが聞こえる。トカスは平行思考のすべてを、己が身を守るための術の行使へと切り替えた。


「穢れなき水霊の守り手にして、我らに安らぎと平穏を与える者よ――」


 使えるだけの平行思考の全てを使って、防御術たる『水霊の守り手』を多重召喚する。最強の防御術は『聖母の子宮』だが、それを使ってしまうと、外界から切り離され、あらゆる術も唱えられなくなる。


 グオオォォオオオオ――!


 地響きの轟音と共に、何かが崩れ落ち、粉砕される音が響き渡った。その破壊の嵐の前に、トカスの唱えた『水霊の守り手』の淡いベールは、はじけ飛ぶようにその効力を失っていく。最後の一枚になったとき、やっと地響きと振動が止まった。


『何が起きたんだ?』


 トカスはまだ灯りを宿していた杖を前へ差し出す。だが何も映し出さない。いや、映し出さないのではなかった。先ほどまであったはずの重厚な扉が、あたりの通路ごと吹き飛び、その先にぽっかりと真黒な穴が開いている。


「閉じられた空間自体を、術で吹き飛ばした!?」


 トカスの口から、驚きの声が漏れた。次の瞬間、何かがこちらへ迫ってくる気配を感じる。トカスは手にした杖を、己が身を守る位置へと動かした。


 キーン!


 杖が銀色に輝く刃と交わり、耳障りな音を立てる。その先では侍従服を着た少女が、殺気を宿した瞳でトカスを見つめていた。


『いつの間に?』


 トカスは暗殺者として、相手の気配を読むことには長けている。それでも刃のきらめきを見るまで、その存在にまったく気づかなかった。


「マリアンさん、剣を引いてもらってもいいかしら?」


 その声に、侍従服を着た少女は、手にした短剣を引いた。だがいつでも次の一撃を放てるよう、間合いは保ったままだ。


「先ほどの術をしのぐとは流石ですね」


 暗闇の中から、詰襟の黒いワンピースを着た女性が姿を現す。


「前に来た時から、この術の準備をしていたのか?」


「私の同級生の魂を使わせてもらいました。本来は穴を塞ぐ為の術ですが、このような目的にも使えます」


「まさに手段を選ばずだな。俺なんか足元にも及ばない。それにそちらのお嬢さんまでもが、魔法職だったとは思わなかった」


 無言のマリアンに、トカスは首をかしげる。この少女が術を唱えた気配はどこにもない。それに一枚だけ残った『水霊の守り手』は、まだ淡い光を放ち続けている。


「無詠唱か!」


 自分の師匠が生涯をかけて追い求めたものが、あっけなく姿を現した。しかも、年端もいかない少女がそれを使っている。その事実に、トカスは肩を揺らして笑い出した。


「あんたといい、この侍女さんといい、赤毛のお嬢さんの周りは化け物ばかりだな……」


 そうつぶやいたところで、トカスの脳裏に、すこしとぼけた顔をした赤毛の少女の姿が浮かんだ。


『あの男の目的もあの子なのか?』


 ただの世間知らずのお嬢さんとしか思えないが、あの少女の周りでは、常に事件が起こり続けている。


「トカスさん、貴方にはまだ仕事が残っています」


 ロゼッタの声に、トカスは我に返った。


「仕事ね……。俺の魂もどこかに縫い付けるなり、好きに使ってくれ」


「私の守るべき人が、この先で待っているように、あなたの守るべき人もこの先にいるはずです」


 ロゼッタが、粉々に砕け散った扉の先を杖で指さす。


「オリヴィアか?」


 トカスがロゼッタへ問いかけた時だ。


「ロゼッタ先生、横紙破りは困りますね」


 穴の向こうから、何者かのたしなめるような声が響いた。

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